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「……結婚、ですか──?」
「あぁ、お前もそろそろ身をかためた方がいいだろう。お相手はあの中院家のご令嬢だ。数日中に両家の挨拶があるから準備しておきなさい。」
「は、い………。あ…行って参ります……───」
朝、清一郎がいつものように支度をしてリビングへ降りると父が待っていた。ソファで新聞を読みながら話された話は、清一郎にはあまりにも突然の事で理解が追いつかなかった。
挨拶もそこそこに家を出た清一郎は、黒部の運転する車の中で父の言葉を繰り返していた。
(結婚……?僕が…何故!誰も僕に興味なんてなかったのに……なんで今更…どうしてこんなことに……!…──)
「─ん、…せ──……清一郎坊ちゃん?如何されましたか?もう学校に着きましたが。」
「え……あ、うん、ありがとう。行ってきます。」
「大丈夫ですか?坊ちゃん。」
心配する黒部に「何でもないよ」と告げ研究室へと向かった。
歩き慣れた廊下、窓からの景色も見慣れたものだと言うのに今は何故か遠くに見える。
家を継ぐことは無いだろうとは思っていたが、中院家との縁談ということは政略的な問題があるのだろう。ここも辞めなければならないのだろうと清一郎は思う。
頭の整理がつかないまま研究室の扉を開けた。
「おはよう清一郎。」
こちらに気付き軽くはにかむ周の顔がやけにくっきり見える。
あぁ、この笑顔も見れなくなるのか。
「……いやだ。」
「清一郎───!?」
次の瞬間には清一郎は周の胸に飛び込んでいた。
「どうした?何かあったのか?」
突然の行動に周は戸惑いながらも清一郎を優しく抱きとめた。
「うっ…周さん、周さん…!ぐすっ…うっうっ……──」
何も言わずに泣き続ける清一郎に周は少し困ったように眉を寄せて、清一郎が落ち着くまで背中をさすっていた。
「…少しは落ち着いたか?」
「はい……すみません、いきなり泣いたりして…。」
「それはいいが……何があったんだ?」
「実は──」
清一郎は父から聞かされた結婚話について周に語った。もうここも辞めなければならないだろうということも含めて。
「………そう…か──」
話を聞かされた周はただ一言返すだけだったが、その声は酷く震えていた。
「僕──僕、嫌です…!このまま貴方に会えなくなるなんて……顔も知らない人と結婚するなんて………!」
その言葉に周は苦しそうに表情を歪めながら、清一郎を抱き締めた。
「っ!しかし…その話はもう覆らないんだろう?一体どうすれば──」
抱き締める腕を解いて一歩下がる周に、清一郎は胸を締め付けられる。
「逃げ、ましょう………二人で、どこか遠くへ!僕は、もう要らない…家も、家族も、お金も、地位も…全部……全部全部要らない!捨てます!貴方と居たい、周さんと一緒に居る為なら僕は全て無くしても構いません。」
言葉にすれば止まることがなく、話せば話す程に実感が湧き、それ以外の選択肢は見えなくなった。
「落ち着け清一郎。お前は今取り乱しているんだ、そんなこと出来るわけが──」
「僕は十分まともです!むしろ今まで気付かなかったことが馬鹿でした、あの家に縛られて僕が自由になる事なんて無かったのに…!」
普段は滅多に出さない大声でまくし立てる姿は、とても普通には見えなかったが清一郎は気付いていない。
「他の手立ても考えるべきだ。一度話し──」
「僕は!ずっとあの家に従って生きてきました。そうすることが当たり前だと思っていたし、何もない僕にはそうすること以外方法がないと思っていました。でも、もう…知ってしまったんです。周さんに出会って、本当に大切なものが何なのか…今手放してしまったら、もう二度と、元には戻れない…!」
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