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08. 運命を曲げ、従わせる者<1>
〈時間を超えた純愛! 世紀のボーイソプラノ、サイレ・コリンズワースの逃避の恋、衝撃の結末〉
それを見て、サイレは咳きこんだ。
「あれだけ目撃者がいればな。記事は書けるよな。うん」
アイバンはホロをオフにして言う。
「まー……驚いた。まさか首締められてるとは思わなかった。シファ女史にそんな激しい一面があるとは……人はわからないものだな、うん」
なんだかんだお人好しの友人がもごもごしているかたわらで、サイレは却って冷静に苦笑した。アイバンは、こほん、とわざとらしい咳払いをして、横目にサイレを見る。
「市警察への被害届とかはどうなの?」
「しない」
「大丈夫なのかよ?」
「あの人はもうおれに興味ないと思う」
サイレは淡々と答える。
たしかに、恐怖を感じないといえば嘘になる。しかし、警察への通報がシファにとって意味をなすとも思えなかった。警察は犯罪抑止力にはなるかもしれないが、シファを抑止する力はない。なぜかわからないが、そんな気がする。
それはそうと、
——お兄さま。
(何それ?)
あのひと言だけは、いただけない。
(だいたい、なんで眼が赤く光ったり青くなったりするわけ? ちょっと超越しすぎでしょ……)
「……たまにはアイバンの意見を聞きたいんだけど」
「おっ、珍しいね。言え言え?」
「シファ・アーマディーに『お兄さま』って言われたんだけど……」
「俺の手に負えません」
間髪入れずの即答だった。
「生き別れの兄妹ですかねえ」
「どうでもいいと思ってる?」
「どうでもいいとは思ってませんが、どうしようもないとは思います。さすがにちょっと設定盛りすぎじゃないですかね」
沈黙が流れた。周囲は騒がしい。アカデミアの授業の小休止中、サイレたち以外の学生もおしゃべりに夢中だ。その一部はもちろんしゃべりながら、さりげなくサイレの動向に注意をむけている。この調子だと今日の夕刊には「サイレ・コリンズワースの逃避の恋、衝撃新展開! 悲劇のお相手は生き別れの妹」と書かれかねない。
「そんなわけないでしょ!」
ふいに首を引っぱられ、同じように引っぱられたアイバンの頭と、互いに頭突きさせられた。ゴツッという音が頭の中に響く。
「いってぇ」
「バカいってるからだよ」
右腕にサイレの首、左腕にアイバンの首を抱いて、そのあいだに顔を突っ込んできたのは、言うまでもなくイヴだ。運動着姿で、熱い頬で息を切らせている。それもそのはず、今は授業の小休止で、休憩はたったの五分。その五分で、イヴはジム室から全速力でこの教室までやってきたらしい。
「どこから何を受信してきたんだよ」
「イヴさん近い近い! 息かかってるし! ほっぺくっついてるから!」
「目が醒めるかなと思って」
はあはあしながら何を言っているのか。サイレの心臓は、イヴに頬をくっつけられても一切「うごく」ことはない。恐怖のような何かでサイレの心臓をうごかしたシファとは、全然ちがった。ほかの女の子とは心臓が反応しなくてもつきあえるが、イヴにはまったくその気になれない。
不思議といえば、イヴのスピリチュアルな「直感」だ。今回はこれが正しかったことになる。サイレの心臓よりも、イヴのぶっとんだ直感のほうが正確というのが気にいらないが、なんにしても正解を出したのはイヴだ。
それに、ラケルタも。イヴと同じものをラケルタも受信しているのか、あるいはちがう理由か。
サイレを追って駆けてきた彼女が転んで、眼鏡が落ちる。見上げた藍色の瞳が、きらきらと光る。
(いつもビン底眼鏡してるから、わからなかった)
ラケルタとは、イヴと同時期に知りあったから、アカデミアに入学して以来のつきあいだ。だが、思えば、顔すらもよく知らない。まじめで親切、それにイヴのような変わった子に寛容。物知り。彼女のことは、それぐらいしか。
かすかな、好奇心だった。今はそれだけ。
「サーイーレーっ」
なまあたたかい肉がぐいぐいと押しつけられる。
「ちょまっ、イヴ! くっつきすぎじゃない?」
なぜかアイバンが動揺している。
「サーイーレー」
「休憩終わるだろ。戻れば」
体温の高い頬をますます押しつけてくるイヴを、押し返す。
「ひとつだけ言いたいです」
「なに」
「あの女がサイレの妹なわけないですから」
「そりゃそうでしょ」
「じゃあねっ」
休憩終了のベルが鳴り響き、イヴはダッシュで消え去った。だとすれば問題は、なぜお兄さまといわれたか、なのだが。
(本人に……)
サイレは頭を抱える。(……さすがにそれは)
授業そっちのけで、嘆息。今からでも市警察に。いやもう遅い。
「……本人に訊けば」
同じことを口の中でくりかえして、サイレは立ちあがる。
なぜなのかはわからない。が、急に確信がわいた。サイレは教室を飛びだしていく。
タイミング的には、完全にイヴを追いかけて出ていった体だ。きょとんとしたのは残されたアイバン、そして今まさに教壇に立ったばかりの教師だ。ざわつく教室に、困惑となにがしかの期待がひろがった。
「彼らデキてるの? こっちが本当のロマンスなの? 一時間半の授業も待てないほど?」
「ボクわかりません……」
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