スーパームーンの夜に

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 斜め上すぎる告白に、俺は言葉を失った。  ヴァンパイア……だって?  そんな。それって、人間が作り出した架空の存在じゃねぇのかよ。 「すみません」  びっくり顔のまま固まっている俺を見て、そいつは小さく頭を下げる。 「驚かせてしまいましたね」 「あ、いや……」 「皆さん、同じ反応をされます。この国では特に」 「日本では?」 「えぇ。アメリカ、と言いましたか。あの巨大な大陸国では比較的受け入れてもらえるのですが、この国ではどうも」  肩をすくめるそいつに、俺は一瞬返答に困った。 「だったらアメリカに行けばいいだろ」  今の話を信じるかどうかはひとまず棚上げして、思ったままを口にする。そいつは笑った。 「おっしゃるとおり。でも……今はまだ、この地を離れたくないのです」  肩を上下させながら、苦しげな呼吸を繰り返す。このまま放っておけば本当に死んでしまいそうだと、背筋にヒヤリと嫌なものを感じた。 「今から五十年ほど前でしょうか」  月明かりの下、気持ち大きめに息を吐き出したそいつは、ゆっくりと語り始めた。 「アメリカにいた頃、とある女性と出逢いました。黒い髪の美しい彼女は日本という島国の出身で、名をマリというのですが」 「ちょ、ちょっと待ってくれ」  スラスラと話を進めていくそいつを、遮らずにはいられなかった。 「五十年前って……あんた、今いくつなんだよ」 「さぁ、正確な歳はわかりません。二百年ほど生きていることは間違いないのですが」 「二百!?」  おいおい、何を言っているんだ。二百年前っつったら、日本じゃ江戸時代だぞ……? 「基本的に、ヴァンパイアは生き血さえ吸っていれば命を落とすことはありません」  俺の心を読んだのか、そいつは淡々と説明を始める。 「太陽の光を浴びると砂になるとか、銀の弾丸で撃ち抜けば倒せるとか……そういった特徴を押さえて我々を殺しにかかれば確かに死にます。ですが、人間とは違い、我々には寿命という概念が存在しません。自然と命の火が消えるのは、血を飲むことをやめた時くらいでしょう」 「……じゃあ」  解説を聞き、俺は一つの可能性に思い至る。 「あんたが今死にかかってるのは、血を飲んでいないからってことか」  うなずく代わりに、そいつはうっすらと笑みを浮かべた。 「一ヶ月前……マリが亡くなりました」  哀しい響きを伴って、そいつは再び語り始める。 「七十一歳の誕生日を迎えた翌日のことでした。五年ほど前から患っていた病が急に悪化したのです。それから三日と()たず、彼女は」  そいつは静かに目を伏せる。俺も心の中で、顔さえ知らないマリさんの冥福を祈った。 「誰かを心から愛したのは、彼女がはじめてでした」  ゆっくりと開いた碧い瞳で、そいつは愛おしそうに遠くを見つめる。 「私がヴァンパイアであると知っても、彼女は驚きませんでした。むしろ彼女は、自らの意思で私に血を分け与えてくれたのです。異種族間の恋は成就しないというのが定石ですが、私は……彼女の傾けてくれた優しい愛情と、自分の中に芽生えた彼女への想いから、目を逸らすことができなかった」  爽やかな夜風が、そいつの銀の前髪をふわりと揺らす。俺は言葉を挟むことなく、じっと話に耳を傾けていた。 「アメリカの片隅に、ヴァンパイアの暮らす集落があります。そこでは古くから血液の供給ラインが確保されていて、我々は人や獣を襲うことなく生き(ながら)えることができました。そんな守られた暮らしを(なげう)ってでも、私はマリとともにいたかった。彼女が祖国へと帰る時、私は逆に故郷を捨て、彼女とともにこの日本へ移り住むことに決めたのです」  マリも喜んでくれました、とそいつは嬉しそうに微笑んだ。 「マリは私のすべてを受け入れてくれました。血さえ飲み続ければ不死身の私ですから、人間であるマリにとっては自分だけが老いていくことになります。それでも彼女は、夜にしか活動できない私のライフスタイルに合わせて生涯を送ってくれました」  具体的なエピソードを聞かずとも、マリさんの想いの強さは十分すぎるほど伝わってきた。彼女もきっと、この吸血鬼のことを心から愛していたのだろう。  長く話したせいか、吐き出す息がどんどん苦しそうになっていく。 「マリとの生活は、とても幸せでした。特別な何かをしたというわけではありませんが、彼女の隣にいられること……ただそれだけで十分だった。なのに」  視線が下がり、綺麗な銀髪が目もとを覆う。 「マリは人間です。当然、いずれ寿命を迎える。先ほども言いましたが、一ヶ月前のことでした」  一度目を伏せてから、そいつは自嘲気味に笑った。 「彼女と死別して以来、私は誰の血も飲んでいません。結果、このザマです」  そこまで話し終えると、そいつは背中を丸めて咳き込んだ。けれど、放たれるオーラは負のそれではなく、幸福の色に満ちあふれているように感じた。  ふぅ、と息をついたそいつの顔からは、すっかり血の気が引いている。いよいよやばいのかもしれないと、俺は慌ててそいつに尋ねた。 「あ、あんたたちって、その……どのくらいの頻度で血を飲まなきゃなんねぇの?」 「週に一度は。コップ一杯程度の量で十分なのですが、摂取期間があいてしまうとからだに不調が現れます」  なるほど、人間で言うところの薬と同じようなものか。  しかし。 「週に一度って……」  そうだ。話によれば、こいつはマリさんが亡くなって以来血液を飲んでいない。つまり、本来なら少なくとも三回は摂取していなければならないところなのだ。 「やばいじゃねぇか! 早く血を……血を飲まねぇと!」  わかりやすく動揺している俺を、そいつは睨むように見る。 「私に人間を襲えと言うのですか」 「そうじゃねぇけど……てか、人の血じゃなきゃダメなのかよ? 他の動物ならどうだ?」 「冗談でしょう。獣の血なんて、臭くてとても飲めたものではありませんよ」  そういうものなのか。けれど確かに、血なまぐささの残るヘタくそな肉料理を思えば、そいつの言うこともわからないではない。 「もう、いいのです」  やがてそいつは頭を塀に預け、潤んだ瞳で夜空を見上げた。 「朝までここにいれば、太陽の光が私を砂に変えてくれる……私もマリと同じように、死ぬことができます」  そいつはぐらりと双眸を揺らした。碧眼に浮かんだ涙で、月の光が乱反射する。  その虚ろな瞳に、俺はどうしようもなく胸が苦しくなった。  この男は、はじめからこうしてここに座り込んでいたわけじゃなかった。むしろ、どこかへ向かって必死に歩いているようだった。  今さっき紡がれた言葉にも、明らかな迷いの色が見て取れた。もういいなんて、本当は思っていないかのような響きで。  だとしたら。  このまま黙って見過ごすわけにはいかない。 「……ちょっと待てって」  低く出した俺の声に、二つのエメラルドブルーが動く。 「なに勝手に生き急いでんだよ」  キッと鋭くそいつを睨み、はっきりと言ってやる。 「なにが『朝までここにいれば』だ。――死にたいなんて、全然思ってねぇくせに」
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