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四 君の名に心は騒ぐ(二)
室内の視線が集中する。わけの判らない面々は不審顔で、大山は何事か察したように呆れ顔で、そして、有朋は無表情で。慎吾は額に汗をかきつつ椅子を起こし、小さくなって腰を下ろした。
三浦は、青あざの刻まれた頬を緩めて、低く笑った。
「あの細腕で、一癖も二癖もある暴れ者六百人をまとめた人じゃけ。ちっとやそっとでは落ちん」
「………」
余計なお世話だ。慎吾は横目で三浦を睨んだ。青あざをもう一つ増やしてやろうか。
というか、よくよく考えてみると―――何だその発言は。ひょっとして長州人にまでバレバレなのか、自分の態度は。
「あの人を本当に落としたんは、高杉さんぐらいじゃろう」
「―――」
高杉さん―――高杉晋作か。奇兵隊の創設者、初代総督。百人に満たない手勢を率いて決起し、幕府への恭順に傾いていた長州藩の大勢を、倒幕へとひっくり返した。脱藩を繰り返し、長州の魔王と囁かれ、惜しまれながら二十九歳で没した―――稀代の風雲児。
そんな長州の英雄を持ち出されても………と思いつつ、やはり内心面白くない。
「………落とした、ち」
思わず身を乗り出して小声で話しかけたところへ、
「三浦」
と低い声が落ちた。
ニヤニヤ笑いを浮かべていた三浦は、瞬時に生ける彫像と化す。
いつの間にか三浦と慎吾の背後に、有朋がこちらもまるで仁王像のように立っている。近づいてくる気配を微塵も感じさせないあたり、さすがに、宝蔵院流槍術免許皆伝の武人だけある。
などと、感心している場合ではない。
「随分と楽しそうに仕事をしちょるの」
有朋は静かに言った。その響きのあまりの冷たさに、背筋にぞうっと何かが走り、慎吾は思わず子供のフリをしてわーっと裸足で逃げ出したくなった。三浦は池の鯉のように口をパクパクさせている。
「ちいと別室で聞かせてもらおうか」
どうやら有朋の怒りの矛先は、もっぱら古馴染みの部下であるらしい。慎吾には視線も向けない。三浦は無言で立ち上がり、同じく無言で踵を返した古馴染みの上官の後に続く。
ホッとしつつも、こんなときにこの上官の眼中にも入らないというのも、慎吾には多少淋しかったりもする。
恋する心は、色々と複雑だ。
もっと知りたい。もっとこっちを見て欲しい。
こんなにも思っていると、判ってほしい。
嫉妬心。独占欲。自己顕示欲。行き場のない思い。
募るばかりの、恋。
慎吾はもやもやとした感情を持て余し、はあ、とため息をついた。
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