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 恋愛対象も性的対象も女である事を前提としたうえで、美少女よりも美男子を眺めている事が趣味だと言う男子高校生は、なかなかに不思議な存在ではないかと思う。  小珠(こだま)が何故そんな複雑な嗜好を持っているのかと言えば、全ては自分の母親に由来する。  母親は若い頃から男性アイドルに目がなく、結婚して小珠が生まれてからもその情熱が失われる事は無かった。  子供向けアニメの代わりに男性アイドルのライブ映像。絵本の代わりに写真集。童謡の代わりにJ-POP。小珠が初めて覚えた言葉は母親が推しているグループの名前だった。  一般的な教育から逸脱していると言わざるを得ない家庭環境であったが、小珠はそれを不満に思うどころか、別世界にいる華やかな美形達に夢中になっていった。  母親の遺伝子がしっかりと受け継がれたらしい。  悪者を倒すヒーローよりも、合体変形するロボットよりも、ステージの上でキラキラと輝くイケメンアイドル達を見ている方が胸が高鳴った。  自分もこんな風にカッコよくなりたい。人気者になりたい。  子供の頃に抱いたそんな憧れは、時を経ても色褪せる事無く小珠の心の真ん中に鎮座していたが、中学生になって思春期に突入すると、その純粋な大志は不純な動機によって圧迫され始めた。  物心ついた頃からイケメンを目指し服装や髪型に気を使っていた小珠だったが、その実、その素質は十分にあったのだ。  小珠の両親は絶世の美男美女とは言えずとも、平凡と片付けるには勿体無いくらいに整った顔の作りをしていた。  そんな二人の良い所を存分に吸収して生まれて来たのが小珠だ。  歪み無く真っ直ぐ伸びたキラキラと輝く黒髪、くっきりと刻まれた二重瞼の下にある垂れ目がちな瞳、それに反してすっと美しく自信あり気に持ち上がった眉。  血色の良い薄い唇の向こうには、白く綺麗な歯が乱れる事無く並んでいる。  元々食べても太らない体質なので体型の維持に悩んだ事は無かったが、自分磨きの為の筋トレも嫌いでは無い。  筋骨隆々、とまではいかなくても、女子達が小珠の腹筋や二の腕に色気を感じる程度には引き締まった体をしていた。  それでなくとも幼稚園の頃はやたらに女の子達に結婚を迫られたし、近所のおばさん達からは、昔のアイドルのなんとかに似ていると良く言われたものだった。  学年が上がるごとに小珠の顔面偏差値はめきめきと上昇していき、ただ立っているだけで周りの視線を惹き付けた。  廊下ですれ違った女子達が嬉しそうにこちらを振り返る。悪い気はしなかった。  都会に行けば小珠程度の美男子は珍しくないのかもしれないが、それでも小珠が暮らしているような田舎寄りの地域ではその美貌は百点満点に近かった。  特に中学生だった頃は女子達からの人気が凄まじく、同じ学校の女子生徒どころか他校の女子達すら小珠の存在を認知し、校門の前で待ち伏せされる事もあった程だ。  男子にとっては一大イベントであるはずの女子からの告白も、小珠にとってはありふれた日常の一部だった。  しかしそんな環境で育ってしまったせいか、アイドルになる為にカッコ良くなりたい、という熱意はいつの間にか、女の子にモテる為にカッコ良くなりたい、という邪心に上書きされてしまった。  ただ、己の造形の優秀さに気付いたからと言って“自分が一番カッコイイ”などと思い上がる事は無かった。  好きな男性アイドルの姿を見る度に自分ももっと努力しなくてはと思うし、外を歩いていて美形とすれ違えば、今の人カッコ良かったなと素直に感動する。  高校に進学すれば、顔も体ももっと男らしく大人っぽく魅力的に成長するのだろう。  今でさえ飛ぶ鳥を落とす勢いだというのに、これ以上となると一体どうなってしまうのか。  小珠に好意を寄せている誰もがその飛躍に期待していたし、小珠自身も、新しい世界は今まで以上に自分を歓迎してくれると信じていた。 ◆◆◆◆◆  昼休み、売店でいくつかのパンやジュースを買った小珠は、自分の教室に戻る途中で仲の良い女子生徒の後ろ姿を見付けた。  気さくに声を掛ければ、小柄で可愛らしい彼女は花のような笑みを浮かべて小珠の隣に並んだ。  他愛も無い会話が続いたが、それが一瞬途切れた間に、冗談混じりに、けれど結構切実な気持ちで「俺と付き合ってみない?」と小珠が問うた。  彼女は大きな目を更に真ん丸に見開いた後にすぐに顔を伏せ、気まずそうに口を開いた。 「気持ちは嬉しい、けど……。小珠君が彼氏だと、友達に紹介する時とか、その……」  どう前向きに捉えても、その先に好意的な言葉が繋がる事は無い。  小珠はそれ以上深追いする事はせず、乾いた笑いを漏らして居た堪れない空気を誤魔化した。 「はあぁー……」  自分を振った女子と別れた小珠は、重い足取りで教室へ戻る。  自分の席に深く腰掛け、盛大な溜め息を漏らした。  弁当を食べながら小珠の帰りを待っていた男友達二人が、不思議そうに顔を見合わせる。 「売店にパン買いに行くだけで何でそんな疲労困憊なんだよ」 「……別に……」  パンを買ったついでに女子に告白したら速攻で振られた、などと、言える訳が無い。  そんな事を知られれば、これで何人目だと笑われるに違いないからだ。  しかし二人はそれ以上小珠を追求する事も無く、男子高校生らしいくだらない会話を楽しんでいる。 (どうしてこんな事に……)  中学の頃の昼休みはほとんど女子達に囲まれて過ごしていたというのに、高校生となった今では一緒に昼食を食べてくれる女子すらいない。  どうしてこんな事に。  心の中で再び自問するが、その答えは小珠自身が良く分かっていた。 (あの日に戻りたい……)  高校に入学してからも小珠の女性人気は止まるところを知らず、クラスメイトの顔を覚えきるよりも早くひとつ上の学年に新しい彼女が出来た。  それだけの事ならば責められる事でも無いのだが、小珠は同時期、他校の女子生徒とも交際していたのだ。  そちらは中学生の時から付き合っていた同級生だった。  言い寄ってくる可愛い女の子は沢山いるのに、誰か一人だけなんて選べない。  いつからかそう思うようになったのだ。  二股というだけでも褒められた行いではないと言うのに、小珠は先の二人ばかりでは飽き足らず、三人目、四人目と彼女を増やしていった。  三人目は街で小珠に声を掛けてきた女子大生で、四人目はインターネットで知り合った女子中学生。  勿論四人の間に面識は無く、それぞれが住んでいる地域も通っている学校も全く異なる場所だった。  だからこの不誠実な関係がそう簡単にバレる事はないと高を括っていた。  事実、四人と同時に交際をしているにしては小珠は上手く管理していた。  誰か一人とデートをする時は、他の三人のスケジュールを把握して絶対に鉢会わないように細心の注意を払ってデート場所を選んでいたし、四股に気付かれるような失態を犯した記憶も無い。  しかしそれでも、そんな爛れた関係は崩壊の時を迎えた。  高校一年生の冬、四人の彼女達が一斉に自宅へと乗り込んで来た時は、驚きより何より、死、という一文字が真っ先に頭を過ぎった。  一人一人は自分よりも小柄で非力な女の子達だとしても、四人が束になって突進してくればたまったものではない。  殴られ、蹴られ、罵倒され、ついには一人が鈍器を手にした瞬間には自分の人生はここで終わるのだと思った。  幸いにも命を奪われる事まではなかったが、その体験は小珠の身にも心にも大きな爪痕を残した。  体の傷はとっくに癒えているが、当時の事を思い出すだけでいまだに膝が震える。  こうして浮気男に天誅が下って一件落着、では終わらなかった。  神はその程度の罰では許してくれなかったようだ。  四人の彼女達が、それぞれの友人に小珠の悪行を語る。  それを聞いた友人は、ひどい奴がいたもんだ、と、更に他の友人へとその話を伝える。  燃え上がった炎が風に煽られて広がっていくかのように、小珠の悪名は瞬く間に地元に知れ渡った。  火元が四カ所もあれば、燃え広がるスピードと炎上範囲は計り知れない。  更には、とんでもない変態的性癖の持ち主だとか、付き合ってた女全員を妊娠中絶させただとか、身に覚えのない噂までもが流れ出し、収拾のつかない状態に陥ってしまった。  小珠はこうして、天国から地獄へと突き落とされたのだった。  小珠の悪行を知らない女性達は変わらず好意を抱いてくれるし、中には、そんな行為を知った上でも好きだと言ってくれる女性も僅かながら存在している。  しかし、後者の女性達は、周りの目を気にしてその好意を公にしない場合がほとんどだった。  結果、それまでの活気が嘘のように小珠の周りからは女性の影が消え、こちらから告白しようものなら「小珠君が彼氏だと友達に引かれるから嫌だ」と断られてしまうようになったのだ。  仲の良かった男友達にすら距離を置かれ、小珠の必死の弁明と心からの懺悔を信じてくれた数人だけが、いまだに小珠と仲良くしてくれている。  しかし、人の噂も七十五日。  心を入れ替えて、大人しく、誠実に、紳士に過ごしていれば、また元のようにチヤホヤされる日々が戻って来る筈だ。  小珠はそう期待し、この一年間を粛々と過ごして来たが、その願いはいまだに叶えられていない。  何故いまだに自分は日陰者なのか。  その原因に、ひとつだけ心当たりがあった。 「小珠ー」  少し離れた所から自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、小珠は我に返った。  反射的に振り返りそうになった体を無理矢理正面に戻して、乱暴にパンの袋を開いた。  目の前に座る二人の友人は、小珠と小珠の背後に交互に視線を向けてくすくすと笑っている。  二人だけでなく、教室にいる女子達の視線もその声の出処へと集まっていく。 「ほら、小珠、王子様が呼んでるぞ」  友人の一人が、おかしそうに小珠の肩を叩く。 「今そういう気分じゃない」  小珠は友人の手を振り払うと、剥き出しになったホットドッグにがぶりとかぶりついた。 「小珠……?」  先程よりも大分弱々しい声で再び背後から名前を呼ばれ、罪悪感がのしかかる。  それでも小珠は頑なに振り返らなかった。  小珠が立ち上がらない事を確認した一部の女子達が、ならば私が、と言わんばかりに勢い良く席を立つ。 「健優(けんゆう)君~! この前は教科書貸してくれてありがと~!」 「もうお昼ご飯食べたの~?」  真っ先に獲物の元へと駆け寄ったのは、クラスの中でも特に派手な身なりをした女子達だ。  普段はガハガハと大口を開けて爆笑しているような彼女達だが、今はまるで純粋無垢な生娘のように愛らしい仕草と声で対象の人物に話し掛けている。  出遅れてしまった他の女子達は悔しそうに表情を歪め、再び自分の席へと座り直した。  背後から聞こえる楽しそうな笑い声を無視して、小珠はふてくされた表情で手元のパンを食べ進めていく。 「……あれっ! 健優君、おでこケガしたの!?」  耳障りでしかなかった会話の中の一言に、小珠はぴくりと反応を示す。 「あー、うん。体育の時に転んでぶつけちゃってさ。でも大したケガじゃないから大丈夫。もう血も止まったし」 「え~っ、やだ~っ! かわいそう!」  血、という言葉を聞いて、小珠は途端に居ても立ってもいられなくなった。  視線は落ち着きなく周囲を彷徨い、一筋の汗が額から流れた。  片手に持っていたジュースのパックは、無意識に握り潰されて歪んでいる。  今すぐにでも振り返りたい衝動と、そんなの知った事かと知らんふりしたい意地が激しくぶつかり合う。 「保健室には行ったの!?」 「んー、これくらい良いかなって思って。前髪で見えないし」 「ダメだよ、行かなくちゃ!」  そのやり取りを聞いて、小珠の我慢は呆気なく限界を迎えた。  飛び上がるようにして椅子から立ち上がると、勢い良く背後を振り返る。  教室の出入口付近で女子達に囲まれていた男は、小珠と目が合うなり嬉しそうに微笑んだ。 「小珠」  小珠は返事をする間もなく血相を変えてその男子生徒の元に駆け寄ると、本人の確認も取らずに額に流れるチョコレート色の前髪を掻き上げた。  眉の上からこめかみに掛けて皮膚が切れて赤くなっており、流血したのであろう傷の周りにはうっすらと血の痕が残っていた。  確かに大した傷では無いのだが、ニキビひとつない美しい肌のせいでひどく痛々しく見える。 「小珠、くすぐったいって」 「ばっ、か野郎! さっさと保健室行くぞ……!」 「本当に大丈夫なのに」  小珠は、健優と呼ばれていたその男子生徒の腕を掴むと、半ば引き摺るようにして教室から連れ出した。  獲物を横取りされた女子達からのブーイングは今の小珠の耳には入らず、急ぎ足で保健室を目指した。
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