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それは七月の半ば。体育館内は静まり返っている。窓からは、鬱陶しいくらいに日が差し込み、外からはセミの鳴き声がわんわん響いていた。
たった一週間の命を燃やしながら、次の世代へと繋げるために、彼らは今、必死だ。戦うように鳴くその声は、今のこの体育館によく似合っている。中学三年生、小笠原浬はそんなことを思いながら、一人の少年をじっと見つめていた。
約十メートル四方の正方形の中で、必死に戦っている少年剣士のことを。
額にはじんわりと汗が滲む。玉になったそれを首にかけたスポーツタオルで拭う。しかし、拭うそばから、汗はまた滲み始める。
体育館の中は空調がついているのかいないのかわからないくらい蒸し暑かった。空気がこもり、あるいは止まっているかのようだ。アリーナには巨大な扇風機が二台、設置されているが、それはこの真夏の体育館の中ではまさに焼け石に水状態だった。
「せやぁああああ!」
「うらぁぁああああ!」
その暑さの中、会場中に響いたのは、互いを怯ませようと叫ぶ、二人の少年剣士の声。その後、竹刀の剣先を強く弾く音と、袴のこすれる音がした。時折、ダンッ! と足を床に踏み鳴らして威嚇し、互いに攻防を図りながら、ふたりは間合いを詰めたり、引いたりを繰り返している。
「やっぱり、今年も鴨川南じゃないか?」
「あの武田って奴、去年も個人で全国行ってるしなぁ」
「まぁ、決まりでしょ。そもそも船戸二中って、今年はそんなに強くなかったよな?」
背後から、そんな声が聞こえてきた。
夏の総体、千葉県中学校男子剣道大会の個人決勝。今、この体育館にいるほぼ全員の視線を浴びて、一番上座のコートでは、二人の少年剣士が戦っている。勝敗はなかなかつかず、試合は延長戦にもつれ込んでいた。
白いたすきを背中に結んでいるのは、優勝候補である鴨川南中の三年生だ。名を、武田というらしい。
さっき背後から聞こえてきた話によれば、彼は去年もこの県大会を優勝し、全国大会へ行ったらしかった。確かに。彼は相当、強そうに見える。
剣道の経験が約十年近くある浬には、試合が始まる前から彼の強さを想像できた。
使っている竹刀、竹刀袋、身に着けている面や銅、垂れといった防具、その付け方、立ったときの姿。それらを見れば、たいてい、その人間がどれほど強いのかはわかってしまうものだ。
そして試合が始まれば、その予想は思った通りに的中する。間違いなく、武田は全国大会へ行っても通用するほどの、強い剣士だった。
だが今、浬の目を奪っているのは彼ではない。武田と対峙しているもう一人の少年の方だ。腰に付けられた垂れの真ん中。そこにある名前を見ると『朝比奈』とあった。それが彼の名前のようだ。
船戸二中、朝比奈――。
武田に引けを取らない身なりに、真っすぐ伸びた高い背。前年度優勝者の武田を相手にしながらも果敢に攻める戦い方や、足さばきは見事だった。
なによりも、真っすぐで宙を飛ぶような面の打ち方に、浬は目が釘付けになっていた。この試合場の中で、いっせーのせ、で面を打たせれば、彼に敵う者はいないのではないか、とすら思えた。
「……っ小手ぇえ!」
武田が小手を打って、どうだ、打ったぞ、と言わんばかりに審判にアピールしている。しかし、それは明らかに竹刀の鍔元に当たったような音だった。試合場に立つ三人の審判の旗は下げられたまま、左右に振られる。やはり一本にはならなかったようだ。だが、周りからは大きな拍手が起こる。
この試合はどちらが勝っても不思議はない。朝比奈も、武田も、実力の差はそう大きくないように、浬には見えるのだ。けれど、試合を見守る観客のほとんどは、おそらく優勝候補の武田が勝つことを望んでいた。一人、一人に聞いて回ったわけではないが、わかる。全体的に、そういう雰囲気なのだ。
「どうせまた武田なんだろうから、さっさと終わりにしてほしいよな」
「だよなぁ。早く帰ってゲームやりてえ」
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