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07. 最初にして最後のデート<6>
「もうどこからつっこめばいいのか」
アカデミア図書館の談話室で、アイバンは頭を抱えた。海賊船に揺られながら真顔で天文学を語りつづける、アイバンが知る限り一度も彼女を切らせたことがない友人。
「恋愛のセオリーなどなんの意味もないというのか……サイレの顔と歌をまえにしては」
「そういう問題じゃないわ」
横の友人にちらりと視線を投げると、間髪入れず返事がきた。
「サイレだからよ」
「サイレだからっていうのはね。そういう星のもとに生まれたひとだってこと」
「あ、ハイ」
すかさず、もう一人の友人が補足した。もうどうしようもなく、アイバンは素直にうなずく。イヴのスピリチュアル・ファンぶりにはじゅうぶん親しんできたつもりだったが、自分がある意味本気で苦悩していることにそのネタで返されると、苦悩は深まる一方だ。
しかも、いつもはやさしくほほえんで受け入れてはいるが同意はしないラケルタも、今日はあたかもイヴの言うとおりだというふうに頭を縦に振っていた。ツッコミ不在の状況下、ちょっとだけサイレが懐かしく思えてくるアイバンだった。
「一応いっておくけど、これは恋愛じゃない」
ラケルタは真顔で言った。
「へ?」
「シファ・アーマディーには目的があるのよ。目的があって『恋愛』しようとしているの」
「へえ?」
アイバンはそろそろ帰りたくなってきた。
「イヴ、わたし……二人の近くに行きたい。何がシファの目的なのかわからないから。何かあったときにここからじゃ止められない……シファは一応、社会的なことを気にすると思うけど、いつ密室に行くかわからないでしょ?」
「密室!」
「アイバンうるさい」
イヴは端末の電源を落とした。「わかった。あたしたちも〈ワールド・アトラティカ〉行こっ。でも、念のため、予防策は講じてあるよ」
「予防策!」
「二人が密室に入りそうになったら邪魔するように、スタッフに指示出してあるから」
アイバンはこわごわと、いつになく凜としたまなざしのイヴを見やった。
「け……権力……?」
「うん」
こういうときに使わないとね、とイヴは言った。
唐突に頭の上から水が降りかかってきて、サイレは唖然とした。
「申しわけありません! お客さま」
すぐに気づいたのだろうスタッフが、サイレに駆け寄ってくる。「清掃AIに不具合が……本当に申しわけありません」
見上げると、ホーンテッド・ハウスの屋根の上、おどろおどろしい幽霊キャラクターのハリボテのむこうで、バケツをもったAIが停止していた。
スタッフルームで着替えを渡され、クリーニング代と詫びのミールチケットを受けとり、チケットを使えるフードコートにまで誘導されて、さすがにサイレも考えた。
「手際がよすぎる」
シファは、もらったチケットで頼んだ、ばかでかいメロンソーダフロートに浮かぶアイスを、スプーンでもてあそんでいた。透明な緑色のむこう、シファの〈毒の海〉の瞳が、是でも非でもないというふうでサイレを見ている。
そういえば、あのコール。
(あっサイレ? あのねーっあたしだけど、言っておくけどこれが最終警告です! 警告に従わなかった場合は)
もちろん声の主はイヴだ。イヴが素っ頓狂な行動に出るのはべつだん珍しいことではない。サイレはスルーした。スルーしたまま、コールを受けたことも忘れた。
しかしまさか、テーマパークのスタッフまで使って妨害してくるとは。
「いいわ」
「はい?」
その蠱惑的な唇で前触れなくいわれ、サイレは問い返さざるをえなかった。
「もっと邪魔してくれて、いいわ」
「……」
シファは状況をよくわかっている。「……そのほうがおもしろい?」
「そう。市長の娘でしょう? どんな手を使ってくるか見物ね」
シファは本当によくわかっている。「テーマパークはただの物理法則よ。とくだん興味深いものもない。でも、人間はときに物理法則を超えてくる。それも権力に近い人間であれば、手段も多岐にわたる。私はね、サイレ、権力者が好きよ」
「楽しんでもらえそうで何よりです。ただ、イヴとデートしたほうが楽しかったのでは? というのが心配ですね」
「イヴ・クロカワ個人には興味はないわ。サイレとのあいだに立ちはだかろうとしている限り、彼女には期待するけれど。物事はむずかしければむずかしいほど、おもしろいのよ。あんまり簡単では、目的を達成してもつまらない」
「あなたの今日の目的はなんです?」
叔父も似たようなことを言っていた気がする。研究者気質だろうか。シファは、ふふ、と笑って、その唇で緑色のソーダを吸いこんだ。サイレには、シファのようなどこか人間離れした人も水分を摂取するのだということが興味深く、音もなく減っていくサイダーを見物していた。
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