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それからアイゼンバーグは目の前にある蛇口を捻って出てきた水で体を洗い始めた。そうか水道。アイゼンバーグがここに来たのは水道で身体の血を洗い流すためだったのか。血の臭いに誘われてということだし、吸血鬼だからその類の臭いには敏感なのだろう。
アタシは洗い流されていく華奢な背中を見ながら、傷口には染みないのだろうかとぼんやり考えた。そんな素振りもないからきっと痛くないんだろうけど、深い切り傷と大量出血しているところを見るとホントに大丈夫なのかなと思う。さっきの男の人もだが、こんなになっても生きているというのはすごく不思議なことだ。
彼らは、吸血鬼というのはどんな存在なのだろう。知りたいとは思うが、まぁ知る必要もないような気がする。アタシは巻き込まれただけだから。
そうだ、今なら家に帰れるかもしれない。あれから随分と経ってしまっているのでさすがに家族も心配しているだろう。ここが分からなくてもそう遠く離れているわけでもないだろうし、何しろチャンスは今しかない。
アタシは白い彼の背中を窺いながら、きびすを返した。
「逃げてもいいが、殺されても知らないからな」
踏み出した一歩が、止まる。今何と言った? 殺される? アタシが?
「どういうこと?」
振り返るとアイゼンバーグは頭を垂れて水を被り、髪に飛んだ血をバシャバシャ洗い流していた。髪を通って下に落ちる水が赤を含まなくなると蛇口を閉め、背を伸ばした彼は髪の毛を掻き上げた。その、濡れて輝く純白の髪がひどく美しかった。
「そのままの意味だ。俺から離れれば、ホノカは殺される」
引き込まれそうになっていた意識が一気に引き戻された。
殺されるって、意味が分からない。アタシは彼の顔が見えるところまで回り込んだ。
「何で? アタシは関係ないのに!」
叫ぶつもりはなかったのに叫んでしまった。だって殺されるなんておかしい!
「関係はある。……俺の、吸血鬼の存在を知った時点で関係者だ。俺たちは人間に存在を知られてはいけない。いろいろ面倒なことになるからな。だから知られたらその相手を殺す」
淡々と言ってのける彼にアタシの怒りは増幅する一方だった。
「そんな一方的な! どうしてアタシが殺されるわけ? だって気づかれたのはアイゼンバーグなんだからどう考えたってそっちの方が悪いでしょ!?」
そう、アタシは見てしまっただけで、見られたアイゼンバーグが悪いに決まっている。見たくもなかったものを見て、それで殺されてしまうなんて理不尽にも程がある!
「ハッ。どうして俺が? どうして人間よりも吸血鬼が罰を受けなきゃならない? たかが人間ごときに俺たちが」
ゾクリ、全身が冷たくなる。
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