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07. 最初にして最後のデート<5>
「楽しい?」
「いえ別に」
コーヒーカップを特にまわしもせず、サイレと少女——シファ・アーマディーは粛々と座席につき、軌道にしたがって流れていくコーヒーカップに揺られていた。
「シファはどうですか?」
「どうでもいいわ。これに乗ったからといって、なにも変わりはしない。テーマパークの客というものは、時間を空費する宿命を与えられているのかしら?」
「そうかもしれません。おれも、歌が楽しくて仕方ないから歌っているわけじゃない。でも、気づくとクラブの練習に出ています」
「誰かがつくったモノで肉体とエネルギーをただ消費する星のもとに生まれたのかしら」
若い男のグループが、高らかに笑いつつ、コーヒーカップをフル回転させている。それを見る少女のグループが、くすくすと笑みをこぼしている。
「あなたの専門分野ですか。……遠くない将来、トリゴナルKの全体が〈毒の海〉に沈んだとき、もしトリゴナルの維持に失敗して、おれたちもいま遊園地にいる人たちも、みんな〈毒の海〉に呑みこまれたら——あの人たちの星がそのとき落ちて、あなたのような研究者に発見されたら、そういうふうに人生をまとめられるんでしょうかね」
「その時代の傾向として認められれば。もっとも、それは天文歴史学者の仕事であって、わたしの仕事は星〈メモリア〉をみつけだすことよ。天文学者といってはいるけれど、海底穴掘り屋、というべきね」
「侮蔑が目的なら、そう表現することもできるでしょう。でも、誰かの宿命をみつけだすのだとすれば、神の仕事といえるかも」
「神。とうの昔に滅びた概念ね。サイレはよく歴史を勉強しているのね」
「アカデミア中等科ですけど、いちおう天文学専攻なので。叔父の影響で選んだだけで、将来をこれに決めているわけじゃないですが」
「それでは、星神のことも知っている?」
コーヒーカップを楽しみもしないカップルを乗せて、カップはゆるやかに停止した。ある人々は満足げにはしゃいだ声をあげ、ある人々は回転しすぎて気分を悪くしながら出ていく。シファは軽く髪を整え、帽子をかぶりなおして降りた。
「たしか、叔父に教えてもらった話にありましたね。昔から叔父の話を聞くのが好きなんですけど」
二人は話を止めることなく、隣接するアトラクションに移動する。となりはオーソドックスな海賊船だ。あたりには、海賊をイメージしたBGMが流されている。
「コリンズワース家にはじめて来たとき、不安しかなかったんです。それまでいた施設から連れてこられて、指先が冷たくて。もうどこにも戻れなくなる気がして。
そんなときに、初めて叔父のオルドネア・モリソンに会ったんです。トリゴナルHへの留学から戻ってきた母の弟で、収入がないからコリンズワース家で養われることになって。叔父はおれの顔色なんか全然見てなくて、自分の研究の話をえんえんしてくれました。天文学の歴史を、四歳の子供に。いま思えば、両親がもてあましている甥っ子にどう声をかけたらいいのかわからなくて、自分の好きな話をしてたんだと思いますけど」
近世の海賊船を模したハリボテに乗りこむ。サイレはシファの水色の瞳から目を離さずにしゃべりつづける。
「叔父はよく言ったものですよ。というか今でもしょっちゅう言ってますけど。遠い昔、トリゴナルなんか存在しないずっと昔の時代には、この世界には神がいた。おれたちの生命、運命、宿命そのものである星を司る存在……いわば〈星神〉が、人々のあいだで信じられていた。
〈星神〉に名前はない。便宜的にそう呼ばれた。けれど〈星神〉は存在した。人々に信じられているうちは。〈星神〉を——星々の運行を知ることで、人々は自分たちの運命や環境をコントロールしようとした。でも、占星術が科学といってもいい精度に達して繁栄した大帝国メサウィラが、帝王アルキスの死とともに弱体化し、〈毒の海〉の毒によって樹上城が無残に倒壊したとき、人々は失望とともに神を信じるのをやめた。信仰されなくなった神は徐々に力を失っていき、今では教科書にさえ〈星神〉の記述はない」
「『現代は神を忘れ、神に忘れられた時代』……」
「叔父の論文読みました?」
サイレはつい笑ってしまう。「ロマンチストですよね本当。だけど小説家じゃなくて天文学者なんですよね。そんなんだから最近まで職がなかったわけですけど、ここ十年でメモリアがいろいろ出て……シファさんもみつけてくれて、〈星神〉の存在がメモリアに現れたから、叔父は認められてアカデミアに籍を得た。とにかく、叔父に初めて会って〈星神〉の話を聞いたときから、おれはずっと〈星神〉にまつわる歴史物語に触れて育ちました。おれは〈星神〉を信じる最後の人間なのかもしれません。〈星神〉にかかわるものは、昔からおれをわくわくさせてくれた、数少ないもののひとつ」
不思議だった。初対面の叔父が天文学の歴史を語りだしたときから、心臓がうごきだし、不安は消え、指先に血がめぐるのを感じた。
他人の家としか思えなかったコリンズワース家のことも、どうでもよくなった。いや、むしろ、叔父の部屋があるというだけで、コリンズワースの屋敷が好きになった。
叔父は、気がむいたときには天文学の話を次から次にしてくれたが、元来気まぐれな人間で、気がすすまないときには何も語ってくれなかった。しかし、叔父が語らずとも、叔父の住む離れに行けば、叔父が長年にわたり収集した天文学関連の品々がサイレを出迎えてくれた。今では流通していない紙の文献をはじめ、バトロイア天球儀、強化ガラスで覆われたトリゴナルにおいて実地では使いようのない星座表、星を象徴する宝石などなど。
中でも好きだったのが、ホロ技術を応用した〈立体天宮図〉で、見たことのない本物の星空を感じさせてくれるガジェットだった。本物の星空を模した投影や、メモリアの研究状況に応じて星と星の関係を便宜的に実線で結んだ投影など、さまざまなモードで星を観察することができる。〈立体天宮図〉を閲覧しているあいだ、サイレは心臓が脈動するのを感じ、まちがいなく自分が生きていることを思う。
たいていのことは、ただ流れ流されていけばそれだけですんでしまうのに、〈立体天宮図〉を見ていると、星々がまちがいなく天に浮かび、その星にあたえられた宿命のもと生命を燃焼させ、役目を終えるとやがて墜ちていく、その流れを体感できた。
だから、叔父のすすめでサイレがアカデミアに入ったとき、迷うことなく天文学専攻を選択したのだけれど、当然、年がら年中好きなことを味わえるわけではない。やがて自分の興味を惹く限られた話題と、やはり叔父の〈立体天宮図〉だけが、サイレの心臓を「うごかし」てくれることがわかった。天文学は、慢性病のような日常の光だった。アカデミアに入ったあとに出会った歌も、同じだった。
興味を惹く限られた話題。そのひとつが〈星神〉の話題だ。もっとも、アカデミアのような中等教育の場で使われる教科書に、〈星神〉という概念は登場しない。〈星神〉というものが現れるのは、星〈メモリア〉の研究報告においてだ。いくつもの古いメモリアにおいて、誰かが発した〈星神〉という言葉が記録されている。さすがに〈星神〉の姿は記録されていないから、現時点では実体はもたないものの、かつて人々の人生・生活にかかわる存在であったことは明らかだった。
海賊船が落下するごと、周囲からは無邪気な歓声があがり、サイレは自分の頭の中から出てくるものをつらつらと話しつづけ、シファは相づちも打たずに聞いていた。
「そう」
サイレの長い話に、彼女の返答はそれだけだった。
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