天使は甘いキスが好き

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『鈴!?』  上村は息を呑んだ。 「祐太」 『…鈴はどうした』  静かな怒りが、電話の向こう側でも感じる。 「鈴が、喘息の発作を起こしてる。薬が無いんだ」 『今そっちに向かってる、救急車呼んだか!?』 「呼んだ。助けてくれ、鈴が死んじまう」  声は泣き声に変わっていた。  遠くでサイレンが聞こえる。上村は、鈴が息をしていない事に気付いた。 「くっそ、どのアパートだよ!!」  平片は自転車を乗り捨て、三棟並んだアパートを眼で追った。男が二人飛び出して来る。そこへ警察が叫んで追いかけて行く。男は遠目だったが、鈴を連れ去った人間で間違いない。平片は開いたままのドアを見付けて駆け出した。 「鈴っ!」 「祐太!」  靴のまま飛び込むと、泣きながら鈴を膝に乗せていた上村にかっと怒りが湧いた。 「息をしていない!」 「どけっ! 俺の鈴に触るな!」  突き飛ばされた上村は泣きながら震えている。ぐったりとした鈴を平片は双眸に涙を溜めながら、鈴の唇に耳を近付ける。 「息をしろ! 頼む鈴っ!」  心臓マッサージと人工呼吸を繰り返す。 「急患は何処ですか!?」  救急隊員が到着して、アパートの周りにはいつの間にか野次馬が来ていた。「息をしていないんだ!」 「そこをどいて下さい!」  平片は泣きながらその場を離れると、上村の胸ぐらを掴み上げて、怒りに任せて顔を殴った。 「鈴になにしやがった!? もしこいつが死んだらてめぇを殺してやるからなっ」 「っ!」  びくっと震えた上村は放心状態で鈴を見詰める。他の救急隊員がギョッとする。が、まずは急患だと平片に声を掛ける。 「君、この子の家族かな? 何か病気とかもっていないか知りたいんだけど」「離れて!」  平片と上村がびくりとする。先に駆け込んで来た救急隊員が、AEDを使用している。 「喘息の発作で」  上村が痛む顔を抑えながら伝える。ダンっと音がして鈴の身体が一瞬仰け反った。そこへ『人工呼吸を行って下さい』と、機械のアナウンスが流れる。救急隊員の処置で、鈴は咽て身体を横向きに変え、空気を求めて喘いだ。担架が運び込まれて鈴が乗せられる。 「鈴っ」  平片は一緒に救急車へ乗り込んだ。携帯を手に太一へ連絡を入れる。鈴は呼吸器マスクを着けられたが、苦しいのか嫌がった。却って息がし辛いようだ。「何か口にしていないかな」 「解りません」 「おかしいな、意識が戻らない。まるで眠っているみたいだ」  救急隊員が二人顔を見合わせた。  鈴は今だ苦しげにしている。 「薬…」   上村へ視線が集まる。上村は救急車の開かれたドアの前で立ち尽くしていた。 「あの男達、鈴に何か薬を嗅がせてた! 何回か起きないように」 「直ぐに病院へ運びます」 「鈴」  平片は鈴の手を握り締めた。 『鈴はお兄ちゃんだもんね』  年下の従弟の世話を頼まれて、学校へ上がったばかりの鈴は、少女のような愛らしい恵の遊び相手にと、祖母の家に連れて来られた。 『鈴ちゃんお人形みたいで綺麗だね』  にこにことあどけなく笑う恵を、鈴は最初物凄く嫌っていた。同世代の子供達は、碧い眼を気味悪がり、国に帰れと吐き捨てられる。自分はみんなと違うから、鈴は自分自身を嫌っていたのだ。 『恵あそぼ』  幼馴染の平片が玄関先で恵を呼ぶ。平片は恵の傍をまるでナイトのように寄り添っていた。  いつからだろう。鈴が平片を意識し始めたのは。ある日学校の帰りに見知らぬ大人の男に身体を持ち上げられ、車に連れ込まれそうになった事があった。恐怖で声が出せない鈴を、偶然見付けた平片が、持っていた野球ののボウルで男の頭を狙い、怯んだ隙に鈴を連れて走った。
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