四 君の名に心は騒ぐ(三)

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四 君の名に心は騒ぐ(三)

 慎吾がこの上官に対する「恋」を自覚したのも、その「もやもやした何か」のせいだ。  戊辰の戦が終わり、慎吾は兵制を学ぶため、有朋と共に船で欧州へ赴いた。  兵部省員としての視察ではなかったから、慎吾は有朋の「同行者」であって「部下」ではなかった。それでも有朋は年長ということもあってか、何かと慎吾のことを気にかけ、世話を焼いた。恐らく、慎吾の「まあ、何とかなるだろう」的な態度が、石橋を叩いても渡らない有朋には気にかかって仕方がなかったのだろうと思う。  停泊中に、無警戒に現地のものを食うなとか。ふらふら機関室へ入るなとか。言葉も判らない相手と気軽に賭博をするなとか。船内の女に手を出すなとか。食堂で乗客相手にいたずらをするなとか。出航時間は守れとか、挙げ句、もっと規則正しい生活をしろとか。  いやまあ、言うことはいちいち「ごもっとも」と言うほかないが、保護者ではあるまいし、放っておけばいいようなものだ。それを有朋はいちいち目を光らせては注意をする。あんまり細々注意をするのが逆に面白くなってきて、わざと逆らうようなことをしてやると、判っているのかいないのか、本気で怒鳴りつけてくる。  ああ、こや、よかお人じゃ。  幼少の頃からいたずら者で評判だった三男坊の慎吾は、そんな風に叱られるのが、なんだかくすぐったくも懐かしかった。  欧州では、慎吾はフランス、有朋はイギリスを皮切りに諸国を歴訪と別々で、半年ほどを経て、再び帰路で一緒になった。有朋は、遅れて日本からやってきた御堀という長州人を伴っていた。  御堀は胸の病とかでずいぶんと衰弱しており、有朋は、今度は御堀の世話を甲斐甲斐しく焼いた。  慎吾には、それが何となく面白くなかった。  病人で、有朋にとって同郷の昔馴染みに対する態度と、出会って日も浅い他郷人、ただの「同行者」に過ぎない慎吾に対する態度を比較するなど、馬鹿馬鹿しいと言うしかない。頭では判っているのに、もやもやと胸の中にわだかまる思いを、自分でもどうしようがなくて。  だからといって、病人の面倒を看るかたわら、欧州視察の報告書を書き、そうでなければ帰国後のことでも考えているのか、難しい顔をして考えに耽っている有朋を、そうそう煩わせるわけにもいかない。それぐらいの分別はあったから、尚更、慎吾の苛立ちも募るほかなかった。  この男が、自分にとって「特別」だと。  そして、この男の「特別」になりたいのだ、と。  そのことに慎吾が気づいたのは、視察旅行を終え、日本に帰国してからのことになる。
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