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08. 運命を曲げ、従わせる者<6>
〈毒の海〉に囲われた状況を阻止するため、ひたすらに研究をつづけてきたアルキスは、ストリキオの言葉をしばし受け入れられなかった。
眼前にあるすべてのものが、星に運命を支配されている。〈毒の海〉もまた、星々がその運命を決めているもの。そこに、大いなる希望をみいだして、アルキスは星見に問いかけた。その意図は、まるでちがう方向にねじまげられ、しかもアルキスを支配した。
自分の死。
アルキスは、そんなことに思いをはせたことはない。一度たりとも。グスキアでの幸福な日々はもちろん、樹上城に入り、無数の人々に死をもたらすようになってからも。アルキスはまだ若く、病を知らなかった。戦場においてさえ、親友ザイウスをはじめとする屈強な兵士たちに周囲を守られ、死は身近なものとは言いがたかった。だからこそ、心やさしいグスキアの少年が、帝王の玉座を手に入れてすぐ人々に死をもたらす存在へ変貌を遂げることができたのかもしれない。
あるいは、もののたとえか。アルキスはそうも思おうとした。だが、ストリキオの星見は、詩のかたちをとらない。星々が歌う事実を、そのとおりに伝えるだけだ。死といえば、死でしかない。
生まれて初めての苦悶。
食事もとらずに思い悩むアルキスを、ザイウスとセレステが見守っていた。二人が自分を案ずるのを見て、アルキスは一瞬救われる思いがするのだったが、少し気持ちが軽くなるだけで、二人は答えをもっているわけではない。答えをもつのはストリキオだけ。
三日後に、アルキスはふたたびストリキオのまえに立った。星々が見下ろす円形の天の下、メサウィラの歴史を背負う盲目の男と対峙する。それは、自分の運命を直視することでもあった。
——私は死ぬのか。メサウィラに繁栄をもたらしたあとで、死ぬのか。
——人は誰もが死にます。その運命を逃れられる者は、誰ひとりとしておりませぬ。あなたさまも例外ではない。
——そういう話ではない。私は道半ばにして死ぬのか、ということだ。
——さようでございます。それがあなたさまの星なのですから。
ストリキオはその日も、見えない目で何もかも見通しているかのように言い切った。
——あなたさまは若くして死にましょう。よいものを人々にもたらすことができましょう。一族は栄え、メサウィラは花の盛りを迎えるでしょう。しかしその花は、あなたさまと運命をともにするでしょう。
——いやだと言ったら? ……
青年は男を見据えた。光のない双眸の中心を探すように。男の眼もまた、青年の存在を探すようにかすかにうごいた。
アルキスは男の答えを待たなかった。アルキスは答えをもっていた。そのことに、口をひらいた瞬間に気がついた。
——星が万物を司るのだと、おまえは言った。
——たしかに。
——私という星の運命は、春をもたらす代わりに滅びる〈冬の王〉だと。
——申しました。
——私という星が、そのようにめぐっていく。
——はい。
——ならば、星がうごきを変えたなら?
——〈王〉。
——星神が私の定めを決めると。おまえはそう言ったはず。ならば、星神が星々を意のままにうごかす、その方法があるはずだ。
——〈王〉よ、あなたは——
運命を曲げ、従わせなさるか。……
そのときだった。二人の男を見下ろす空が、ひとつの星を抱いた。夕刻の訪れだった。
星見の男は、しばし星を眺め、ややあってふたたびアルキスに向きなおり、
——星見は、メサウィラの帝王に星を与えるためにいるのです。
と、告げた。
それは、長いあいだ沈黙しつづけた盲目の男にひらめいた、野心だった。
星見は語る。いにしえより、星見の一族に伝わってきた秘密があると。星見たる者、それを口外することは許されない。しかし同時に、必ずやそれを後世に伝えていかなければならない。それゆえに、先代の星見から伝承を受けとった星見は、後継者を得ることなしに死ぬことは許されない。
——それをおまえは私に語るというのか。
満天に星をたたえた円形の天蓋の下で、盲目の男は変わらぬまなざしでうなずく。
——私の一族は、今はもうありませぬ。私が秘密の遵守を誓った人々もです。
復讐。それがこの物静かな男の原動力であることを、アルキスは初めて知った。しかし、そうであるならば、その目的のためであれば男は何をするのもいとわないだろう。
そう、星の運命を変えることも。アルキスは確信し、自分の死をつきつけられてから初めて笑った。それでもストリキオは笑わなかった。
——星見ストリキオよ。訊こう。星の運命を曲げ、従わせるには、どうすればよいか。
——〈星々の庭〉にございます。
——何だ、そこは? この樹上城の頂上のような場所か。
——たしかにここも〈星々の庭〉といえましょう。しかし、それはこの世界にひとつしか存在しない、あるいは現には存在しない〈庭〉なのです。
——それを探せと。
——はい。それが必ずや、あなたさまの運命を曲げることにつながりましょう。いま申しあげられるのはここまで。なぜなら……。
——私自身がそれをみつけないと意味がない。
珍しく、ストリキオは笑みをもらしたようにみえた。盲目の男が、はじめて自分を年若い青年として扱ったことに気づいて、アルキスはなぜだか愉快になった。愉快になった自分に気づいたことが、また愉快だった。
思えば自分は、少年のころに運命によって奪い去られて以来、年齢相応の生活というものから遠ざかっていた。だからどうだとも思わなかったことが、また不幸なことのようにアルキスには思えた。
だが、星のくびきから脱しようとしている今、ふたたび当たり前の幸福が戻ってきた。だとすれば、星の運命とは、抵抗すべきもの。
——〈運命を曲げ、従わせる者〉に、私はなろう。
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