07. 最初にして最後のデート<3>

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07. 最初にして最後のデート<3>

 チャイムの音と同時にシートベルトをはずして、外に出る。相手の姿はまだない。おもむろに手首の端末を起動し、時間を確認。 〈現在の時刻 一〇月〇六日 午前一〇時五〇分。次の予定の十分前です〉  文字が点滅する。 「よし」  端末を切ろうとしたとき、コールが入った。 「サイレです」 〈あっサイレ? あのねーあたしだけど、言っておくけどこれが最終警告です! 警告に従わなかった場合は〉 「従いません」  端末をオフにして、サイレは歩きだす。高速エレベータでこの第四階層に集まってきた人々が、幸せそうに家族や恋人としゃべりながら流れていく、その流れに加わった。  流れの先で軽くざわめきが起こり、サイレは顔をあげる。ざわめきの中心で、彼女は手を振った。サイレ・コリンズワースだ、とささやく声も聞こえる。  やわらかく長い髪に麦わら帽子をかぶった、古風な休日のスタイル。膝の隠れる丈のワンピースは、大人びた彼女によく似合う。けれど、そんなことよりもサイレは、彼女を見た瞬間に自分の心臓が「うごき」はじめたことに翻弄されてしまう。  あまりにも激しく脈打つので、サイレは思わずよろめいた。 「おはよう。元気そうね」 「ええ、とても。なんならここで恋の歌でもうたって証明しますよ」 「止めないわ」 「やらないです。バカじゃないんですから」 「過去の女に本気で心奪われた男の、どこがバカじゃないのかしら」 「あなただって似たようなものでしょ。学者だもの。シファさん」 「シファでいいわ、サイレ」  彼女は〈毒の海〉に似た水色の瞳を細めた。「今日はあなたがパートナーよ。一日よろしくお願いするわ」 「一日だけなら、いやですね」 「さあ、どうなるかしら」  スピーディに交わされる、言葉遊びのようなやりとり。星〈メモリア〉複数発見の天才は、会話する分にはスリリングでおもしろい。しかし、そんな会話のあいだにも、サイレの心臓は鳴りっぱなしだ。いくら血流が脳機能に影響するとはいっても、鳴りっぱなしでは病的の域、最初からこんな状態では一日もつか不安だった。  だが、デートだ。最初のデート。場所はお約束にもほどがある、トリゴナルK第四階層のテーマパーク、〈ワールド・アトラティカ〉。サイレも過去に何度も彼女たちと訪れているが、一度たりともこんなに心臓が「うごいた」ためしはない。  やはり、シファがそうなのか。この現実で、サイレが○○を忘れて心奪われるべき相手なのか。現に、すでに心臓は過剰反応している。 「どこ行きますか?」 「どこでもいいわ。行きたいところへどうぞ」 「シファさんは遊園地に興味あるようには見えないですよね」 「それなのに、よくここに誘ったわね」 「初デートっぽいデートがしたかったんですよ。緊張して、ぎこちなくて、相手の反応が気になって、自分の髪型やかっこうが気になって。そういうデートが」 「したことないのね」  シファは断言した。図星というほかないのだが、それには応じず、 「あなたは?」 「わたしもないわ。相手の反応なんか気にならない」 「よくわかります。ただ……」  心臓がばくばくいうのに引きずられて、息が浅くなる。「心がうごかないから」 「心を動かしたいの?」 「ええ」 「わたしに対して、あなたの心は動く?」 「それを知りたくて。……それと」  サイレは深く呼吸しようとしたが、できなかった。声が若干裏返った。 「あなたの目的を。あなたがここに来た理由。メモリアの研究はトリゴナルBでもできる。どうしてトリゴナルKに来る必要が? しかも発見したメモリアまで持って。トリゴナルBはあなたを止めたんじゃないですか?」 「そのとおりよ。いろいろな条件を提示されて止められたわ」 「トリゴナルKになにがあるんですか?」 「サイレ・コリンズワース」  サイレの心臓が、ひときわ騒ぎだす。「あなたの存在だと言ったら?」 「嘘だと……思いますね」  自分の声が遠く感じるほどに、心臓が騒いでいた。この女に近づくな、それ以上訊くなというように。だが、なんの警告なのかはわからない。わかっているのは、サイレの心臓が騒ぐということ。誰が恐怖と恋の区別をつけられるだろう? 「クラシック情報マガジンに出ていたローカル情報に飛びついて、あなたのような人が?」  サイレたちはエントランスの列に加わる。端末をチェックポイントでかざせば、自動的に入場料と一日フリーパス料金の支払いが完了する。もちろんデートだから、シファの分もサイレがもつつもりで、ホロに表示された人数を「二人」に指定した。  すると、横からシファの手がのびてきて、サイレの端末をキャンセル、自分の端末で「二人」に設定し、決済する。 「自分でトリゴナルBに暮らせるくらい、ひとつのメモリアには価値があるの」 「それをあなたは……三つみつけた? それとも四つ?」 「十一」  サイレもさすがに驚いた。「クラシック情報マガジンに出ていた、どうでもいいローカル情報に飛びついて、すぐ行動に移せるぐらいの自由は、わたしにはあるのよ」  途方もない女だ。この間も、サイレの心臓は脈打ちつづけている。シファの〈毒の海〉の瞳が、遊園地のごてごてしい照明——一応、時間設定は昼間なのだが——を受けて微妙な光を反射すると、サイレの心臓もしきりと何かを訴えてくる。 「だけど、理由がおれだなんて信じられないです。選択肢は山ほどあるでしょ」 「それはそうね。でも、あなたも知っているはず」  遊園地を彩る色とりどりの明かりを受けた〈毒の海〉の瞳が、オパールのようにきらめいた。「どれほど多くの選択肢があろうと、意味があるのはひとつだけ。トリゴナルBの移住条件のように、量の問題だけで決められるなら、誰もが量を追い求める」 「そういう人もたくさんいるでしょうけどね」 「わたしがそうなら、今もトリゴナルBにいたでしょう。でも、それはできない」 「でしょうね。だけど」 「わたしの言葉が信じられないのね、サイレ?」  一般的な女の子であればなじる調子だろうひと言を、シファは軽やかに言い放つ。 「あなたがわたしを信じられないということが、よくわかるわ」 「次の方、どうぞ」  釈然としないまま、スタッフに導かれ、サイレはアトラクションの座席についた。コースターが滑りだす。 「信じさせてくれます?」  サイレは、となりで安全バーに固定されたその人をみる。からだは固定されたまま、その人は首をうごかしてサイレを見返す。 「わたしもわたしの言葉を信じていない」  古式ゆかしいジェットコースターを模して、わざとらしくカタカタいう音が、乗客をあおる。背後にいる男女のグループが、次のアクションを予期して奇声をあげる。 「言葉は浮かんでは消える水の泡。言葉を信じるなんてこと、あなたが信じているとはね」 「それを言われると痛いです」  たしかに、今までどれほど実のない言葉を、相手をみて吐いてきたことか。けれどなぜかこの奇妙な天才のことを、その人のまえで奇妙に拍動する自分の心臓を—— 「あなたが信じたいもののことはよくわかったわ。わたしは、何も信じない」  ガタンと何かがはずれる音がして、ジェットコースターは解き放たれた。サイレはからだが宙に浮かぶ感覚に襲われる。シファの水色の瞳をみつめたまま、横むきに落下していく。シファもまたその瞳をサイレに据えて微動だにしない。絹糸のようなシファの髪だけが、ひどく翻弄されていた。  遊園地を全力で楽しむ人々の悲鳴を聞きながら、二人は無言で駆け降りていく。
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