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一 酒は飲んでも飲まれるな(二)
「慎吾どん、わいはもう帰れ。連れて帰っちゃるけ」
さすがに川村が呆れた様子で近づいてきた。ところが、慎吾は何を思ったか、ぎゅうっと有朋の腰を抱く手に力をこめてくる。
「嫌じゃ」
「こら、慎吾どん」
「大山さんはどねえしたんじゃ」
有朋は苦笑して尋ねる。兵部大丞の大山弥助(巌)は、慎吾の幼馴染で親友で、こんな時には必ず一緒にいるのだが。
「ちっと、風に当たってくるちうて出て行った。じき戻っがじゃろが」
川村は言いながら慎吾の手を引き離そうとするが、慎吾は逆に意地になったようにしがみついてくる。
「こらっ」
「ここがよか」
ぼそっと言う。有朋としては苦笑するしかない。
「西郷君」
ん、と慎吾は唸る。
「もう休め。部屋へ連れて行くけ」
「山縣さあ」
「何じゃ」
問い返すと、慎吾は膝に顔を埋めたまま言った。
「………大好きじゃ」
有朋は苦笑する。子供か、この男は。そういえば、兄大西郷にも、大久保にも、この男は平気で「大好きじゃ」と言う。普通三十歳にもなれば、そうそう言える言葉でもないだろうに。横で川村も苦笑を浮かべている。
「ほら、立て」
「大好きじゃ、山縣さあ」
慎吾は幾分声を大きくして繰り返した。
「判った。判ったけ、とにかく立て。部屋へ行くけえに」
慎吾はようやく手を解き、身体を起こして床に座り込んだ。有朋は半ば無理やりに慎吾を立ち上がらせ、背に負った。
そこへ、ようやく大山が戻ってきた。上官の背に負われている親友を見て、目を丸くする。
「慎吾どんば、いけんしもした」
「呑み過ぎたようじゃ。少し、部屋で休ませるけ」
「おいが行きもす」
「構わん。おめえはここにおれ」
その時、相変わらず間延びした声で、慎吾が言った。
「弥助どん」
「阿呆、どいだけ呑んだがじゃ」
「酔うてはおいもはん」
背負われたまま、ムキになったように言う慎吾は、どう考えても典型的な酔っ払いである。
「好きじゃ、山縣さあ」
「判った」
苦笑交じりに応え、有朋は慎吾を背負って部屋を出た。大山は唖然としている。
「先刻からそればっかりでの」
ずり落ちそうになる身体を背負い直しながら言うと、大山は「ははは」とどこか渇いた声で笑った。
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