2.尚親と桔梗

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「そなただけでも気に入ってくれて良かった」 「しょうがありませぬ。紫は私を思わせるのでしょう。それにご正室様は今、身重(みおも)のようですから……」 「何!?」  思わず腰を浮かせる。 「そなた、淡雪の懐妊を知っておったのか?」 「はぁ。淡雪様のお腹が、以前より少し膨らんでおりました故……」  桔梗はキョトンとした表情で見つめ返す。 「その事、他言したか?」 「いえ」 「なら、内密に頼む。そなたの義父はもちろんだが、そなたの侍女にもな」 「……」 「どうした?」 「淡雪様がおっしゃっておりましたが……尚親様は、七年前の事件が加野家の仕業だとお思いでしょうか?」 (堂々と訊くのだな、この娘は)  通孝がしづを『素直』で『純粋』だと言っていたのを思い出す。『可憐』や『聡明』な部分については初日に気付いていたが、こういうところが素直で純粋だと思わせる所以(ゆえん)だろう。   「加野家の仕業と断定しているわけではない。が、通孝は信用出来ても、加野家を全面的に信用してはおらんな」 「それは何故に?」 「七年前の事件当夜、儂は父上同様いつ死んでもおかしくは無かった。小沼の(げん)を鵜呑みにすれば、あの時儂が死んでいれば加野家にとって、ひいては今川家にとって利があるだろう。しかし、通孝が儂を命懸けで守ってくれた故、奥寺まで逃げ延びることが出来た。加野家が下手人であれば、通孝は加野家の意に反したことになる。これが加野家の仕業と断定できぬ所以だ」  桔梗は静かに頷く。 「しかし今回儂が上地に戻ってこれたのは、小沼のおかげだ。父の死後、上地を守ってきた尚満叔父上のお加減が、急に悪くなったというきっかけがあったものの、小沼が儂を呼び戻す手配をしなければ、七年前に儂が死んだのとさほど変わらぬ状況が続いていただろう。つまり、儂が上地へ戻って来られぬまま尚満叔父上が亡くなっていたら、この上地がどうなっていたのかわからぬ……という意味では、通孝が儂のそばに仕えていたからと言って、加野家を全面的に信用はできぬ、ということじゃ」  試すような目で桔梗をじっと見た。ここまでのことを、側室の桔梗に打ち明けるつもりは全く無かった。何せ形ばかりの側室だ。桔梗こそが手放しで信用のできぬ加野家の娘なのだから。  しかし桔梗の素直さや純粋さが、己を雄弁にさせた。  尚親が桔梗を、或いは加野家をどう見ているのかについて全く興味を示さなければ、桔梗からこのような質問が出てくるはずがない。側室になったその日に突き放すような宣言をした己に対して、純粋に真向から心の内を訊いてきた桔梗に、己を理解して欲しいという欲が咄嗟に出てしまったのだ。 (そなたは儂の味方か? それともやはり加野の娘か……)  水が土中へじわりじわりと染み渡るような時が流れ、桔梗は一度ゆっくり瞬きをすると、真っ直ぐこちらを見返した。 「殿のお気持ちが今やっとわかったような気がします。そして私の使命も」 「ほぅ」 「淡雪殿がお産みになる殿の子を、微力ながら側室としてお守りしたいと存じます」  そう言って桔梗は深々と平伏する。 (儂の味方になるというのか?)  その言葉が嘘か真か、この場で問いただしても何の意味もないことはわかっていた。が、桔梗に加野家を疑っているとはっきり言い、それを理解した上で尚親の信頼を得ようとした……という事実が重要だ。  桔梗がこう宣言した以上、この先淡雪とお腹の子に何かあれば、真っ先に疑われるのは彼女だ。離縁は免れない。それを覚悟で「尚親の子を守る」と宣言したのだ。 (通孝が惚れるわけだな……)  あの頃はただ、通孝の幼子に対する溺愛ぶりが気持ち悪いと思っていたのだが。気が付けば、深々と平伏したままの桔梗の頭に触れようとする己の手を、慌てて引っ込めていた。  改めて、己の手が目の前の健気な女子一人も幸せに出来ないのだと、思い知るのだった――
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