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五 自然児と恋の魔物(二)
西郷慎吾―――この一歳の年少の幼馴染の従弟とは、互いに「親友」であるのみならず、「盟友」と言っても過言ではない。同じ郷中で学び、犬の仔のように転げまわって遊び、バカもイタズラもみんな一緒にやった。薩摩がイギリス艦隊の攻撃を受けた時、京都で過激分子として藩から粛清されかけた時―――世に言う「寺田屋事件」である―――、そしてあの戊辰の戦の時も、大山の傍らには慎吾がいた。
京伏見の戦場で、慎吾は耳下に貫通銃創を受け、処置が悪かったこともあって一時意識不明の重態になった。
薩摩では、「苦しませないのが武士の情けである」と教育される。慎吾の事も、「楽にしてやった方がいい」と皆が言った。負傷した時に一緒にいた桐野利秋は、「おいが介錯してやる」と責任感と物騒な友情を発揮して刀を抜いた。
大山は、四歳年長の桐野に食ってかかった。
『介錯ばされっと、慎吾どんが死んでしまうやないかっ!』
我ながら、無茶苦茶を言ったものだと思う。
大山は周囲を説き伏せ、総指揮をとっていた西郷吉之助や大久保をかき口説き、イギリス公使館を通して外国人医師を京都に招聘した。慎吾は異国の適切な治療のかいあって一命を取りとめ、そしてその後は、慎吾は吉之助について参謀府に、大山は砲兵隊長として実戦部隊にと道は分かれた。その違いが、何となく将来を象徴しているような気もする。
そして、明治も四年になって、再び机を並べるようになった幼馴染は。
茫洋とした風情は相変わらずのまま、どこでどうして何をトチ狂ったのか、五歳も年上の同性の長州人に「恋」などしていた。
長く深い付き合いである。慎吾の年齢性別一切不問の好色ぶりなど、うんざりするほどよーく知っている。他人の恋路に口など出す気など毛頭ないが、何故よりによってあの真面目で物堅い、慎吾との共通項など目をどれだけ皿にしたところで見つかりっこないような長州人に惚れ込むか。
慎吾は、郷中みんなの「慎吾どん」だった。
衆望を集める大西郷の、年の離れた弟。その親友で、沈着な大久保の弟代わり。しかも西郷家は大家族で、それこそ生れ落ちた時から人の輪の中にいた。
あの性格のおかげで可愛がられたのか、可愛がられたおかげであの性格になったのかは判然としないが、いたずら者で愛嬌満点、少々「足りない」のではないかと囁かれるほどに競争心や闘争心を欠き、叱られようが侮られようがけろっとしている、ように見える。独占欲や嫉妬心もごく薄い。抱く必要がそもそもなかったのだ。自然体で、天真爛漫な慎吾を、時に呆れながらもみんなが愛したし、「慎吾どんのことだから」とみんなが許した。
来るもの拒まず去るもの追わず、それ程苦労なく愛され、本人も「楽しければいい」という大らかさなので、年齢・性別・美醜・硬軟とりどりに、節操なくやたらに経験だけは積んできた慎吾だ。だが、「執着」というものには全く無縁だったはずだ。
そんな幼馴染が、珍しく、自分から人を欲した。よりにもよって、あの年長の堅物の長州人の上官をだ。ひょっとして初めてのことではないか。
とっとと諦めろ、と忠告したものの、執着とは無縁だった幼馴染の周章狼狽ぶりを見るのが、実は大山には中々新鮮で興味深く、面白かったりもする。
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