雲のその先

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雲のその先

 初めての、みちる先輩とのデート。  今日という日を心待ちにして、親から借りた車も一週間前に洗車しておいた。 みちる先輩を励ましたい。その一心で、お誘いした。目的地は山奥。だが、決していやらしい気持ちがあるわけじゃない。  先輩達から聞いた話だと、就活中のみちる先輩は、何社も面接を受けているが、最終面接で落とされ続け、今では一次すら落とされているそうだ。そうして、自身を責めてしまっているらしい。  ――『私って、なんてちっぽけな存在なんだ』そう気持ちを零していたそうだ。  先輩を……、みちる先輩を元気付けたい。いつものように、元気いっぱいで、自信に溢れた姿で就活を頑張ってほしい。 それを今日僕は伝えたい。出来れば、告白なんかも出来たらなんて、思っていたりもする。  山奥なだけあって、外は街灯も少なく、暗い。昨日の雨が残していった残雲が、星を隠しているせいか、更に暗く感じる。  ――そう。昨日は雨だった。一週間前に洗車したのに……、でも無駄になったことは言わないでくれ。  ちなみに、山奥と説明を省いたが、僕らが向かっているのは、地元でも有名な天体観測のスポット。そろそろ到着だ。  「……」  「……」  ――空気が重い。  車に乗っている時には、好きな音楽かけて、他愛のない話をして、明るかったのに、着いてからというもの、一言も話さない。  ――いや、話せる隙がない。  「深淵をのぞく時……」  「……?」  「深淵もまた、こちらをのぞいているのだ」  「……ん?」一瞬、みちる先輩が何て言ったか理解出来なかった。確か、深淵を除く時……、何?  「だ、か、ら、こっちが観てるってことは、あっちも観てるってことよ」  「いやいや、怖いですよ。急に何の話ですか」  「もう。男の子のなのに、雑学ってもんがなってないのね」  「は、はぁ。すみません」  「いい? さっきのはニーチェって人の言葉なの。彼が言うには……、例えば、私が君を見ている時、君も私を見てる、そういうこと」  そう言って、こっちを真っ直ぐに見つめてくるみちるさんに、雲の切れ目から差し込んだ月明かりが照らす。  ――か、かわいい。  「ん? 意味わからない?」首をかしげる彼女。  ――ん。かぐや姫?  「もう。なんか言ってよ」  「ご馳走様です」  「はぁ? もう、何がよ。わけわかんない……。けど、悪い意味ではなさそうね」  「さすがの読解力でございます」  「ほんと、お調子者だわ。きみ」  「そのニーチェって人の言葉の意味は理解しました」  「よかった! それじゃあ、話を続けましょうか」  「お願いします」  みちる先輩は、いつもの調子を取り戻したようだ。  「私たちはこうして、天体観測をしているでしょう? さっきまでとは違って、夜空には信じられないほどの数の星が浮かんでいるわ。私という存在がちっぽけに感じるほどに」  みちる先輩は空を指差し、説明を続ける。空を覆っていた雲は既に散り、何も遮るものはない。 月明りを主役として、星明りは彩り、夜空を儚げに照らす。その下で、目の前の女性は、物憂げな表情を浮かべる。  「……はい」  「それは、彼らも同じなんじゃないかって、思うの」  「彼ら……ですか?」  「そう、彼ら」  「……。あ! 星ですか」  「そうよ。他に夜空に浮かんでるものはなんかある?……なんて、ちょっと意地が悪いわね」  「そ、そんなことは……はは」  「ふふ。それでね。そんな彼らも、自分たちのことを『ちっぽけな存在だ』なんて思うのかなぁって」みちる先輩は僕に見えるように、何かを摘まむような仕草をした。  「……それはないんじゃないですか? 遠くにあるから小さく見えるだけで、実際にはあいつらでかいっすから」  「……え?」  「……あ」  「……?」  「もしかしたら……、あいつら自分達が大きいことに気付いてないかもしれないっすね」  「なんで?」  「なんでって、鏡とか無いから、自分の姿なんて見えないじゃないですか」  「それはそうね」  「そう考えると、あんなに大きいのに、自分の大きさに気付いてないなんて、おかしなやつらっすね」  「……。大きいのに、その大きさに気付いて……ない」みちる先輩は何か考えているように『うーん』と唸る。  「あれ、なんか変なこと言いましたか?」    「……んーん」月明かりの下で、栗色の髪を輝かせ、相槌を返すみちる先輩は月を観ている。  何度、何度だろう。何度、この人に見惚れ、元気付けられたんだ。見た目が美しいとかではない。雰囲気、口調、優しい顔つき、一緒にいるだけで和む。だからこそ、今度は僕がみちる先輩を元気付けたいと思ったんだ。  「せ、せんぱ……」  「ありがとう」  いつの間にか、先輩は月ではな僕へと視線を落としていた。  「いや、僕は何も……」  「君はいつも私を元気付けてくれるね」  「そ、そうでしょうか」  「それにね。前から、思っていたんだけど……」  「……え。あ。はい」  「君って……、例えると太陽みたいな人よね」  「……ん? え、褒めてます? もしかして、今褒められてます?」  「褒めてるわよ」  「あ、ありがとうございます。でも、太陽だなんて、大袈裟ですよ」  「大袈裟じゃないわよ。いつも人の中心にいて、目立たない子にも気を配って、輪に入れてあげて……」  「いやいや、買い被りすぎですよ。自分なんて、今もこうして、夜の暗闇に紛れて、先輩をどう襲おうか悩んでるくらいのゲス野郎ですから」  「え。そうなの?」  「いやいや、冗談ですよ!」  「本当にー?」  「全然ない。まーったくないです!」  「そ、それは、それで、失礼じゃない? 私には女の魅力がないのかしら」  「いやいや、素敵です!」  「ぷ。ははは! からかい甲斐もあるし、その才能は素晴らしいわ」  「え? 今のは馬鹿にしましたよね」  「うん。した」  「くぬぬ。なんて人だ」  ――みちる先輩と二人。こんな、やりとり幸せすぎる。もう、一生の思い出になるな。  「私は君みたいな人にはなれそうにないわ」  「……え? 僕みたいって、どちらかというと、みちる先輩の方が人気もあるし、みんなの輪の中心て感じしますけどね」  「それは……、それだけはないよ」  「……なんで、そんな風に思うんですか?」  「私はね……。誰かに認めてもらうことで、自分の存在をやっと認識出来るの」  「……」  「月ってね。自ら光を放たないじゃない?」  「そうですね。太陽の光が反射してますから」  「それよ」  「……? 自ら輝けないってことですか?」  「んー。及第点」  「く。わからんす」  「私はね。自分で自分のことを認めても、自分という存在を認識できないの」  「と、いうと……。自分の価値を自分一人では見出せないってことですか?」  「そう。人に認められて、始めて自分の存在を認められるの」  「あったま……。硬いっすね」  「はは。よく言われる。だからね。君のように、自ら輝ける人が眩しい……って、なんか告白してるみたいじゃない」  「……」  「……って、聞いてな……」  「それなら、俺はみちる先輩を照らせる太陽になります!」  「……」  「あれ、先輩……顔があか……」    『ばぁーん!』  「ぐは! いってぇ!」破裂音と共に、とてつもない痛みが、背中に走った。  「何言ってくれてんのよ! もう!」どうやら、みちる先輩からの一撃だったようだ。  「力加減やばくないっすか! 間違いなく、背中にもみじが出来てますよー」  「えーどれどれ、見せてごらんなさい……って、ぷ、ぷははっは!」  みちる先輩の反応を見る限り、綺麗なもみじが出来ているに違いない。  「もう。ひどいっすよー」  「はははは!」  腹を抱えて、笑うだけ笑ったみちる先輩は帰りの車の中、疲れ果てたのかぐっすりと寝てしまった。 最近は、気を張ってばかりいたのかもしれない。何にしても少しでもみちる先輩が元気になってくれたなら、今回のデートは成功と言える。  それにしても、みちる先輩の寝顔はかぐや姫というより、天使だな。  ――今はこの関係のままでいい。いつか、その時がきたら、俺の気持ち伝えたら、そんな風に思う。
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