2【繋がる心】~小笠原浬~

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 浅井兄弟の本日の勝敗は決した。部長である市鷹が勝利を獲得し、将鷹は惜しくも敗れてしまったが、実に内容の濃い、見応えのある試合だった。  市鷹と将鷹が二人揃って織田の元へ駆け寄り、正座をして頭を下げている。これは教えを乞う為だ。  こういった場合、大抵、織田はアドバイスをくれ、良質な試合をすれば褒めてくれる。悪い試合をすれば説教をされる。しかし当然ながら、今日の浅井兄弟の試合に余計な言葉は必要なかったようだ。 「二人ともお見事! それだけだ。次行け」  織田は満足げだ。市鷹と将鷹は「ありがとうございました! 失礼します!」と言って、下座側の畳に戻って来る。将鷹は悔しそうに肩を落としていた。それに気付いているのだろう。市鷹は彼の健闘を讃えるように防具を付けたまま、無言で将鷹の肩を一度だけ、ポン、と叩いた。すると、それに応えるようにして、将鷹も右手を上げる。  彼らは兄弟であり、チームメイトであり、良きライバルなのだ。日頃から切磋琢磨し、互いを認め合い、高め合う存在。どちらが勝っても負けても、例え勝率が偏っていようとも、その関係が壊れることはないのだと聞く。浬はそれを聞いた時、彼らと彼らの関係に深く心酔し、憧れと尊敬の念を抱いた。  さて、試合場では二年生の羽柴と、同じく二年生の斎藤(さいとう)永太(えいた)の試合が始められるところだった。 「なぁ、浬。次、行ける?」 「おれ?」 「うん。試合、行こうぜ」 「オッケー!」  不意に航から声をかけられ、浬はそれに応える。航は既に面を付け始めていた。面金の間から見えている彼の目が一瞬、細くなる。その表情を見た途端に、浬の胸は高鳴った。 浬は頭に手拭いを巻いて被り、急いで面を被る。固く結んだ面紐を後頭部の辺りでしっかりと締め、整える。  航とは試合稽古でもう何度か手合わせをしているが、実はまだ一度も勝敗がついていない。航に一本を取っても、取り返されて引き分けで終わり、一本を取られて何とか取り返しても、もう一本はなかなか打たせてくれない。  羽柴や佐伯はそんな航と浬を「互角だ」と言うが、浬はそれとは少し違った感覚でいた。浬は思うのだ。航とは決して互角なわけではない。寧ろ実力は自分の方が劣っているような気もしている。しかし、航と試合をするとき、浬がいつも感じているのは、航との一体感だった。互いに攻め、相手を負かそうと戦っているはずなのに、自分は相手を探り、知ることに楽しさを感じている。それは互いに気持ちを確かめ合っているようでもある。  試合場という空間の中で、航と一つになっている。浬はそう感じているのだ。それは、剣道を長く続けて来た中でも例の無い、不思議な感覚だった。 「メーーーンッ!」 「面あり!」  羽柴が斎藤を相手に一本を取る。ほんの一瞬、動きが止まった斎藤の隙を、彼は逃さなかった。文句なしの面だ。それを見て航と浬は顔を見合わせ、同時に立ち上がった。これはあくまで推測だが、制限時間は恐らく残り一分を切っている。ある程度の経験を積んでいれば、時間の感覚はそれなりに掴めるようになるものだ。ただし、航は経験年数がまだ僅か三年でありながら、経験年数十年の自分と同じ感覚や技量を持っている。浬はそれに深く感心し、航を尊敬してもいた。  彼は運動神経がただいいというだけではなく、確実に剣道のセンスがあるのだ。  やがて、時間を計っていた楓がストップウォッチを掲げて、「時間です!」と声を張る。試合は羽柴の一本勝ちで終わった。二年生の中では恐らく羽柴の右に出る者はいなかったが、斎藤は時たま、とてつもなく調子のいい時があって、羽柴に勝つこともあった。ただし今日はうまく調子が出なかったようだ。 「勝負あり!」  佐伯が赤旗を上げて言ったのと同時に、羽柴と斎藤が蹲踞(そんきょ)をして、竹刀を収め、試合場から出る。いよいよ自分と航の番だ。航は浬を一瞥すると、赤旗の方へ向かっていった。
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