3【憧れの存在】~朝比奈航~

4/4
131人が本棚に入れています
本棚に追加
/203ページ
「なーに言ってんだよ。俺はお前のこと好きだし、信頼だってしてるよ」 「ほんと?」 「当たり前だろ」 当然だ。航は浬も、浬の剣道も好いている。信頼だってしている。その理由にはまず、単純に人間として彼を魅力的に感じ、好ましく思っている、ということがある。 素直でどこか可愛らしくもあり、極めて真面目。その彼の美しい剣道と、技の数々。それらを航はとても好いていた。しかし、それだけではない。航が浬に絶大な信頼を置いている理由は、もう一つある。航は浬との間に不思議な相性のようなものを感じているのだ。それは、彼と対峙した時に得る、一体感のせいだった。 目で見えない何かで繋がっている。そういう感覚が、彼と戦っている時にはあるのだ。彼という人間とその思考を感じて、自分達にしか知り得ないチャンネルで繋がって、心を通わせている。航は浬と対峙する度に、そんな風に感じていた。  初めてだった。今までこんなことを思える奴なんて、出会ったことなかった……。 「俺はお前となら、戦に出られると思う」 「戦? 戦って――関ヶ原とか、桶狭間とか?」 「そう」 ちょうどそんな感じだ。浬となら航は、周囲が敵だらけの戦場にも出られる。背中を預け、信頼し、共に戦える。浬となら、それができる。 そう思える存在は、航にとって多くはいない。浬以外にいるとすれば、羽柴くらいなものだ。いや――、羽柴の場合はどちらかといえば世話を焼かせてしまうだけのような気もするので、やはり浬とは少し違っている。 この先、自分が成長することによって、そういう存在は増えていくのかもしれないが、とにかく今、航にとって浬は特別であり、貴重な存在だった。 「俺は浬を信じてるから」 「へへ……。おれも。戦の予定がないのは残念だけど」  航の言葉に、浬はふにゃりと笑みを浮かべる。嬉しそうに緩んだ頰を赤らめて言った冗談は実に好ましかった。しかし航は彼に真剣な眼差しを向ける。 「あぁ。でも、俺達にはインターハイがある」 「え――」 「インターハイで、一緒に戦える」  市立船戸高校で最高のチームを作り、インターハイへ行く。それが、航の夢だった。中学時代、廃部になりかけの剣道部で一生懸命に稽古をした過去に悔いはないし、羽柴に散々世話を焼いてもらって、個人で全国総体の県予選の決勝まで勝ち上がったこと、その結果にも航は納得している。だが、中学ではどうしても叶わなかった夢があった。環境と運に見放され、自分一人の力では届かなかった場所があったのだ。  しかし、突然そんなことを言われて驚いたのかもしれない。浬は呆気に取られて航を見つめていた。 「あ――、ごめん。今のは、ちょっと勝手だったよな」  そもそも、浬は部活動すら初めてなのだから、『インターハイへ行く』という航の夢を押し付けられるのは、少々重かったかもしれない。つい、一人で熱くなってしまった――と思ったが、しかし。浬は我に返ったようにパッと表情を明るくすると、すぐに目を輝かせた。相変わらず、頰も紅潮している。 「お……っ、おれも同じっ! おれも、航と一緒ならどんな強い相手とだって戦える! 全国だって行ける!」 「ちょっ……、声デカいって……!」 「あ、ごめん……!」 その言葉には感激したものの、浬があまりに声を張るので、航は慌てて人差し指を立てて眉をしかめた。浬はハッとして口を噤んでから、きょろきょろと周囲を見渡している。それから咳払いをして、冷静さを取り戻すと、真っ直ぐに航を見つめて今度は静かに言った。 「おれも、航と一緒にインターハイに行きたい」 「浬……、本当か?」 「うん。おれも、同じ気持ちだから」  浬の澄み切った瞳や、航へ真っ直ぐに向けられる強い眼差しからは、その思いや言葉に嘘偽りは一切ないということが、確かに伝わってきた。彼もまた、本気なのだ。 「――よし、行こう。絶対」 航は今再び、浬と気持ちを確かめ合い、強い絆で繋がった感覚を得る。途方もなく嬉しくなって、思わず浬の手を取って強く握る。すると浬も笑みを浮かべ、航の手をぎゅっと握り返してくれた。 「約束! やったぁ! やっぱりおれ、航のこと追いかけて船高来てよかったなー!」 「え……、追いかけて――?」 「そう! 去年の総体でさ、航と羽柴先輩が話してるの聞いて、航が船高へ行くって知ったから、おれはこの高校に進学決めたんだもん。航と一緒に、剣道やりたかったから」 それには驚きを隠せなかった。まさか、あの試合と航がきっかけで、彼は大切な進路を決めたと言うのだろうか。 「本当かよ……?」 「うん」 「それが、志望動機だったのか?」 「うん!」 信じられない。しかし、彼の眼差しも表情も、嘘を吐いているようにはとても見えない。浬は真剣そのものだった。 「おれあの頃さ、ちょっと色々あって……悩んでたんだ。でも、そんなの全部どうでもよくなった。航と一緒に、剣道やりたいって思った。今は一緒に強くなって、インターハイへ行きたいって思ってる。おれ、部活は初めてだし、まだ公式戦にも出たことないのに何言ってんだって思うかもしれないけど、でも……航がいるから……」 「浬……」 「航がいて、一緒だから……、できる気がするんだ!」 再び声を張って、浬は言った。しかし、航はそれをもう止めることも、静かにしろ、と咎めることもしない。彼の言葉が嬉しくて、自分と同じ気持ちで共に戦えるチームメイトがいることに感激して、すぐには言葉が見つからないまま、先に手が出てしまった。 航は無言のまま、浬の頭をくしゃくしゃと撫でる。 「あ……っ、航、や、ちょっとぉ……!」 「ありがとうな、浬」 癖毛頭を一頻り弄くり回した後、その一言を口にした。浬はやはり頬を赤らめながら、不服そうに頬を膨らませたが、航が笑みを浮かべると、それに釣られるようにして笑った。 「俺、中学んときは散々だったからさ、こういうのちょっと憧れてたよ。高校に入ったらめちゃくちゃ信頼できる仲間作って、インターハイ目指したいってずっと思ってたんだ。だから、浬が同じ気持ちでいてくれるなら、すっげえ心強い」 「航……」 「俺も、浬とならできる気がする」 「うん……!」  浬の瞳が真っ直ぐに航を捉えている。航もまた、真っ直ぐに浬を見つめる。二人はどちらともなく、再び手をしっかりと握り合った。浬の手の平は熱い。まるで彼の強い思いが、その手に確かに現れているようで、航の胸もまた、そこに火が点いて、一気に燃え上がるように熱くなった。  今や浬は航にとって、仲間――いや、相棒とも呼べる存在だ。共に背中を預け、信じて戦い抜くことのできる存在。航はこの時、浬という存在と出会えたことに絶対的な運命を感じていた。
/203ページ

最初のコメントを投稿しよう!