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第三章 明日への扉
夜風が心地よくほほをなでていく。
パパは森の木々をかすめるほど低く飛んだり、うんと高く飛び上がったり、急に速度をあげたりゆるめたりした。
おもしろそうに飛ぶパパに、リラも一生懸命についていった。
あぁ、なんて楽しいのだろう!
リラの心はよろこびではじけそうだった。
やがてパパは森を通りすぎ、街のあかりをめざして飛び始めた。
そして一直線にリラの部屋の窓に飛び込んだ。
リラもパパの後につづいて部屋のなかへと飛び込んだ。
パパはリラのベッドのうえで、つばさを休めていた。
リラがパパの前におりたつと、パパはやさしく目を細めてリラを見つめた。
「楽しかったかい?」
「ええ、とっても! 最高の気分よ」
リラは冷めない興奮の余韻にひたりながらうなずいた。
熱くなったほほに触れようとして、つばさになっていた両腕が、人間の手にもどっていることに気がついた。
「さぁ、たくさん飛んだあとはたっぷり休息を取らなければいけないよ」
パパにうながされるまま、リラはすなおにベッドに横たわった。
パパは器用にくちばしでシーツをひっぱり、リラのからだにそっとかけてくれた。
「かわいいリラ。パパはそろそろ行かなくては」
「もう行ってしまうの? またパパと会える?」
パパは残念そうに首をふった。
「こうしてきみを訪ねるのは今夜だけだよ。でも、リラ。きみはけっしてひとりぼっちなんかじゃないよ。いいかい、リラ。パパはね、いつだってきみのそばにいるんだよ。たとえパパの姿が見えなくても、ちゃんときみのそばで、きみのことを見ているんだよ」
リラはパパのやさしい黒い目を見つめた。
「もしもさびしくなったら、今夜のことを思い出してごらん。きみはいつだって、そらを自由にとべるんだから」
パパのやさしいささやき声が、子守唄のようにリラのまぶたの上にふってくる。
「ゆっくり深く眠りなさい。次に目がさめたらきみは、今までとはまるでちがう、すばらしい一日に出会えるよ」
ここちよいつかれがおとずれ、リラを眠りの世界へといざないはじめた。
「ママのことはもう心配しなくていいよ。これからママのところに行って起こしてくるから」
リラはパパのことばに、深い安心が胸に広がるのを感じた。
パパが起こせば、ママはきっと目をさますだろう。
「それから、きみがなくしたブラシのことも心配しなくてだいじょうぶだよ」
リラがブラシをなくしてしまったことを、パパはちゃんと知っていた。パパはやっぱりリラのことを、いつも見ていてくれたのだ。
「ありがとう、パパ。ずっと探していたの。なくしてしまってとても悲しかったの」
「わかっているよ、リラ。パパは今までも、これからも、いつでもきみを見守っているからね」
そのことばを聞きとどけて、リラはコトリと眠りにおちた。
リラが目をさましたとき、窓の外には今まで感じたこともないくらいの、まぶしい光があふれていた。
リラの髪には、まだ濃密な夜の湿り気が残っていた。
リラは自分の心が、とても軽やかになっていることに気がついた。
まるで昨夜パパと一緒に夜空を飛んでいたときのように。
それと同時に、なにか強い力が、自分の中に生まれているのを感じた。
窓際に立って外をながめてみると、パパが言った通りだった。昨日までとはまるでちがう世界がひろがっているのを感じた。
見るものすべてが、あたらしく生まれかわったかのようだった。
ふとドレッサーに視線をやると、鏡の前になくしたブラシがきちんと置かれていた。
「ブラシだわ。ブラシがあった!」
ブラシを手にとろうと近づくと、かたわらにはカモメの羽根が一枚落ちていた。
その羽根を手にとって鼻先に近づけると、かすかに潮のにおいがした。パパのにおいだ。リラの胸は喜びでいっぱいに満たされた。
「パパ、ありがとう」
リラは鏡の中の自分を見た。そこには泣き虫だった昨日までとは別人の、明るい顔をした新しいリラがうつっていた。
「忘れないわ、パパ」
リラはもうひとりではなかった。パパはいつでもそばにいるのだ。
眠るときも、食べるときも、遊ぶときも、いつだって──。
そのとき、遠くで電話の鳴る音がひびいた。まるで谷をわたる春告げ鳥のなき声のように。
リラはきっと、ママのめざめを知らせる電話にちがいないとかけだした。
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