スーパームーンの夜に

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スーパームーンの夜に

「ねぇ、ユウキ」  思わず目を細めてしまうほど輝かしい満月の光をたっぷりと浴び、そいつは俺に向かって言った。 「まぶしいです」 「あぁ、そうだな。今日の月は普段よりも三十パーセント明るいらしいぞ」 「スーパームーン、でしたっけ」 「そう。何年かに一度、月と地球の距離がぐっと近くなるタイミングが巡ってくるんだと」 「それが、今夜」  うなずいてやると、そいつは満足げに笑って夜空を見上げた。  午前零時、廃ビルの屋上。  七月にもかかわらず真っ黒な衣服で肌を覆い、俺の隣で膝を抱える銀髪碧眼の美しい横顔が、いつになく嬉しそうに見えるのはなぜだろう。 「ユウキ」 「あん?」  一拍置いてから、そいつは言った。 「太陽の光は、もっとまぶしいのですか?」  俺が目を見開くと、そいつの顔から、喜びの色が消えた。  俺がその男――レオと出逢ったのは、今から二ヶ月ほど前の話だ。  大きな商談を翌日に控え、気づけば日付を跨ぐ寸前まで会社に居残ってしまった夜。  どうにか最終バスを捕まえ、最寄り駅にたどり着く頃に日付が変わった。  綺麗な満月の輝く夜で、街路灯の光の途切れる場所でも、俺のたどるべき帰路を明るく照らし出してくれていた。  月明かりの道をぼんやりと進んでいると、前方に人影が見えた。こんな時間に、珍しい。  民家を囲うブロック塀に寄りかかり、ぐっと背中を丸めているのがシルエットでわかる。酔っぱらっているのだろうか。あるいは純粋な体調不良か。 「ちょっと」  小走りで近づき、丸まった背中を軽く叩きながら声をかける。 「大丈夫ですか?」  それほど大きくなさそうな男性だった。どちらかというとからだの線も細めだ。全身の肌を覆い尽くす真っ黒な衣服に身を包み、頭には羽織っている丈の長いパーカーのフードをすっぽりとかぶっていた。 「あぁ……、すみません」  かすれ気味の声を絞り出し、男はゆっくりと顔を上げた。 「どうぞ、お構いなく」  その顔を見て、俺はこの上なく驚いた。  月の光が照らし出すのは、幻想的なエメラルドブルーの瞳。沖縄の海を想起させる、透き通った美しい(あお)。  はっきりとしたその双眸の下には、すぅっと筋の通った鼻に、きゅっとしまった小さな口。  そして、目もとにかかるやや長めの前髪は、輝かしいシルバーだった。  二十代前半、あるいは十代後半だろうか。  ハーフやクォーターでない。流暢な日本語を操っているが、男の俺でもうっとりしてしまいそうになる見目麗しきこの人は、紛れもない外国人だ。 「お構いなく、って……そんな、放っておけませんよ」 「いいえ、無視していただいて結構です。あなたが私にできることなど、何もありませんから」  耳に心地よいテノールボイスだったが、その言い方は聞き捨てならなかった。  ついムッとしてしまって、俺はジッと彼を見下ろす。 「息、苦しいんでしょ? 救急車呼びます?」 「無駄です。医者に治せるものではありません」 「は? ……じゃあどうすりゃいいんですか」 「言ったでしょう、無視してくださいと」 「それができないから訊いてんでしょうがっ!」  感情のままに声を荒げると、男の碧眼が見開かれた。 「放っておけるわけないだろ! こんな……今にも死にそうな人を見捨てるなんて。本当に死なれたら後味悪くてたまんねぇって」  言いながら、ひとまず男の背を塀にもたれさせ、ゆっくりと地べたに座らせた。立ったまますったもんだを続けるよりはいくらかマシだろう。  顔面蒼白な男の前にしゃがみ込み、俺はそいつを覗き見ながら問う。 「医者には治せないって、どういう意味ですか」  いわゆる末期ガンのように、手術でも投薬治療でも手に負えないところまで病状が進んでしまっているということなのか。あるいは、現代の医療では歯が立たないほどの難病を抱えているのか。  やがて男は、力なく首を横に振った。 「(やまい)ではありません……私は、人間ではないのです」  ぽかんと口を半開きにした俺に、そいつは哀しげな笑みを浮かべて言った。 「私は吸血鬼(ヴァンパイア)……生き物の血を吸って、(せい)を保っている者です」
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