63人が本棚に入れています
本棚に追加
翌朝。登校前の忙しい時刻に、突然の来訪者を告げる玄関のピンポーンという音が鳴った。扉を開けた母親は、洗面所で歯を磨いていた私の元へやってくると、
「直緒、男の子が迎えに来てるけど……」
と言って困惑していた。私は思わず口の中の物をぶちまけそうになる。
昨日の下校時、家の方向が真逆なのにも関わらず、家まで送ってくれた彼に対して、「そこまでしなくても……」と言ったのだが、あれはほんの序章に過ぎなかったのだ。
「三沢君!?」
「井上先輩! おはようございます」
「お、おはよう……じゃなくて、ここまでしなくてもいいんじゃないかな!?」
「何を言いますか! あの厚かましそうなタイプには、このくらいした方がいいんですよ」
(厚かましい?)
確かに浅井先輩は厚かましかったが、今目の前にいる三沢君も大概じゃないのかな!? と、ツッコミたい気持ちを必死で抑えた。
「あの人が先輩に付き纏わなくなるまでの辛抱ですよ! 先輩」
「そ、そう?」
「そうです。井上先輩が俺と付き合ってるとわかれば、もう近づかないかもしれませんし」
「つ、付き合ってる!?」
「振りですよ、振り。先輩は他に勘違いされて困る人とかいるんですか?」
「勘違いされて困る人?」
「例えば……先輩の好きな人、とか」
そう言った三沢君は、またお得意の捨てられた子犬のような目をしていた。
いや、彼には自覚が無いのかもしれないが、私には何故かそう見えてしまうのかもしれない。
(だからその目はズルいんだって……)
「べ、別に困る人はいないけど……」
「良かった! じゃあ今日から先輩を、『直緒先輩』って呼んでいいですか?」
(うぉおい!!!)
さすがにそこまでは厚かましいと思ったが、三沢君の表情がこの上無く満面の笑みだったので、それ以上何も言えなくなってしまった。
基本的に三沢君はいい後輩ではあるので、恋人の振りがメチャクチャ嫌なわけじゃ無い。それに誤解されて困るような人がいないのも真実だ。ただ周囲の人間がこの状態を見てどう思うのかが、ちょっと面倒臭いなと思うだけで……
「好きに呼んで」
「やった!!」
諦めの境地のような、根負けしたような形でつい、そう言ってしまった。しかしこの判断が、後に甘かったと思い知らされるのを、この時の私はまだ知らなかった――
最初のコメントを投稿しよう!