17 春かぜ

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 2人はゆっくりと裏庭へと向かっていた。 初めは車椅子を押す力加減も分からなかったけれど、いつの間にか御桜の後ろで飴色の髪を見つめるのも当たり前になっていた。  あの日と同じ。御桜が足がもう動かないと打ち明けてくれた日と同じような足取りで、2人は進む。  裏庭の桜はあの日よりも沢山の花を咲かせていた。 薄桃色の屋根の下に入ると、流れる空気が変わる。優しくて、包み込んでくれるような暖かい風。 「気持ちいいね。」 思わず伸びをしてしまいたくなる。 「うん。天、私ね、そんなに絶望してるわけじゃないんだよ。」 御桜が振り返らずに話しだす。 この桜の下へ来ると、何故だか、抱え込んだものを下ろすことを許された気分になる。それは御桜も同じなのかもしれない。 「歩けないって分かってから、一体自分はどれだけのことができなくなるんだろうって考えた。今までできてたことができなくなって、行きたかった場所にも行けなくなる。常に誰かに迷惑をかけながら生きるんだって思ったら、怖くなった。誰かの助けがないと、1人では生きていけないって凄く怖いことなんだ。でもさ、そうなっても懸命に生きてる人は一杯いるじゃん。だからそんなに絶望しなくてもいいのかなって。」 最後言葉は、まるで御桜が御桜自身に言い聞かせている言葉に聞こえた。 強がり。 御桜の言葉が強がりであることを天はもう知っている。 「ね、だから天、そんなに心配しなくてもいーー。」 御桜の言葉は途中で遮られた。 「心配しなくても、何?」 「はへ?」 天は御桜の言葉を聞いて、咄嗟に両手で御桜の頬を挟んだ。 そのまま御桜の前に回り込む。 御桜の顔は驚いた形を作っている。 けれどその目元にはこんもりと雫が山を作っていた。 天が頬に触れた衝撃で数粒がこぼれ落ちた。 「御桜、私がいる。」 頬を伝うその雫を見て、天の中で何かが決壊した。自分でも、自分か何を言い出したのかわからない。 視界には、涙を溢す、御桜の姿だけ。 あの日の儚さはそのままに、強がりで固められた、脆い内側が見え隠れする。 「私が、ずっとそばにいる。」 言い放ってから考えて、言い直した。 「違う。側にいさせてください。 御桜のことが好きだから。」 2人を優しく包み込んでくれていた風は流れを変えた。御桜の長い髪の毛を揺らしながら、新たな風が流れ込む。 見開かれた御桜の目から無数の涙が溢れる。 天は頬を挟んだままだった手を離す。御桜は右腕で乱暴に顔を拭った。 「そっか、ありがとう。」 にっこりと微笑まれる。あまりに綺麗に、嬉しそうに笑うから、胸がズキズキと脈打った。 苦しい、恋愛の波動。 大丈夫、御桜は気がついていない。 今の一言に恋情も、覚悟も、天の有りっ丈の想いが込められていたことに。 元々、天は自分の恋心を打ち明けるつもりはなかったのだ。 これでいい。 御桜は天が側にいることを受け入れてくれた。 それだけで、天は何よりも幸せなのだ。 「えへへ。天、私も天のこと大好き。」 御桜が泣きながら笑っている。顔は涙と鼻水でぐしょぐしょなのに、その表情は、天の胸を衝いた。 御桜が両手を広げている。 天は吸い寄せられるようにその胸に飛び込んだ。 柔らかくて、温かい。トクントクンと鼓動が聞こえる。 頭にも温もりを感じる。御桜が頭を撫でてくれているのだ。 ふと、秋頃、天が学校で熱を出して倒れた時のことを思い出した。 あの時にはもうとっくのとうに御桜のことが好きだったんだ。 御桜の腕がきつくなった。 ギュと力強く抱きしめてくる。その力強さに、天はハッとした。 ーー伝わっている。 天が込めたもの全部、御桜に伝わっている。 天は御桜を強く強く抱きしめ返した。 ーーそっか、御桜だもんね。 この4年間、1番近くにいたんだもん。 1番近くで、天を見てくれていたんだ。 「好きだよ。」 それは、どちらが言った言葉なのか。 ずっと。 なんて、不確かで曖昧な言葉。 それでも、信じずにはいられなかったんだ。  閉ざされた冬の日から、いつしか2人を包み込む風は、春かぜへと変わっていた。
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