07. 最初にして最後のデート<9>

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07. 最初にして最後のデート<9>

 人混みのなか、サイレ、と叫ぼうとして、ラケルタは口をつぐんだ。 (ちがう)  と、口にできたら、どんなにいいだろうか。でも、それをしてしまったら、おしまい。  いったい何年? 何も言わずにきたのだろう。  決まったわけではないのに、想像だけですべてを台なしにするのか? サイレに会ってからの、わずか四年間。それは、それまでの年月を塗り替え、彼女から冷静さを奪うには、充分に鮮烈な時間だった。それまでの日々は、なんの意味もないのだと思えるほどに。  もう少し。もう少しだから。ラケルタは長く息を吐いて、走りだそうとした。しかし、ひろがって歩く人々に道を塞がれた。気づいてゆずってくれても、また塞がれる。ラケルタは人々のあいまで途方に暮れた。大好きだったテーマパークが、きらいになりそうだった。  ——サイレ。  その人はだめ、その人だけは。ほかのどんな女の子とデートしてもいいから。 「……しょうがないんだから……」  ラケルタはひとりごちる。と、視界がゆらぎだす。ビン底眼鏡を少しもちあげ、指先でまぶたをおさえた。  端末にコールが入り、ホロが立ちあがる。 〈ラケル大丈夫? サイレみつからないでしょ、一回戻ってきなよ。三時だからお茶しよっ! まだ一日は長いんだから〉  イヴはいつも、絶妙なタイミングでラケルタに気づいてくれる。みんなはイヴの極端なところをラケルタが受け入れていると思っているが——たしかにそういう面もあるにはあるが——、そればかりではない。 「わたし冷静じゃなかったわ、イヴ」  その答えに対して、明るい親友の声が、スピーカーから返ってきた。 「うっそだろ……」  サイレは天井を見やって愕然とした。すでに階層の照明は夕景モードになりつつある。人工の海は外の〈毒の海〉同様、人工の夕陽に照らされていかにもなムードを醸しだしていた。  だが、うっとりしているのは、それを彼女や友達と一緒に眺めることができている幸運な人々だけ。サイレの本日の「彼女」はここにはいない。どこにいるのかもわからない。みつかるのかもわからない。端末もない。ないない尽くしのサイレは、うっとりしている人々のあいまをぬって、探しつづけるしかない。  すでに足は棒。オペレッタでそこそこ鍛えているとはいえ、すでに三時間近く園内をうろついているとあっては、さすがに休憩が要る。ひとつところにとどまっているとカメラに捕捉されやすいと思い、休まずにきてしまった。 (もっとも)  イヴにみつかったかどうかは、サイレにはわからない。すでに捕捉されていて、泳がされているだけかもしれない。なにしろイヴの狙いどおり、シファとは離ればなれになったわけで、イヴにしてみればここでさらに妨害する必要はないのだ。便りがないのはよい便りか、それともそうではないのか。  サイレは近くにあったベンチに座る。物陰のベンチは人気がない。疲れて、イヴの監視もどうでもよくなってきた。明るい場所で笑いさざめく人々を見やる。そのむこうでは、人工の夕陽を浴びてオレンジ色になった水面がまぶしい。 「……何してんだか」  サイレは自嘲的にひとり言をいう。つい意地になって、疲れただけ。答えがここにないことは、もうわかっているのに。 (オレンジ……赤……)  何かが落ちつかない気持ちだった。もう、サイレの心臓は静かなものだったけれど。何かを見落としている気がする。  ——あなたは、誰? ……  そのとき目に飛びこんできたのは、徐々にかげっていく〈ワールド・アトラティカ〉の中で、煌々と浮かびあがってきた存在。無数の電飾で覆われた、半円形のアトラクション。デートといえば最後はこれ、という存在だ。 「……観覧車!」  これだ、と、サイレは立ちあがる。 「自動ボート一七三番に、サイレさまらしき若い男性が乗りこみました!」 「ええっ? 今さら自動ボート?」  イヴはマネージャーの端末に飛びついた。そこにいる四人の端末をすべて駆使して、手分けしてテーマパークじゅうの監視カメラをあたっていたときのことだった。  サイレは明らかに、人気が少ない場所を避けていた。至近距離で乗客の顔を確認できる自動ボートには姿を見せなかったし、トイレなどにも現れなかった——サイレのトイレ事情がちょっぴり心配だ。混雑のなかに姿を隠して、シファを探していると思われた。  マネージャーがサイレを自動ボートのひとつに見いだしたのは、とっくに園内の人工太陽がシャットダウンされたあと。代わりに、あたりじゅうがライトアップされていた。こんな時刻にたったひとりでボートに乗りこんだ少年に、マネージャーは気づいた。  魚眼レンズの監視カメラは、狭い球形の自動ボート内を三六〇度くまなく記録する。そこに、ひとりで操作パネルを押すサイレの姿があった。目的地の設定を終えると、サイレは座席のリクライニングを倒して身を沈めた。何時間も混雑のなかを移動してきたなら当然だが、疲労困憊しているようだ。その目的地は—— 「観覧車!」  サイレの操作パネルの表示を確認して、イヴとアイバンは同時に叫んだ。ラケルタは無言で立ちあがり、貴賓室を駆けだしていった。マネージャーはうなずく。 「当園自慢の大観覧車は、デートの締めくくりにふさわしいお楽しみがございます」 「ラケル、先まわりできるかなぁ?」 「微妙かと。サイレさまの現在地はサウスアイランド近く、森を再現した散策用の島ですが、通常、大観覧車へは自動ボートで所要時間二十分程度。一方、われわれのいるメインアイランドからも二十分程度かかります」 「本当に微妙……!」 「そうなると、スタートの差がそのまま結果ということになりましょうか」 「ちょっとぉー!」 「申しわけございません! これがわたくしどもにできる最大限でございます。イヴさま」 「うう……今日はありがとう……」 「イヴさまのお役に立つのがわたくしどもの幸いです。あとはご当人次第ですね」  イヴは端末を切った。自分のもアイバンのも、マネージャーのも切った。 「イヴ?」 「もうあたしたちにできることはないよ」 「いきなりどうしたよイヴ。腹でも痛くなったのか」 「アイバンうるさい。あたしたちは、ちょっと手を貸すぐらいしかできないの。運命を決めるのは、サイレとラケル自身なんだから」 「シファ女史もだろ」 「ううん」  イヴははっきりと頭を振った。 「シファ女史は悪魔みたいなもん?」 「そうだね」  アイバンは肩をすくめた。  とにもかくにも、デートの監視はこれで終了。あとはサイレとラケルタの幸福を祈るだけ。アイバンの週末休暇もこれで終わり。明日からはまたアカデミアで勉強とオペレッタ練習の日々がやってくる。
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