08. 運命を曲げ、従わせる者<7>

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08. 運命を曲げ、従わせる者<7>

 そのころだった。アルキスは同じ夢を頻繁にみるようになった。  アルキスはまだ少年で、うつくしい庭園の中にいた。最初はそれをグスキアの夢なのだと思っていた。誰からも奪うことなく、周囲にやさしくされ、周囲にやさしくしていられた時代。幼年期懐かしさにみている夢なのだと、目覚めたあと自分をあざ笑った。  しかし、何度も同じ場所を訪れるにつれ、アルキスはそこがグスキアではないことに気づきはじめた。どこまでも続く果樹園。それは、グスキア館の小さな庭とは似ても似つかなかった。たしかに二、三の果樹が植えられていて、季節がやってくるとザイウスと競って木に登ったものだが、その夢の果樹は無限とも思えるほどに生い茂り、アルキスはどこまでも果樹園の中を歩いていく。  やがて、夢のなかのアルキスは、自分がアルキスであることを忘れた。目覚めると、またあの夢をみていたのだと思い起こすのだったが、夢をみているあいだは決して思いだせなかった。思いだそうという気にもならず、その果樹園を守ることが自分のただひとつの役割なのだと、少年は確信していた。  少年は誰かを待っていた。日々、果樹の合間をめぐり歩き、さらさらという音をたてて流れていく水路の水面に手をくぐらせながら、ここに本来いるはずの人に思いを馳せた。  ——この庭は〈王〉のもの。ここを訪れる人は、わが〈王〉ただひとり。  守りつづけていれば、いつかここに〈王〉はやってくる。その瞬間だけのために自分は生きている。  いや、生きてなどいない、と目覚めた青年は否定する。夢のなかのまだ幼さのある自分は、生きているのではない。  ——勘ちがいするな。それはおまえの人生ではない。  断固として夢のなかの思いを拒否しながら、アルキスは胸のなかに通ってくる感覚をいぶかしんでいた。どこまでも幸福。けれど待つことはさびしい。けれど待つことは幸福でもある。〈王〉は必ず存在している。この庭がある限り、〈王〉はきっとここにやってくる。あたたかな希望が、胸に宿っていた。これは自分自身ではない。そのはずなのに。  ——その日のために。その瞬間のために。  アルキスはいつしか、夢の少年に同化していた。アルキスの追い求めるものが、少年の追い求めるものなのだという、確固たる手ざわりがあった。  ——〈王〉とは誰なのか。  うつつには〈王〉は自分だ。しかし、それはかりそめ。春をもたらし滅びる〈冬の王〉。永遠の〈王〉ではない、ほんの一刹那の栄光。  ——本物の〈王〉とは。……  朝に近づき、夢が浅くなるにしたがって、アルキスの渇望がうごめきだした。本物の〈王〉がいるというのなら、その人物の星と自分の星をとりかえてやる。その運命を自分のものとし、残酷な〈冬の王〉の運命を、その人物に与えてやる。——半ば叫ぶように。アルキスはいまだ暗い夜のうちに覚醒する。  しかし、夢のなかのアルキスは、どこまでもやさしく柔和に、うつくしい庭をただへめぐり歩く。夢のなかで、アルキスは夢をみている。いつかその人が現れることを。  深い夢と浅い夢をくりかえすうちに、アルキスは現実の自分と夢の自分、両方の意思をもって行動するようになった。  この夢には何かある。〈王〉とは、夢の秘密のことではないのか。この庭は、ただの果樹園ではない。果樹園以外にも何かあるはず。そう確信したアルキスは、夢のなかで夢をみながら、やさしい少年アルキスの足をつかって夢のなかを探索した。  それは、気が遠くなるような作業だった。夢のなかの自分は決して自分の意思のとおりにはうごかない。ただ庭で待っているだけで満たされている、それが少年アルキスだ。いくらグスキア時代でもここまでではなかった、とアルキスは目覚めてから笑う。だが、アルキス自身であることに変わりはない少年は、やがてアルキスの意思に従って歩きだす。柔和さのままで、少年はアルキスの考えどおり果樹園をさまよい歩く。  果樹園の中に水路がある。水路は果樹園の中を、どこまでも伸びていく。十字に交差した水路を少年は越え、流れの行く先をめざしていく。満たされた幸福のまま、水路を追いかけてどこまでも行くつもりだった少年は、やがて行く手を阻まれた。高い壁が少年のまえに立ちふさがり、水路は壁の下にもぐっていってしまったからだ。  仕方なく少年は壁沿いに歩きだした。しかし壁は終わることがなかった。そこで少年は、これが夢であり、今の自分が偽りの自分であることを思いだす。そしてまた、青年は樹上城で朝を迎える。  少年は夢のなかを歩きつづけた。果樹園。水路。土壁。土壁は途切れることなく続く。一度はさほど頑丈でもない土壁に穴をあけようとしたが、夢の少年は少しだけ壁を指先で削っただけで、それ以上の関心はもたない。壁に穴をあけるほどには、少年には渇望がない。それでふたたび壁の終わりをめざして歩きつづける。  この間に、アルキスは現実に〈星々の庭〉を探しはじめた。それは夢の中にあるのか現実にあるのか、それすらもわからない。それでも、アルキスが運命を曲げ、従わせるためには、〈星々の庭〉をみつけなければならない。  アルキスはグスキアの野の一角に、庭園を築きはじめる。それは、幼いころに世界の大半だった小さな庭とは似ても似つかない広大なものだ。帝王位について以降アルキスは何も記念碑のたぐいをつくっていなかったので、反対する者はなかった。帝王たる者、自らの名を冠する巨大建造物のひとつやふたつは所有しているものだ。  まずは果樹園。果てがないというわけにもいかないから、塀で範囲を決めて果樹を植えさせた。それから水路。つまりは、夢でみたものに似せた庭を。夢の果樹園と水路が、〈星々の庭〉なのかどうかははっきりしない。けれど、アルキスの生活のなかで庭といえるものは、グスキアの小さな庭か夢の果樹園しかない。  夢の果樹園の中には、中心部に高い塀がそびえている。夢の少年は、まだその内部を見ることができていない。  夢の探索が進むよりはるかに早く、現実の果樹園は完成に近づいた。いちど植えた木も、夢の記憶と少しでもちがっていれば、何度でも植えかえさせた。頭にある夢の風景との誤差を埋めていくかたちで、アルキスはグスキアの果樹園をつくらせた。そうしていくうちに、果樹園と水路が完成した。  夢を見、うつつの庭を見、アルキスは満足した。しかしアルキスは知っていた。高い塀に囲われた果樹園の、さらに奥にある塀。塀に囲われた内部は、いまだにがらんどうであることを。塀を乗り越えて中に入ってみたアルキスは、水路が壁の下をもぐったその先に、水路に水を流すためだけの巨大な人工池が水をたたえているのを見た。  中に何か庭をおつくりしましょうか、と庭師たちは言う。帝王にいわれるがまま築庭したものの、職人の心は欠陥を放置しがたい。アルキスは忠実な庭師たちの希望を受け入れ、まだ見ぬ〈星々の庭〉を、彼らの技術の粋をこらして築かせた。アルキスが庭師たちに出した命令はただひとつ、その庭は「星を見る庭」であること。  曖昧な命令に対して、庭師たちは全力を尽くした。完成した庭は美しく、その庭を訪れた者はみな感嘆とともに帝王を讃えずにはいられなかったが、アルキスはここに具現化するはずだった幻を、いまだに追い求めつづけていた。  意図をもってつくった庭は、〈星々の庭〉とはならなかった。アルキスの着想は、失敗に終わったのだ。残ったのは虚脱感と、これではない、という思いだけだった。  行きづまったアルキスに助言したのは、遠ざけていた古い臣下たちだった。父に長年仕えてきた者たちは、何かを探し求める若き帝王に、昔ながらのやりかたを提案した。  ——私は所望する。  メサウィラ帝王アルキスは、使者たちに告げた。  ——〈星々の庭〉の鍵を。  詳細は何もわからない。それゆえに、詩の文句のようにただそれだけの言葉を与えて、使者を出発させた。アルキスの戴冠とともに追放された、兄弟姉妹のもとへ。  ——代償は、樹上城での安寧。  それは、獅子身中の虫をみずから招くようなものだと理解していた。しかしアルキスは、兄弟姉妹が自分の知らない世界にいるということを重視した。〈星々の庭〉の近くにいる者がいるかもしれない。この樹上城とグスキアと戦場だけで生きるアルキスにはわかりえないものを、メサウィラの帝王一族の立場から遠ざけられ、各地に散った者たちがもたらすかもしれない。  成果は思いのほか早かった。奴隷として売り払われた異母妹が、使者を返してきた。  ——われに一軍を与えよ。さすれば鍵を奪い、秘密を知る者すべてを葬ろう。 〈草の海〉のさなかにある戦士の村ティンダル。そこが、異母妹マリオンが鍵のありかだと知らせてきた場所だった。  使者によれば、ティンダルは代々〈星々の庭の鍵〉を守り、受け継いできた一族だと、マリオンは言ったという。マリオンはティンダルに奴隷として買われながら、戦士として才覚を示して頭角をあらわしていた。が、ためらうことなく、マリオンはティンダルをさしだすという。  もちろん、アルキスもティンダルのことは知っている。〈草の海〉最強の一族と名高い。ただし特定の国にはつかず、一族全体が傭兵団を生業とし、戦によってあちらについたりこちらについたりして、とらえどころがない。アルバ・サイフといわれる特有の武具と、上質な馬のうえで舞うように戦う独特の技により、〈草の海〉中に敵はないとされた。メサウィラも、ティンダルを雇って戦ったこともあれば、ティンダルを相手に戦ったこともある。  王女マリオンの話を持ち帰った使者によれば、ティンダルが常勝を誇るのは武具と馬のためだけではない。ティンダルは〈星々の庭の鍵〉をもち、それを思うがままに操って運命を味方につけているからなのだという。  ——運命を味方に。  アルキスは衝撃を受けた。運命によって動かされるばかりの自分。それに対し、運命を動かしてわがものとするティンダル。  瞬間、ひりつくような嫉妬を、アルキスは感じた。  マリオンの伝言を読みあげた使者に、言下に、  ——許す。  と、返事した。
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