一 酒は飲んでも飲まれるな(一)

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一 酒は飲んでも飲まれるな(一)

 山縣有朋が山積していた書類を片付け、料亭に到着した時には、既に宴は「たけなわ」を通り越していた。  奇兵隊時代からの旧い部下、鳥尾小弥太や三浦梧楼が、宴会のためにわざわざ着替えた和服姿で潰れているのはいつものこと。鹿児島人の川村与十郎(純義)が、軍服姿のまま、古武士のような真面目な顔を崩さず黙々と杯を口に運んでいるのもいつものこと。  そして、部屋の真ん中で、西郷慎吾(従道)がまだ春も浅いというのに素っ裸になって手足を振り回し、珍妙な踊りを披露しているのもいつものことだ。  有朋はついため息をつく。無礼講とはいえ、裸踊りは行き過ぎだろう。もう少し、兵部省幹部としての自覚を持って欲しい。―――と説教するのも無駄だということはよくよく判っているのだが、ついついため息が洩れる。これもまた、いつものことである。  有朋は、兵部小輔である。兵部小輔は、兵部卿、兵部大輔に次ぐ、兵部省三番目の地位だ。だが、兵部卿は一種の名誉職であり、大輔は空席なので、現実には小輔の有朋が兵部省の責任者となっている。川村、慎吾はその一つ下の兵部大丞の地位にある。 「あ、山縣さあ」  慎吾は有朋に気付き、へらっと笑った。途端、足がもつれたらしく、身体がぐらりと傾いだ。有朋は慌てて部屋に踏み込むと、大柄なその身体を背中から抱きとめる。  重い。 「こや、もっさけ(申し訳)なかあ」  悪びれる様子もなく慎吾は言い、それから自分で立とうとしたらしいが、そのままずるずると座り込んだ。行きがかり上、有朋も腰を下ろす。慎吾はそのまま、仰向けに床に伸びてしまった。一糸まとわぬ、あられもない姿のまま。 「西郷君」  少々意外に感じて、有朋は慎吾の頬を叩いた。この男が潰れるとは珍しい。慎吾は、五升は軽く入ると囁かれるほど、酒にはめっぽう強いのだ。慎吾は「んー」と唸り、ごそりと身体を反転させ、有朋の膝に顔を載せ、腰に手を回してくる。 「大丈夫か」 「んー」  再び唸る。 「阿呆、どれだけ呑んだんじゃ」 「………そげん、呑んではおいもはんで」  有朋の膝を抱きながら、むにゃ、と回らぬ舌で言う慎吾は、来年三十歳になるとも思えない。図体ばかり大きくなった子供のようだ。大体、慎吾は御一新最大の功臣、大西郷こと西郷吉之助(隆盛)の十六歳年少の実弟なのだが、三男坊のせいか、年上にやたらに甘えるところがある。冷徹・寡黙で知られる政府の重臣、大久保一蔵(利通)でさえ、大西郷の弟である慎吾には殊の外甘い。
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