1 初夏、屋上

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1 初夏、屋上

「あーお腹空いたぁー」  初夏の陽気な日差しが照りつける真昼の屋上に御桜の叫び声が響く。 入学式で出会った件の彼女は、神楽御桜という名のなかなかのお嬢様だった。  ただそれは御桜の親の金であって、自分のものではない、ということを御桜は知っていた。 だから一般家庭で生まれ育った天と価値観が大きくずれるということもなく、むしろよく気の合う二人だった。  天と御桜の通う中高一貫の女子校は、名門の所謂お嬢様学校である。 都心の一等地にその校舎を構え、高層ビルに囲まれた校舎の中で唯一広い空を拝むことができるのが、今天達のいる屋上なのだ。  天達が屋上を訪れるようになったのはおよそ一か月前の四月のこと。  昼飯を食べようとなった時、御桜が言い出した。 「屋上行こう!屋上でお弁当とか青春の体現じゃないか。」  胸を張って言う御桜の理屈はたまによくわからないことがある。  しかし、青春、という言葉に惹かれた天は快諾してしまったのだ。  屋上はいつでも解放されている。  屋上に繋がるドアを押し開けると、すぐにソーラーパネルが現れた。ものすごい存在感を放っている。その下をくぐり抜けると、目の前に、色とりどりの花と、青々と生い茂る緑が視界いっぱいに映り込んだ。 「なんじゃこりゃ。先生こんなのがあるなんて言ってなかった。」 二人して目をまん丸にして立ち尽くした。 「なんじゃこりゃってなぁに?」  その時、突然後ろから声がした。 訝しげな声に勢いよく振り返ると、白衣を着た女性が立っていた。 「いや、すごいきれいっていうか、生命力に溢れているというか…あー上手く言えないけど、とにかく感動しました!」 御桜の言葉に、女性の訝しげな表情が緩み、やがて笑顔へと変わった。 「そう、ありがとう。あ、屋上は誰でも利用オーケーだから好きに使って」 「あ、はい。」  そう言うと女性はスタスタと緑の茂みの中へ去って行こうとした。それを天と御桜が 同時に止めにかかる。 「「あの!」」  ふわりと髪を揺らして女性が振り返る。 「この植物達は先生が?」  当然のごとく、この突然現れた女性には質問が山ほどある。 とりあえず先生と呼んだが、先生かすらも定かではないのだ。 「 ええそうよ。ああそれから、好きにしていいって言ったけど、この子達のことは傷つけないで頂戴。それじゃあね。」  軽く手を振って今度こそ茂みの中へと消えていった。 まさか屋上にこんなのがあったなんて。  いつでも解放されているとは言っても、屋上に来る生徒はあまりいない。  コンクリートジャングルに突如現れたオアシスのような、緑に溢れた空間。数え切れないほどの植物達とそれらを『この子』という女性教師。 興味を惹かれない筈もあるまい。  こうして、天と御桜は毎日屋上で昼休みを過ごすようになったのである。  「佐薙さん、神楽さん、ごきげんよう。だいぶ暑くなったのによくここへ来るものね。」 「いや意外とここって暑くないんですよ。グリーンカーテンってやつですかね?」 おどけて言う御桜に天は真面目くさった顔で頷いてみせた。 「それは少なからずあると思うわ。」  秋穂先生もにやりと綺麗に口角を上げた。その顔のまま如何にもおばさんくさい眼鏡を外し、白衣を脱ぐ。  その手つきが妙に色っぽい。  同じ女の目から見ても、秋穂先生の仕草は色っぽいのだ。 しかもそれは、屋上にいるときだけで、普段教室で授業をしている時は眼鏡同様、如何にもなおばさん仕様である。  ストレートの黒髪を後ろで一つに束ね、レンズにカラーの入った眼鏡をかけている。 しかし、一度髪を解き、眼鏡を外し、白衣を脱げば、それは、大人の色気を醸す女性へと変化する。  その姿を知るのは生徒の中では天と御桜のみであろう。    あいも変わらないその変化振りに溜息を吐く。  花房秋穂。生物を教える高校教師。毎日屋上を訪れ、沢山の植物の世話をする。独特の喋り方をすることと、授業が分かりやすいことで有名。本人曰く、屋上の植物達は校長に許可を取り、屋上庭園として解放しているらしい。実際屋上を訪れるのは、秋穂先生と天と御桜と、 一年に一回くらい点検に来る校長先生ぐらいだ。 天と御桜の知っている秋穂先生の情報はこれぐらいしかない。 まだまだ謎に包まれた存在である。  あっという間に植物達に水やりを終えた秋穂先生は、じゃあごゆっくり、と、言い残して、屋上を去っていった。    秋穂先生は基本的に天達が授業を受けている間に植物の世話をしている。だから、こうして昼休みに出くわすのは、水曜日だけだ。水曜日は、午前中に授業が詰まっているので屋上へ来る時間がないそうだ。 天も御桜も秋穂先生が好きだったから、たまの水曜日を密かに楽しみにしてもいた。 「そういえば、御桜は部活ってもう決めた?」  天と御桜の屋上での定席である、屋上の縁に腰掛けて、天は早速切り出した。  この学校には数多くの部活があり、新入生 のほとんどが、そのいずれかに所属する。 ゴールデンウィーク明けまでに入部届けを出さなければならない。その後の退部や入部は自由だが、天はやるなら卒業まで続けたいと思っている。途中で辞めてしまうのは、なんとなく無責任な気がするから。  だから、天も当たり前にその程で質問した。しかし、返って来たのは、思わぬものだった。  「私は部活には入らないんだ。」 事もなげに言う。 「えっ、そうなの?何で?」  普段から、だいぶ周りとずれた言動の多い御桜だったが、その一つ一つに御桜なりの理由があった。御桜は、決して意味も無しに行動することは無かった。 「私ねバレエやってるの。週三日。だから、部活は入らないの。」  初めて聞く話だった。驚いたけれど、納得もした。御桜はとても姿勢がいい。頭のてっぺんから足の先まで、一本の線が通っているのが見えるほどに。すらっと無駄な肉の無い体型も、御桜のスタイルの良さを引き立てていた。 「そっか、バレエ、好きなんだね。」  不思議と冷静な声が出た。御桜がバレエ。あまりに違和感がなかったからかもしれない。 「うん。好き。」  ツキリ。胸の鼓動が速くなる。何故なのかはわからない。 ただ、天の頭は御桜の体つきの辻褄合わせで一杯になってしまって。 突き抜ける様に青い初夏の空を見上げる御桜の瞳は、陽の光を一身に受けて、光り輝いていた。
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