「マット用務の寮管日誌」

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 「マット、奴等が来るぞ…」 王都パールデンの入口とも言える大橋の前で、アルバ戦群旅団の隊長“ナガノ”隊長が黒い長髪をなびかせ、呟く。彼女の両手には素手に2刀の大剣が既に抜き身の状態で携えられていた。目に見えそうなくらいに漂う殺気は異大陸の血を引くナガイが“刀鬼(とうき)”と呼ばれる由来でもある。 「諸侯の領主、領民は、皆、降伏したらしいですね。伝令と偵察の早馬も帰ってきませんし。」 古傷だらけの顔面を歪ませ、応じるのは副官の“マット”彼等が所属するのは大陸最強の 戦闘旅団、強面の戦士達が己の剣や弓を構え、戦いに備える中“それ”は不意に現れた。 “ポタン”と言う音がピッタリのフワッとした感じで、王都周辺の森から飛び出し、着地したのは、子供くらいの身長に、耳をピョコンと立て、尻尾をフリフリの亜人“半獣人”達だ。 そんな彼等、彼女達が“えっ?それ果物ナイフ?”みたいな小さい得物を構えて元気よく (この表現は非常に合ってる)駆けてくる。 あらゆる戦いを切り抜けてきたマットとしては、数こそ多いが、何でこんな、犬、猫、愛玩動物みたいな半獣共に負けるのか?理解に苦しむ。王立議会からは、彼等、彼女達の殲滅でなく、捕獲を命じられていた。 “甘ちゃん共め!そんなんだから、人間様が異種族に悩まされるんだ” 思わず毒づく。この戦いは人間世界最後の防衛戦、周りは連中との共生状態… 断じて負ける訳にはいかない。 強い決意を胸に、数々の修羅場をくぐった頼もしき隊長の顔を“派手に逝きましょう”的な 意味を込めて見つめる自身の眼が、きょ・う・が・く・に見開いた。 「隊長…?」 清廉され、整ったナガノの顔から一筋の血が流れていた。敵の攻撃?いや、違う、これは 鼻血?え…何で鼻血?てか、顔全体がほんのり、緋色?桃色?更に言えば、あの潤んだ目… そう、まるで恋する乙女の…まさか、嘘だろ? 「あの、隊長…?」 再度の声が合図になった。2刀を地面に置いたナガノが、先頭のケモ耳少女に飛びかかり (恐らく本人的には駆け寄ったくらいだが、鬼気迫る感じと身長差でこう見えた) 軽々と抱きかかえると、その柔らかそうな頬に自身の顔をこすりつけ、頬ずりをする。 アルバ旅団の兵は呆然…半獣人達は、混乱しながらも、何だか賑やかワイワイ大騒ぎ。その中で、少女を“絶対離さない”とばかりにしっかり抱きしめたナガノが、今まで、マット達が見た事もないくらいの良い笑顔を浮かべ、堂々と宣言した。 「終戦だ!…」 人間世界の存亡をかけた戦いは僅か一瞬で終戦となった…  アルバ旅団、改めアルバ寮管日誌、記録数6回目、用務長マット・ホーデン あの、誰もが(一部の良識人と言う意味において…)唖然とする戦いから半年が経った。 “異相共生(いそうきょうせい)”時代を迎えた我が大陸は、予想された混乱も争いもなく 平穏の時を刻んでいる。アルバ旅団は解体され、と言うか、元隊長のごり押しで自主的に 解散した。現在は森から出てきた半獣人達を、人間社会に慣れさせる共生の先鋭地としての 宿泊施設の寮管理を任されていた。 それもまた、隊長のごり押しで獣耳少女達の寮を担当している。言うまでもないが、実は 可愛いモノ大好きの元隊長のナガノは寮長となり、流れと言うか、 副官のマット事、俺は半ば強制的に設備関連の用務員となった。 勿論“この元精鋭旅団の隊長と副官が寮管理ってどうなの?”と言う声も上がった。 だが、そんな時だけ、至極まともな隊長が雄弁を奮い、全てを丸く収めやがった。 正直、物心ついた時から人外の者達とすぐ近くで暮らし、時には戦ってきた俺としては 元敵の(例え、耳と尻尾以外は、ほぼ人間の少女としてもだ!) 食事や洗濯、あげくに居住環境の整備だと?冗談じゃない…と、そこまで書いた所で、 握ったペンが込めた怒りのあまり折れた。貴重な白色鯨の骨ペンがっ… 舌打ちをしながら、マットは日誌を閉じる。 こんなモノは何の効果も無い。王都の査察官が開示を求めれば、見せる事は出来るが、 そうはならない。自身の大好き空間を維持する隊長が全て上手にもみ消すだろう。 どちらかと言えばマット自身の愚痴をこぼす場だ。自己の安定剤、こうでもしないと 自分が可笑しくなるりそうだ。マットの目下差し迫る危機でもある。 そんな頭を抱えるマットの後ろで用務室のドアが開く。最初は鍵が付いていたが、 寮長のナガノの指示で全て外した。 「鍵をかける事は、相手との交流を立つ行為、我々は開かれなければいけない!」 との最もな言い分だが、寮長の本心はただ単に獣耳の少女達が自分の部屋に訪ねて きやすいようにと(ナガノの過剰すぎるスキンシップのせいで、誰も行かないが…) また、自分の方から半獣娘達の部屋を侵入する事を目的としているのは見え見えだった。 だから、自分とナガノ達の部屋の鍵は外したが、彼女達の部屋は頼まれるまでもなく、 そのままにした。 この一件以来、強面のマットにちょっかいを出してくる子が増えた。まずはノックをと 何度も教えたが、彼女達はお構いなしだ。その奔放さが魅力的という声もあるが、マットとしては非常に迷惑。更に開いたドアの前に立つ少女を見て、苦悩は倍増… 「マット、ツカレテルカ?」 こちらの嫌そうな顔を見て(勿論、自分が原因とはつゆ程も知らず)まだ、人間語が たどたどしいながらも、彼女なりの気遣いを見せるのは山猫娘の“ポポン”だ。 大きな黄色い瞳と、髪の間からピョコッと小さめに出るのが特徴の彼女は、マット達と 初めて会った時“ポポン、ポポン”と終始叫んでいたので、その名前になった。 喋る言葉は短く、あまり動かない。まばたきの回数も少なく、じーっと目が特徴、職員の間では、お人形みたいで可愛いとの評価だが、マットとしては、動物が得物を狙っているようで、落ち着かない。 今だって“主にお前等のせいで、心痛です”って感じで、黙って向けた背中を、 全くガン無視して、お得意のじーっと視線をマットに与え続けている。 「マット、ツカレテルカ?」 もう一度、同じトーンの言葉が繰り返される。3回目の繰り返しが来る前に頭を上下に動かし、肯定を示す。そして、すぐにしまったと気づいた。了解を得たと大きく勘違いした ポポンが両手を広げ、部屋に思いっきり侵入!黄色く大きな瞳でじーっと見上げてくる。 勿論!背中越しの至近距離で!! しまった…左右に頭を振って、コイツを追い払う予定が、つい本音で“疲れてる”と彼女の 問いかけを肯定してしまった。頭の中で自分の頭を抱えるマット… 「ヒマダカラ、モンデヤル。」 マットは何も答えない。 「ヒマダカラ、肩モンデヤル、コイコイ。」 マットは日誌を再び開き、音を立てて“今、忙しい”アピール作戦に徹する。 「ヒマダカラ、モンデヤル。コイコイ。」 マットの過大な無視を完全無視して、体と両手を左右に揺らしたポポンが歌うように “コイコイ”を繰り返す。確かに程よい力の入れ具合とモフモフ両手の肩もみは気持ち いいが、コイツは絶対揉んだ後、ゴロゴロ、喉を鳴らして寝る。揉んでる途中でも、肩に 頭を乗せながらでも、背中でも、何処でも寝る。揺らしても起きない。とにかく眠り続けるのだ。 これが非常に不味い。そもそもマットの部屋に居られるのも不味い。何故なら、 彼女の居室に自分が背負うなり、お姫様抱っこで運ぶ所を誰か、特定の人物に見られるのが 非常にヤバいのだ… マットの焦りとは裏腹に“普段、そんなに活発?”と思うくらいの“コイコイダンス” を楽しそうに、と言うか、やってるウチに楽しくなった事確定の様子のポポンがお尻の振りつけまで追加して、部屋の中を踊り狂う。 正に悪夢…そして、その悪夢に引き寄せられるように現実の恐怖がゆっくり迫ってくるのを肌でビンビン感じている自分がいる。踊るケモ耳少女の後ろに大きな影が差した時、 それは確信に変わった… 「ふぅ~、最近、書類整理が多くて、あれだな~。肩があれだな~誰か、揉んでくれないかな~」 鼻から大量の血を流した“ナガノ寮長”がいつの間にか、ポポンに覆いかぶさるように 背後に立ち、抱きすくめようと手を伸ばす。その手元を伝った血が流れ、ポポンの頬にポタリと垂れる。 「イァ~ッ」 と悲鳴を上げ、飛び出していくポポンを血走った目で見つめるナガノは、やがて諦めたように目を閉じ、ため息をつく。最近になって“追いかけたら嫌われる”という事をようやく 理解してくれた元戦争の英雄、今は寮管理の上司にマットも同じようにため息をつく。 「また、抱っこできなかった…」 「いや、隊長、いえ、寮長!あのですね!!すぐ鼻血出すのと、速攻抱っこ控えましょ? 色々、邪な想いが蠢いているのはよくわかりますけど!!」 「ハッ?邪な想い?こっちは純粋に、あのぷにぷにお肌とお尻を心行くまで撫で回したいだけですー!やわらか耳と尻尾をしゃぶしゃぶしたいだけですー!!」 「そこ、そこですよ!何言ってんすか?相手が嫌がってんのに。無理やりとか、人として、 どうなんですか?」 「人?彼女達は半獣の亜人だぞ?」 キョトン顔で首を傾げるナガノに、マットは後頭部を剣の柄で殴られたような衝撃を覚える。 (こ、この人、異相共生の先駆者、キッカケを作った人なのに、根本的理解が何もわかってねぇ!この共生のための交流事業も、ただ、愛玩動物に芸を教え込んで、自分の欲望を 満たすぐらいにしか、考えちゃいねぇ…) 「隊長、少しいいすか?」 「ん?」 「戦が終わって、俺達は連中と仲良しこよしで生きる事を選んだ訳です。そうでしょ?」 「うん、そうだよ?」 「そうだよ…って…まぁ、それは置いといて…住居も用意して、勉学、寝食を共にする。 それは共に生きるために互いが学び合うためでしょ?愛玩動物とか、玩具じゃないんです。 一緒に生きる隣人、兄弟、姉妹くらいの気持ちで接してあげる事が大事でしょ?いや、俺も よくわからんですけど…基本はそうじゃないんですか?」 「・・・・・・」 少し考える仕草を見せるナガノ、よし、いい雰囲気だ。後はこの流れを上手に… 「ポポンー!」 この肯定だけど、今は聞きたくない声は…用務室の窓から、中を覗き込みながら 飛び跳ね、先程までのコイコイダンスで自分を讃えるポポンにマットの身が凍り付く。 「随分、あの子達と仲良くなったな、マット…?」 ポポンのダンスから、すっごく乾いたナガノの声に視線を戻せば、今までこんな顔、 戦場でも見た事ねぇってくらい冷たい表情の元上司、現上司に、彼は頭を大いに抱えた…  アルバ旅団、改めアルバ寮管日誌、記録数11回目、用務長マット・ホーデン ケモ耳娘達の1人、狐耳の“タマー”が夜中に部屋に黒い影が立つと言う。朝、起きてみると、部屋の床にぽたぽたと血痕が残っているそうだ。管理側で対処する事を伝え、これを 想定して、用意した他職員には内緒の鍵穴に仕様を変更する事を伝えておく。問題は解決。 記録はこれで終了。 “尚、黒い影、犯人の特定は言及せず…” 「げ、言及しないですか?」 いつの間にか、隣で覗いていたタマーが泣きそうな声を上げる。 いつの間にか、隣で覗いていたタマーが泣きそうな声を上げた。 そのまま、お尻のフサフサ九本尻尾を首回りにサワサワ押し付けてくる悪寒に思わず ペンを折りそうになる。 恐る恐る首を回してみれば、ウルウル眼目を一杯に見開いたタマーの顔面がすぐ傍だ。 慌てて首を動かしたいが、尻尾に固定されて、狐娘との顔面距離が開かない。 「私、多分、犯人に心当たりが、いえ、あるんですけど…」 「い、いや、そりゃわかってるよ。わかってるけどね。不味いよ。この異相共生の時代の キッカケ作りの功労者がさぁ、そんな事をしてたってなったらね。この共生の取り組み事態が無しになっちまうから、ここは少し我慢してもらってだな。勿論、もう二度と部屋に 犯人が入るって事はないし、させないからさ!ワリいけど、頼むわ!」 最後の“頼むわ”は尻尾と、この距離どうにかしろとの願いもある。マットの説得が効いたのか?渋々頷くタマーに安心したが、何故か首の尻尾が離れない。 「お、お~い、タマー??」 「わかりました。用務員さん、私からもお願いです。部屋に立つ黒い影が絶対来ないって 安心できるまで、一緒に寝て下さい!」 「う、ううん?さっきの俺の話聞いてた?って感じの発言、うん、無理だな。」 「ええー?どうしてコン?」 「うん、いや、いきなり語尾にコンつけても、駄目だから。さりげなく尻尾の締め上げ強くしてるし…これ、不味いからね。それこそ、余程マズイ事態だから。」 「そんな…用務員さん、いえ、マットさんは森から出てきた私達の世話を見てくれてるし、 困ってる時は助けてくれる。いわば、ここの“お父さん”じゃないですか?」 「お父さん?いや、俺、独身だからね!」 「細かい事はコンコン…気にしない、パパァ…」 「‥‥どこで、そんな言葉覚えたの?…うん、とりあえず止めてね?」 “お父さん”と言う別の意味で潤んだ瞳顔+甘え声のタマーに心底背筋がゾッとした。本来、戦うべき相手の世話をする。それがどんなに屈辱的な事か?敬愛する上司がいればこその頑張りが、上司が色々残念すぎて、自身の行動が評価されていた事に絶望する。 そんな思考にふけっている内に、どさくさに紛れて再開されたタマーの顔面急接近を何とか腕で押しとどめた。頬ずりアウト!しかし、このままでは、目の前の結構積極狐少女を抱っこする形になるし、向こうもそれ目的で、体を上手に動かし始めていやがる。 「お父さんかぁ~?そうかぁー、なるほど、すると私はお母さんという事かな?タマー?」 場違いなくらいに明るい声のする方を見れば“グバァアアア”と言う効果音が似合いそうなくらいにゆっくり、邪気がタップリ籠った感じで両手を開くナガノが用務室の入口に立っていた。 耳元までつり上がりそうな笑顔だが、目は笑ってない。絶対、抱・き・し・め・る・だ・け・じゃ、終わらない勢いがある。 「さぁ、タマー、いや、タマ!!1人で寝るのが怖いなら、飛び込んでこい!バストミー! バストミー!!」 「キャアアアーコーン」 “その原因は主にアンタだろ!”のナガノの鼻から血が一滴垂れる。そこまでが恐怖の限界とみたタマーが素早い四つ足で悲鳴を上げ、用務室を飛び出して行った。 腕を広げたまま、タマーの逃げた方角に佇むナガノの背中に声をかける。 「寮長、あれです。もう、そのあまり無茶しない方が、後、部屋とか勝手に入っちゃだめですよ…」 「‥‥」 「寮長?」 マットの声に振り向いたナガノ、その瞳には不気味な色が帯びていた。再びのグバァアア姿勢をゆっくり保持し、何故か、こちらに距離を詰めてくる。尋ねる前に向こうが口を開く。 「狐娘の香ばしい残り香を持つ体、だから、抱きしめさせろ!強く、ギューッとな! マット!!」 「はい、全力で拒否します!」 尊敬し、慕う、いやそれ以上の感情を持つ自身としては非常に嬉しい申し出…だが、目的は 自分じゃない。そんなハグはゴメン被る。と言うより、今日は何だ?“望まない抱擁強制日”なのか? 「拒否は無しだ!マット!!元上官の命令、いや、寮長の業務特権を行使する。行くぞ!」 「ああー、そう言えば、寮の窓の修理があったぞ?では、これにて失礼!」 「待てぇぇ」 かつての刀鬼を彷彿させる表情で、迫るナガノに背を向け、走り出すマットは、その前を 何かの遊びと勘違いし“ポポン、ポポン”と跳ね回るポポンに心底イラついた… アルバ旅団、改めアルバ寮管日誌、記録数18回目、用務長マット・ホーデン 寮で風邪が流行っている。これ事態は、たいして問題はない。問題なのは“人間の風邪”という事だ。判獣の少女達には未知の病気のようだ。医官を呼んで確認行う。 「先生、俺達、つまり人間に使っている薬法とか魔法的なものは使えないんですかぃ?」 「マット、残念だけど、それは無理よ。まだ、彼女達の身体や体質についてわかってない。下手な術式や、薬は却って逆効果になるかも…」 ポポンの出した真っ白いお腹に聴診器を当て、こちらを振り返る彼女の表情は苦悩だ。 「センセー、ポポン達、ビョーキナノか?」 心配な医官の表情を見たポポンが黄色い目を大きくする。寮長のように邪気を感じない 医官は半獣の娘達にも人気だ。加えて言えば “服めくった半脱ぎ脱ぎの獣娘達のおへそとか舐めたい”と目を血走らせるナガノ寮長を しごく冷静に締め出すので、マットとしても、余計な心配をしなくていい。 「ええ、でも大丈夫!センセー達がきっと治すからね」 「ウン」 慌てて表情を変える医官にポポンが頷くが、半獣の娘の中には熱が下がらない者も多く、先が見えずに心配という点ではどちらも同じだ。 「と、とにかく他の子達の様子見に行くから、ポポちゃんは部屋に戻ってね。」 医官の声に首をフルフル横に振るポポン、一緒に行きたいの合図だ。お尻の尻尾は地面に ペタッとくっついたまま動かない。しょーがねぇな… 「ポポンは俺の背中ごしに友達を見舞え。あんま、部屋に入んじゃねぇ…」 「ポポンー!」 台詞途中で尻尾を水車みたいに、ぶん回したポポンが背中に飛び乗ってくる。首が閉まらんばかりに腕と顔をこすりつけてくる彼女に余計な事言った自分を心底後悔した…  「寮長…何やってんすか?」 一番病状が重い子の部屋を開けたマットと医官、背中ごしのポポンは 「イア~ッ」 と部屋の光景を見るなり、一気に逃走する。マットも正直逃げたい。部屋に封して、このまま遠くに行きたかった。それでも医官だけは職務を思い出し、戦地に赴くような表情で ベッドで絡み合った2人?を (1人は1匹で“抵抗できなくて”という注釈を加えた方がいいかもしれない) 引きはがしにかかる。 「いや、温めようかと思って…人肌で!!ひゃんっ…」 「いいから、早く服着て下さい」 冷たい医官の声と形の良い剥き出しの尻を打つ音が響き、そのまま引っ張り上げられる、 生まれたままの姿で立つナガノの肢体を少し見た後、 マットは慌てて部屋の外で待つ。遠目に見た光景では寝ている子も苦しそうな表情で素っ裸… イカン、隊…寮長の裸とか久しぶりに見た。高鳴る心臓の鼓動はマズイ、ここで鼻血でも出したら医官にまで変な目で見られてしまう。 軽い衣擦れの音を確認し、中に入る。良かった。ちゃんと着てる。 「いや、すまんな、先生…気が動転して…」 「動転しすぎですよ。寮長、先生もビックリしてますぜ?」 「うむ、マットもすまん。ところで、さっき後ろにポポンがいた気がしたが…」 「逃げましたよ。」 「そうか…」 少し残念そうだが、すぐに表情を引き締めるナガノ、色々やってる事はヤバいが、本心として、半獣娘達を本気で心配してるようだ。方法的にも色々偏っている気がするが… マットとしても、ここで何か言うべきかもしれないが、わからない。戦い方なら知っている。 だが、癒し手にはなれない。病気の治療では尚更…どうする? 考える自身の足に柔らかい毛ざわりの尻尾がいくつも纏わりつく。この感触は? 「あの~…パ、いえ、マットさん、ちょっとご相談があるのですが…」 今、“パパ”って言いそうになった?と色々寒くなるが、いつの間にか現れたタマーが手を上げる。こちらの視線を確認した彼女の声が続く。 「私達が病気になった時、森にある薬草を治療に使う事があります。もしかしたら、それが効くかも…」 「そりゃいい!早速…」 「ですが…それがあるのは、深い森です。人間の方達もまだ、未開の地域です。 魔物達も多くいるし…」 タマーの言葉はいきなり駆け出したナガノで全て上の空となった。慌てて追いかける。 「隊、寮長!今の台詞で大体把握の俺ですが、違いますよね?」 こちらを全力無視で自室から持ち出した二刀を腰に結わえるナガノの表情にゾクッと身震い…どうやら、自身の本当の上司である刀鬼が返ってきたようだ。それならば… 「俺も行きます。」 「駄目だ!お前は用務の職を務めろ。」 「無茶です。今から騎士団の奴等を招集して、全員で向かわなきゃあ…」 「間に合わん!」 決意は固い。わかってる。昔から変わってない。だから、俺達、荒くれモンがついてきたのだ。 「はは、わかってます。ですが、ナガノの大将、彼女達は人間ではない。優先すべきは 我等では?」 自身の口元を歪め、最後のカマ、いや、わずかの制止と皮肉を込めた言葉を放つ。 首元を掴まれたのは予想通り… 「貴様、もう一度言ってみろ!その台詞を!ポポンやタマー、病理に苦しむあの子達に、 共に生きる家族にな!」 これまたお変わりない、熱くなりやがって…俺は副官だぞ?この仕事に就く前からずーっと首ったけだよ。ア・ン・タにな。 皮肉にゆがめた顔のマットを突き飛ばし、ナガノが外に飛び出していく。 置いてかれた自身は苦笑とも、嬉し笑いにも見える顔をして、業務に戻った…  全身に長いのやら、短いのやらと種々様々な薬草を身に着け、深手を負ったナガノが 寮に戻ったのは2日後だった。自身の元友人達に手を回し、マットが確認していたのは、 “デカい幌馬車を1人で運転した戦女神みたいな女”が、凄いスピードで森の奥に消えていったとの事だ。 本当に1人で行って、生きて帰ってきた。全く、凄い人だよ…この人は… 駆け寄るマットと医官に肩で荒い息をつきながら、背中と体中に撒きつけた草木を 床に払い落とす。 「まだ、後ろの馬車にも一杯積んである。先生、タマー達を呼び、どれが効くのか? また、今後予測されるであろう疾病に対し、 効能のある薬種の開発に使えるモノがあれば、リストアップをしておいてくれ。」 一気に捲し立てると、そのまま床に腰をつく。走りさる医官を見送ったマットが少し笑いながら、声をかけた。 「寮長、いえ、隊長、無茶しましたね。まず、腹の切り傷を止めないと、そのままじゃ、 死にます。」 「構わん、風邪を治す彼女達が先だ。」 「何故、そこまでするんです?」 「…知っての通り、私は戦いの徒だ。」 こちらの苦い顔を見たナガノが視線を逸らし、何処か遠くを見るような顔で話を始める。 「だが、あの最後の戦いの時、走ってくる彼女達を見た時、何故だか剣が振えなくてな。 そのまま走り、1人の獣耳娘を抱きかかえた時は、いや、抱きかかえる事が出来た時、 正直言って嬉しかった。 私にも人間並みに何かを愛でる事が出来るのだと。あの子達は、それを教えてくれた。 だから…」 ナガノの座る床に血が静かに流れ、小さな湖を作っていく。 不味い、こちらが思っていた以上の深手だ。よく見りゃ、満足気な顔して霞んだ目を閉じかけ始めている。イカン、これは医官を!“先生ー!”と呼ぼうとした自身の視界を何かが 走った。 「リョーチョー、ツカレテルナ?モンデヤル、コイコイ!」 仲間を救うために、戦ってくれたお礼の意味もあるのだろう。黄色い目を爛々と輝かせ、張り切るポポンはナガノの返事も聞く事なく、その背中に飛びつき、肩をモフモフ、揉み始める。 身体に走る未体験の感触にナガノは薄っすらと目を開け、ポポンの存在を確認し、少し微笑んで目を閉じる。良かった。そのまま押し倒したりしなくて良かった。満身創痍で良かった…ホントに… 安心するマットの足元に血だまりが静かに押し寄せてくる。ん?あれ?血の量増してる?ナガノの顔にも改めて注目した。鼻血が…!?傷口の赤を覆い隠す程の赤が鼻孔から噴水みたいに流れてるぅっ!? 「あの、ポポン…寮長疲れてるというか、治療が必要だからね?そろそろ離れようか…?」 「ポポン、ポポンー!」 「いや、ポポンじゃねぇからね!早く離れてな!」 「邪魔するな!マット!」 「おいーっ、死にかけのアンタはそれでいいのか?獣耳娘に頬ずりされて、失血死で いいのか?」 最早、鼻血で顔面下全てが真っ赤のマットと隣でじゃれつくポポンにマットの悲壮感あふれるツッコミが長く、長く響いた…  アルバ旅団、改めアルバ寮管日誌、記録数23回目、用務長マット・ホーデン 寮の半獣娘達の風邪は医官とタマー、ナガノ寮長の持ち帰った薬草のおかげで治った。また、これにより、今後の疾病対策や予防などのノウハウも学べた。 今後も色々問題は起こるだろう。だが、人と半獣の者達の共生の先鋭として、これからも 上手くやっていくのだ。自身も頑張らねば…そう、彼女達の父親として…パパ… 「おい、タマー、何勝手に人の日誌を書いてんだ。」 「あ、マットさん、すいません、字の練習をです!コーン!」 「だったら、自分のに書きなさい。これ業務日誌だから、上に提出する奴だから! どうすんだ。上にあらぬ誤解受けて、このまま、ずっと用務職とかになったら!」 「ええーっ、嫌なんですか?」 「嫌なのか?マット…?」 わざとらしく、目を潤ませ、耳をションボリ頬にくっつけるタマーといつの間にか現れた ナガノが覗き込んでくる。最近、少しづつ打ち解けてきている。主に自身に対して、嫌がらせをする時のみに特化して… 「いえ、嫌じゃないです。」 “良かったー”ばりに顔を見合わせるタマーとナガノ…ため息をついたマットは清掃用具を抱え、廊下に歩き出す。そこにもう一つの悩みの種、2つの黄色い瞳がじーっと視線のまま、並走し、声をかけてくる。 「マット、ツカレテルカ?」 とりあえずマットの悩みと心痛が当分続く事が確定した…(終)
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