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4.口実
「桔梗の方様。息災でございましたか?」
「通好殿。お久しぶりでございます」
桔梗の後見であり義理の父でもある、伯父の加野通好が桔梗の住まいを訪れたのは、桔梗が嫁いでから半年程が経った頃だった。
「その後、尚親様とは仲睦まじくお過ごしですかな?」
「それなりに」
笑顔で答えるものの、尚親の話を聞いた後では伯父の真意を測りかねる。
『……通孝が儂のそばに仕えていたからと言って、加野家を全面的に信用はできぬ、ということじゃ』
尚親は、七年前の謀反人の容疑者から通好を外していない。一見、通好の息子である通孝が尚親をずっと守ってきたようにも見えるが、加野家の人質となっていた可能性も捨てきれないようだ。尚親が上地谷に戻って来れぬよう、ずっと通好が通孝を使って隔離していた――という見方も出来るからだろう。
(そしてこの私も伯父上同様、尚親様に信用されておらぬ)
いくら口先で「信じて欲しい」と言ったところで、信じて貰えるほど世の中甘く出来ていないのは、理解済みだ。
「ほう、それはめでたいですな。ご正室様がおられます故、案じておりましたが……。正室は無理でも、上地の嫡男を産むことは出来ます。期待しておりますぞ」
「……」
どうやらまだ、正室である淡雪の懐妊は通好の耳に入っていないらしい。尚親に言われた「桔梗を抱くことはない」という宣言も、決して伯父に知られるわけにはいかなかった。とびきりの笑顔を浮かべて「お任せください」と言う。
「頼もしい返事じゃ。今日は桔梗の方様に会えて良かった。最近は評定で揉めて、くさくさしておりました故」
「何かありましたか?」
「桔梗様にお聞かせするような話ではございませぬが、今川は東国での戦の準備をしておるのです。相手は北条家。それで先日、上地も兵を出すよう今川様からお達しがありましてな」
「何と。それは大きな戦になりそうですね」
「その兵の数で、家老の小沼と意見が割れておるのです。まぁ、意見が割れるのは、今に始まったことでは無いのですがね」
「今川様は何とおっしゃっているのですか?」
「二千出せと。ですがここから戦場までの距離、そして時期を考えてみてもさすがに二千は無理なので、せめて千で出兵すべきと申し上げたところ、小沼は『断固出すべからず』と」
「一兵も出さなかったらどうなります?」
「謀反の疑いをかけられますな。上地家が危ううなります」
「殿は何と?」
「尚親様は困っておられるようでしたな。通孝が付いておるのでこちらの言い分は吟味しておるでしょうが、それよりも舅同然の小沼とその一派に手を焼いておるのでしょう」
「その一派?」
「はぁ。この上地谷を作ったとされる天涼川が、数年に一度大氾濫をするのはご承知でしょう。二年前の氾濫の時、上地谷が大きな被害を出し、その時の当主尚満様が今川家にご助力を求めましたが、全く応じて貰えず……その時のことを根に持ち、皆小沼に加担しているのです」
そう言って腕を組み、通好は苦渋の顔で天井を見上げた。二年前も恐らく通好が今川家との橋渡しとして交渉していたに違いない。今川に助けを断られたという旨を伝えたのも、この通好なのだろう。
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