40【最後の夜】~朝比奈航~

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「同じチームにいても、みんなが違う人間だ。それぞれ多かれ少なかれ、悩みを抱えてる。おれは主将として、みんなのことをしっかり見て、声をかけて、話して、みんながなにを考えてるのか理解しながら、支えていきたい。だけど、いつも強くて、完璧に見える人間を相手に、自分の弱さを話すっていうのは、ちょっとハードルが高いんじゃないかな、と思うんだ」 「だから、弱さを見せる……ですか?」 「うん。そうじゃなきゃいけないってわけじゃないけど、相手が自分と同じ温度で、共感してくれるって思えたほうが、話しやすいことってあるだろ」  市鷹の言葉に、航は深く頷いた。ガツガツとみんなをリードする強い主将も、かっこいいのかもしれない。けれど、航がついていきたいと憧れた羽柴は、中学の頃からそういうタイプではなかった。いつも冷静で、穏やかで、市鷹の言う通り、いつも後ろから見守ってくれ、ときには導いてくれる。そんな先輩だった。そして彼が目標として追いかける市鷹もまた、同じだった。 「それなら、羽柴先輩は適任ですよね」 「おれもそう思う。でも、ヒロが自分に求めてるのは、強さだ。それも、得点力。もちろん、それも大事だけど、それだけがすべてじゃない。ヒロは、主将にふさわしい強さが欲しいって言ってたけど、それは、やわらかい部分にあると、おれは思ってる。得点力とか、技術とか、技とか。そういうのとはもっと違うところだ」 「やわらかい部分……」 「うん、人のやわらかい部分。すごく、繊細(せんさい)なところだ。そういうところに気付くためには、人間の弱さをちゃんと知ってなくちゃならないし、あんまり強すぎると、他人のそこに気付けない。おれは、そう思う」 「な、なるほど……。柔らかい部分か……」  航は頭を巡らせる。さっき、浬の話を聞いていたとき、自分はなにを言ったか、思い出していたのだ。だが、どうも自分の言葉が、浬の柔らかい部分に届いたという自信はない。思えば、航はいつも、言葉がすんなりと出なかった。気を落とすチームメイトに声をかけたくても、言語化するのに、とにかく時間がかかるのだ。だからこそ、それができる市鷹には憧れを抱いた。  やっぱり、イチ先輩はすごい……。そんなところまで深く考えてるなんて。  そして、そんな市鷹に認められ、次期主将という決して軽くはない役割を担う羽柴にも、同じ思いを持った。中学時代から追いかけてきた背中に、改めて憧れたのだ。 「航」 「はい」 「ヒロは来年、きっとおれよりはるかに強い主将になるよ。だからこそ、今、焦って強さを求めて、そればっかりになってほしくない」 「はい」 「ヒロを、支えてやってくれな。……おれたちは、泣いても笑っても、明日で終わりだ。遠征はあさってまであるけど、今夜が、現役最後の夜になる。……あと、頼んだぞ」 「はい……!」  航の返事に、市鷹は満足げに笑みを浮かべ、また背中を叩く。そうして、またケータイの画面を見て、伸びをした。 「さてと……。そろそろ、夕飯の時間だな。みんなを迎えに、エレベーターまで行こうかぁ」  また、返事をしようとして、気付く。結局、市鷹が羽柴に、なにを話したのか。それをまだ聞いてはいない。だが、すでに航はそれを聞かずとも、想像することができた。市鷹が羽柴に話したこと。羽柴のモチベーションを再び上げた言葉。明日へ向けたエール。それはおそらく、今ここで、市鷹が航に話してくれたすべてだった。  きっと、俺に話してくれたのと同じように、イチ先輩は羽柴先輩に話したんだろうな……。  そのとき、市鷹と話した時間は、ほんの十分くらいだろうか。本当にわずかな時間だった。だが、その十分は、航にとって特別な時間になった。市鷹の言葉は、そのひとつもこぼれずに、航の胸の奥に響き、体じゅうに染み入っていた。  その後、夕飯を食べ終えたあと、航は大地に頼まれていたジュースを買おうと、ふたりでホテルのロビーの自販機を物色していた。 「ったく……。航はオレの大事なジュースを忘れて、どーこほっつき歩いてたんだかー」 「だから、ほっつき歩いてたんじゃないって」 「ほんとかよー? どっかの福岡美人でも見つけちゃって、ついてったんじゃあ……」  にやけ顔で、航をからかう大地だったが、ふと、なにかを見つけて足を止める。その視線の先にいたのは、市鷹、将鷹。そして、毛利だった。彼らはロビーの隅のベンチに座り、なにか話しているようだ。その表情は明るく、だが、なぜかいつもよりも少しだけ、大人びて見えた。 「先輩たち、なにしてんだろ……。もうすぐ、ミーティング始まるのに」  航がつぶやくと、大地は呆れ顔でため息を吐く。 「そりゃあ、大人の男の密会でしょ」 「大人の男? なんだそれ。先輩たち、まだ高校生じゃん」 「あー……。まぁ、航もあと二年くらいしたら、嫌でもわかるんじゃないの? つよつよルーキーの航も、その辺はまだまだおこちゃまだねぇ」 「なんだよ、大地はわかるのかよ」 「さーあねー」  大地はそう言うと、またにやけ顔で、エレベーターホールへと向かう。航は眉をしかめた。あと二年経ったら、嫌でもわかること。今はまだ、わからないこと。けれど、同い年の大地はたぶん、知っていること。それは、いったいなんなのだろう。航は市鷹たちに振り返りながら、大地に文句を言いたい気持ちをひとまず呑み込んで、彼のあとを追った。
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