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「あの、ありがとうございます。」
研究室に戻ってから清一郎は周に礼を言った。が、返事はない。
やはり話しかけない方が良かったのかもしれないと謝りかけた時、周が口を開いた。
「いつもあんななのか?」
「いつも?」
「さっき言われてたことだよ。あいつらも仲間だろ。」
「あぁ──」
"仲間"とは同じ華族という意味だろう。
清一郎は苦笑を漏らしながら務めて明るく話した。
「僕は幼い頃から体が弱くて、パーティーだとか外で遊んだりだとかしたことがなかったから。家の人間以外あまり社交的な関係は無いんです。両親も僕には無関心だし…あの人たちは自分の地位にプライドを持っているから僕みたいな人間が同じ地位なのが許せないんだと思います。」
「………。」
なんてことないと言う風に話したが、周は黙ってしまった。
「あ、ごめんなさい!暗くするつもりじゃなくて、その──」
「いや……悪い。俺も似たようなもんだな。」
「そんな!周さんはそんなんじゃ──ああいうのも慣れてますし……あっいえ、今のは……!」
「……………。」
清一郎は思わず出てしまった言葉に気付いて口を押さえたが、もう十分に気まずい空気は流れていた。
「………そう言えば、お前がここに初めて来た時何を見てたんだ?」
周が無理やり話題を振ってこの空気を打破しようと試みた。
「あれは、天竺牡丹を……本でしか見た事がなかったから、興奮してしまって。咲いているとこも見てみたいなぁって思ってたんです。」
「天竺牡丹?」
「あ、えっと、ダリアのことです。牡丹に似ていることから、そういう和名が付いたそうで。」
「へぇ、天竺牡丹ってダリアの事なのか。俺あんまり詳しくないんだよな。」
「そうなんですか?」
敷教授の助手をしている程だから植物の知識は豊富だと思っていた清一郎は首を傾げた。
「元々専攻は園芸学じゃないんだ。農学部ですらないし、だから植物のことはさっぱりだ。」
ますますこの研究室との繋がりが分からなくなったが、まだそこまで聞けるほどの間柄ではないと判断した清一郎は、話題を他へと移した。
「それじゃあ…桔梗って知ってますか?花なんですけど、とても綺麗なんです。」
「俺の名と一緒だな。」
「はい。字は違うんですけど、初めて周さんに名前を聞いた時にこの花が浮かんだんです。」
そう言いながら清一郎は余分に持ってきたレポート紙の端に、癖のない細い字で『桔梗』と書いてみせた。
周は清一郎の手元を覗き込んで、興味深そうに目を細めた。
「……見てみたいな。ここにもあるのかもしれないが、どれだか区別がつかない。」
清一郎は自分の話に周が興味を持ってくれたことが嬉しくなり、思い切った提案をしてみた。
「あの、もし良かったら今度探しに行きませんか?秋になったら裏山辺りに咲いているかもしれません。」
「いいのか?」
周は驚いた風に清一郎を見やった。
「はい。あ、勿論周さんが良かったらの話ですけど……」
「それは、有難いんだが……」
いつもの周らしからぬ歯切れの悪い物言いに、清一郎は余計なことを言ったかもしれないと心配になった。
「迷惑ならいいんです!まだ夏も来てないのにそんな先のこと言われても困りますよね、すいません。」
「いや、そうじゃなくて。……華族って言うのはどいつも家柄だけで人を判断するようなやつばかりだと思ってた。どんなに勉強しても金が無けりゃ大学には居られなくて、だけどあいつらはたったそれだけの違いで遊んでいてもここに通える。お前もその内の一人だろうと決めつけて、研究室に来たのも親のコネとただの興味本位だろうと……本当に、すまん。」
清一郎はしばらくぽかんとしてしまった。心無い言葉を投げかけられることはあっても、それを謝罪してくる者など一人もいなかったからだ。
清一郎が黙っているのを勘違いしたらしく、周は更に申し訳なさそうに口を開いた。
「謝って済むことではないし俺からこんな態度をとっておいてなんだが、これからも関係はあるわけだから今のうちにわだかまりは無くしておきたいというか……」
「全然!気にしていないので、本当に。…あの、じゃあ一緒に桔梗を探しに行くっていうのは──」
「あぁ、楽しみにしてる。」
「……!…はい!」
初めて見た笑顔は思っていたよりもずっと優しく温かかった。
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