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01. 〇・〇〇〇〇〇〇〇〇五パーセントの少年<5>
〈どこにいやがる? サイレてめえ——〉
団長からのコールを指先で切断し、サイレは端末の電源を落とした。
翌日の放課後。五時限目のクラスを終えた足で、サイレはアカデミアの研究室棟にむかっていた。
叔父にはああ言ったものの、あのメモリアのことが気になった。この世界にたったひとりしかいないメモリアの適合者がみつかるだなんて、宝くじに当たるよりも可能性が低い。でも、今まで発見された数十のメモリアに無事適合者が発見されてきたからこそ、トリゴナル以後の天文歴史学の進歩がある。
だけど、やっぱり「たったひとり」だなんて無茶だ。そんなものを探しているあいだに骨になって、最下層から〈毒の海〉に沈められてしまう。けっきょく失望するだけなのに、扉をあける意味なんてあるのか? サイレは叔父がいる天文歴史学ラボの、ガラスの自動ドアのまえで逡巡した。
ドア越しに、白衣を着た研究者や学生、その関係者らしき人々がいるのが見えて、サイレは気づかれないよう死角に入った。が、
「メモリア適合実験へようこそ」
ほほえみの気配とともに、腕をひかれた。振りむくと、至近距離に豊かな金髪の縦ロール。
「マガジン拝見しましたわ。サイレ・コリンズワース君、モリソン教授の甥御さんだそうですね。先生とはつきあいが長いのに気がつかなかった。ちっとも似ていないんですもの」
「どなたです?」
「カタレナ・ワイト。モリソン教授の助手よ。あなたがいたら問答無用で連れてくるよう、先生から指示を」
「はい?」
「ですから、問答無用で」
カタレナと名のった若い女性は、強引にサイレをひっぱり、自動ドアをあけてしまった。研究者か学生の家族らしき女性たちが、黄色い悲鳴をあげる。こうなると、サイレには逃げられない。サイレは姿勢をただし、女性たちに手を振った。
「先生、甥御さんいらっしゃいました」
「おお、待ってたぞ」
「そこでカタレナさんに捕まっただけで」
「はいはい」
そのとき、叔父の背後で、ああー、と声があがった。
「さっきの客ハズレたんだな。まあしょうがない。何しろ世界中で『たったひとり』だからな」
叔父がてのひらを振ったほうに、巨大な試験管が二本立っていた。試験管の中には緑色の液体が充満しており、右の試験管には初老の男性が、左の試験管には拳大の石ころが浮かんでいる。男性のいる試験管から緑色の液体が排出され、男性は試験管内に降り立った。室内クレーンが試験管のガラスをとりのけると、どろどろの男性が出てきた。
白衣を着た学生らしい男が、タオルをもって駆けつける。男性は湿気の多いエリアでときどき見かけるナメクジよろしく、緑色の軌跡を描きながら歩いた。
「残念だなあ、一回でいいから過去ってやつを見てみたかったのに」
「適合者がみつかれば、あとで映像を確認できますよ。ある程度まとまってきたら、レポートもお送りします。気長にお待ちください。シャワーはあちらです」
「でも、最初のメモリアなんて、適合者がみつかるまで十年ぐらいかかったんだろう? 今度のだって、どれぐらいかかることやら。ほら、確率にして」
「〇・〇〇〇〇〇〇〇〇五パーセント」
「とんでもない数字だよねえ。天文学的数字ってやつか」
「学生のお父さんだ」
叔父が説明するむこうで、男性はシャワー室に消えた。
「じゃあ、あの石ころが? 例の星〈メモリア〉?」
緑色の液体のなかに浮かんでいる、なんの変哲もない石。といっても、トリゴナル外に出たことがないサイレを含むほとんどの人間にとって、石はそのへんに転がっているような代物ではなかったけれど。今でも高級住宅街に行けば住宅建材として使われているし、とるにたりないものを石ころというような表現は生きている。
その石は、何らかの宝石を含有しているふうでもなく、とくに美しいところがあるわけでもない、ほんとうにただの石だった。それが星〈メモリア〉だなんて、サイレにはわかりようがない。こんな石ころが、だれかの人生を司る星としてかつてトリゴナル外の空に浮かんでおり、星としての役目を終えて地上に墜ちてきただなんて、そうして〈毒の海〉の底で天文学者に発見され、ここに運びこまれただなんて、とても信じられなかった。
「次、サイレやってみるか。ちょうど客がはけたから」
「いいよ、おれは」
「うん、そうだな。ここに立って。動くなよ。危ないからな」
有無をいわさず、装置内にひっぱりこまれた。すぐにクレーンが動きだし、サイレを筒状のガラスの中に閉じこめてしまう。
「叔父さん?」
「ごめんなさいサイレ君、もうスイッチ押してしまってよ」
カタレナが確信犯の顔で言った。
「うそでしょ。うわっ」
得体のしれない液体が、頭上からぼたっと落ちてきた。服の隙間に、ねっとりしたものが入りこんでくる。
「暴れるなよ。力ぬいてれば呼吸もできる。変に意識過剰にすると苦しいぞ」
「メロンゼリーの中で?」
「息のできるメロンゼリーだ。これまでに何十万人の協力者が呼吸してきたメロンゼリーだから、心おきなく沈んでOK」
メロンゼリーは容赦なく水位をあげてくる。足のほうから、ねばつくメロンゼリーにとらわれたサイレは、暴れるに暴れられず、かたく目を閉じた。指先がゼリーにひたされる。次いで手首、肘、肩、顎……。
「サイレ。目をあけて」
いわれたとおり、まぶたを持ちあげる。かすかな抵抗とともに、透明な緑一色の視界がひろがった。頭のなかに直接響く声の異和感に、うぅ、とうめきがもれる。
「気分はどうだ」
(ぱっと見メロンゼリーなのに、味がしなくて変)
「次までに味つけとくから、今日はがまんしてくれ」
頭の中で思ったことが、直接、叔父に届いた。また、反対に叔父のいうことも、直接こちらの頭に響く。
「といっても、今回の星〈メモリア〉におまえが適合する可能性は〇・〇〇〇〇〇〇〇〇五パーセント、メモリアなんか今後いくつも手に入るモンじゃないし、まあ順当にいけば次はないから」
(ほとんど可能性ゼロの実験ね)
「〇・〇〇〇〇〇〇〇〇五パーセント、ゼロじゃない」
(数字の根拠は?)
「単純な割り算だよ、エレメンタリー(初等科生)でもできる。アカデミアの学生なら居眠りしててもできるだろ? 星〈メモリア〉がひとつ、十大トリゴナルの総人口二十億、端数切り捨て」
(今いる人類の誰かが適合するって、どういう自信? しかも、それがたまたまこのトリゴナルKのアカデミアにいるだなんて?)
「〈星は人なり〉、それは世界の真理だよ、サイレ。なんならトリゴナル以前のずっとずっと昔、神々が生きた古代まで遡って、世界の真理ひっくりかえしてみる? それから後半、重複した質問だな。適合者はアカデミアにいるかもしれないし、いないかもしれない。ゼロじゃない。試す価値はある。カタレナ、ゼリーは問題なく浸透してるようだから、接続に入ろうか。わが甥はこむずかしい議論をふっかけるぐらい元気だ、とっととやってしまおう」
「星〈メモリア〉接続シークエンス、開始します。サイレ君、心の準備はよくって? 接続が始まったら、サイレ君の見るもの、聞くもの、すべてが映像として記録されます——もっとも、見ること、聞くことができればですけど。カウントダウンが終わったら、まず自分の名前、年齢、職業を言ってください。記録映像のインデックスになります。そのあとは、目の前に展開されるものに身をゆだねてください。仮にあなたが〇・〇〇〇〇〇〇〇〇五パーセントの男の子だとしても、そこで見るものを選択する権利はありません。星〈メモリア〉があなたに見せたいものを見せるだけですから」
(了解、カタレナさん)
「カウントダウン開始。五、四、三、二、一」
「サイレ・コリンズワース」
そのとき、メロンゼリーのむこうで、シファ・アーマディーがラボに入ってくるのが見えた。どくり、とサイレの心臓が鳴る。
「——星〈メモリア〉に接続します」
たちまち心臓の音以外、すべての感覚が途切れた。
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