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プロローグ
アメリカ合衆国ネバタ州南部にある、同州最大の都市ラスベガス――。
ラスベガスは、アメリカ東海岸ニュージャージー州アトランティックシティと並んで、カジノなどのギャンブルで有名な街である(他の国を見れば中華人民共和国のマカオなどもそうだ)。
観光地で賑わう市街地のカフェ。
オープンテラスの席に腰をかけている――中華服を着た少年。
その表情はどこか儚げで、きめ細かい白髪をすべて後ろで三つ編みにしているのが特徴的だ。
テラス席に座っている少年の姿は、まるで人形のように行き交う人々の目に映っているだろう。
初めからそこに飾られた人形のように――少年はただ独り、陽が燦燦と降り注ぐ空を眺めている。
だがしかし、カフェ店員が注文の品を運んでくると、少年の表情は激変した。
一転して目を輝かせて、テーブルに置かれたフルーツ、チョコ、ストロベリー三種類のパフェを見つめている。
店員が「まさかひとりで食う気か?」とでも言いたそうな顔をしながら立ち去ると、少年はパフェと一緒に置かれたスプーンを握り、まずはストロベリーパフェから手を付け始めた。
先端のクリームと、乗っているストロベリーをすくいとり、口いっぱいに放り込む。
そして、ニッコリと――まるで天使のような笑顔を見せた。
「ねえねえ、あれ見てよ! チョ~かわくない?」
「ホントだ! 必死になってパフェ三つも食べてるぅ!」
二人組の女性が、少年の姿を見て近づいて来る。
女性たちは日本人だった。
そのせいか欧米人とは違い、年齢も二十歳後半くらいとわりと若く見える。
実際の彼女たちは、日本で事務職をやっているOLだったが、そんなことを少年が知るわけがない。
いつの間にか、隣の席に座っている二人組の女性に挟まれ、少年は困った顔をしている。
「あたしたち日本人なんだけど、君も同じ?」
「ちがうって、チャイナ服を着ているんだから中国人でしょ?」
「でもさでもさ。顔からして日本人っぽくない?」
女性たちは観光で来ているのだろう。
ハイテンションな気分になっているせいか、初対面の少年に対して気安く話をかけ始めた。
行ったこともない土地での解放感――ましてや海外旅行ならよくある光景だ。
「ねえ、写真撮っていいかな?」
そう言った女性の一人がスマートフォンをかざした。
「日本語で言ったってわかんないでしょ。ちゃんと英語で訊かなきゃ。あっ! でも、この子中国人だっけ?」
「大丈夫大丈夫。ボディランゲージで伝わるって」
彼女たちは非言語コミュニケーションを使って、なんとか少年に撮影させて欲しいと伝えようとし始めた。
日本語も英語もわかるよ――少年は滑稽に手を動かして伝えようとしている彼女たちを見て、内心でそう思った。
だが返事はせず、ただ黙々と三つのパフェを食べ続けている。
さらに少年は、あまりにもしつこい二人に向かって、フルフルと首を横に振った。
「え~今のって、ダメってことなのかな?」
「きっとちゃんと伝わってないんだよ。わかってもらえるまで訊こう」
だが、彼女たちは諦めずに、また滑稽な非言語コミュニケーションを始める。
少年はもう無視することにして、三つのパフェを黙って食べ続けていた。
「それにしてもかわいいよね、この子」
「うん、髪なんか真っ白でアニメのキャラクターみたい。でも、なんだろう? お店のイベントとか何かのショーの出演者かな? だから写真はNGとか?」
「別によくない? フェイスブックにあげるなら宣伝にもなるわけだし、売り上げ貢献になるんじゃね?」
少年は、そんな二人を見て、ブルブルと先ほどよりも強く首を振った。
「ハイ、チーズ! パシャ!」
彼女たちの非言語コミュニケーションは少年に伝わったが、どうやら少年の非言語コミュニケーションは伝わらなかったようだ。
ダメだ、わかってもらえない――とがっくり肩を落とす少年。
彼女たちは勝手に少年にくっついて、ポーズを決めながらスマートフォンで写真を撮っていく。
「次はあたしね」
2人に挟まれ、押し潰されそうになる少年。
そのときカフェの向かいの高級ホテルから、一人の男が現れた。
がっちりとした体格の白人男性。
金髪のリーゼントを誇らしげに手でいじりながら、少年と女性二人の近くへと向かってくる。
だが、女性たちはそんなことには気がつかず、スマートフォンで撮影を続けていると――。
轟音とともに、少年たちがいたカフェが吹き飛んだ。
猛烈な爆風が、スマートフォンをかざしていた女性たちを吹き飛ばす。
店の窓ガラスや壁の破片がもの凄い速度で飛び交い、通りを歩いている観光客たちを巻き添えにした。
一瞬にして、陽気な雰囲気の観光地が地獄絵図となった。
黒煙が立ち込め、血を流して叫んでいる人間があとを絶たなかった。
だが、その中で独り――白髪の少年だけは微動だにせず、席に座ったままだ。
まるで爆風が少年のことだけを避けたような、そんな光景だった。
少年のほうへ向かって来ていた金髪の男がニヤッと笑う。
「さっさとずらかろうぜ」
その言葉を聞いた少年がコクッと頷くと――。
「た……た、たすけて……」
先ほど少年のことを写真で撮っていた女性の一人が、彼の中華服のズボンを引っ張って呻いている。
彼女の胸や腹部には、窓ガラスや壁の破片が深々と突き刺さっていた。
流れている血の量を見る限り、もう助かりそうもない。
彼女はそれでも必死に少年にすがりついていて、側にあったテーブルにぶつかる。
テーブルの上にあった食べかけパフェが転がり、そのまま地面へと落ちてしまった。
少年は悲しそうな顔をしてかがんだ。
女性は助けてくれるのかと思ったのか、なんとか自分の手を前に出す。
だが、少年の目に映っていたのは――。
「僕のパフェ……まだ食べてたのに……」
地面にこぼれてしまった三つのパフェだった。
「そんなもん、またいくらでも食わしてやるよ」
金髪の男が言うと、少年はギッと睨みつけた。
「そういうの嫌い……食べものを粗末にするのはよくないって、パパが言ってた」
その怒気の孕んだ言葉を聞いた男は、軽く頭を下げると「ほら行くぞ」と声をかけ、歩き出して行く。
少年は、名残惜しそうにパフェの残骸を見下ろしてから、男の後について行った。
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