最終話「この世界を大きくしよう」

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最終話「この世界を大きくしよう」

 暗い赤煉瓦の壁の間を、荷車がゆっくりと進む。 「大丈夫かぁボウズぅ」  幽かな意識の中、荷車を引く男の声がした。 「はぇ……」 「おはよう、マト。と言っても、もう日が暮れるけど」  ぴったりと隣に座るミュノが空を見上げた。 「あっ、しまった――いや、寝てない。まだ寝てないよ、僕は」  夕暮れの程良い涼しさと、時々小石に乗り上げる車輪の振動とが相まって、ついうとうとしてしまっていた。  荷車の前方から、ガハハと野太い笑い声がした。 「(わり)ぃなぁ、俺の足が遅くてよぉ」  岩のような厳つい顔がこちらへ振り返る。 「もう少しだからなぁ。辛抱してくれぇ」 「い、いえ。僕の方こそごめんなさい……」 「良いって良いってぇ。仕事のついでだからよぉ。お前ぇら五区からここまで来たんだろ? 休めるうちに休んどきなぁ」  荷車が僅かに加速した。 「届け屋のゲンに、重い物は無ぇのさぁ」  笑い声が路地に反響した。  このゲンという男の人は、自らの丈夫な体を活かして荷物運びを生業としているのだ――と、道中で教えてくれた。  彼と出会ったのは、彼のその仕事帰りの途中であった。  ()いた荷台に乗せてくれるようミュノが頼んだところ、快く了承してくれたのだ。 「あ、もう星が出てる」  ほらと、ミュノは日の残る空を指差した。 「本当だ」  そこには一つだけ、白く輝く点が貼り付いている。  薄暗い道を進むと、次第に建物のシルエットが減っていった。  それと合わせるように、空は徐々に明るさを失っていく。 「ほれ、着いたぞぉ。ここが」  二区の端だと言って、ゲンは荷車を置いた。 「マト、足許に気を付けて」 「ああ、うん」  先に降りたミュノの手を借りて荷台から降りる。  辺りは既に暗く、届け屋の巨躯すらも夕暮れの闇に覆われてしまっている。 「あの、ありがとうございました。お金は――」  馬鹿言うなよぉ、とゲンの影が手で制した。 「子供(がき)の頼み事に金なんざ要らねぇよぉ」 「でも」 「要らねぇってぇ」  その代わりによぉと、ゲンが荷車を上げた。 「何でこんな場所まで来たかったのかってぇのは訊かないでおくからよぉ」 「う……それなら、まあ」  お言葉に甘えて、出し掛けた財布を鞄へ戻した。 「じゃ、俺はここでサヨナラだなぁ」 「はい。本当に、ありがとうございました」  いつかまた会おうぜぇ――と、野太い声とともに、届け屋のゲンは去っていった。  車輪の音が聞こえなくなると、森の木の葉が一斉に揺れた。  森の気配が一層濃くなる。  見えるのは、取り囲む黒い木々の像の塊と、輝く星空のみだ。  星の光を求めて羽ばたく虫の気持ちが、なんとなく解るような気がした。 「ごめんミュノ。お願いできる?」 「うん」  ミュノは光の球体を五つほど出現させた。  地面に作られた轍が露わになった。 「教会だったんだね、ここ」  轍は教会の横へと続いていた。正確には、教会のような建物の横から来て、こちらで折り返してまた戻っている。  ゲンは来た道と同じ道を行ったようだ。  ミュノはうんと首肯いて建物に目を遣った。  屋根の上に、鐘のような物のシルエットが見えた。 「教会――と言うとちょっと違うけど」  そう言ってミュノは、車輪の跡を辿って教会へと歩き始めた。 「違う?」  じゃあどういう場所と尋くと、ミュノは顎に手を添えて短く唸った。 「……大体は同じ――だと思う。でもここは神様に祈る所じゃないから」  だから教会とは少し違うと、ミュノはまた頷いた。 「何と言うか、世界の(ことわり)と言うか、繋がりみたいなモノを扱う場所」 「繋がり……?」  そう、とミュノがまた首肯く。 「世界は、世界中の全ての物は繋がってるの。動物も、植物も、虫も、土も、水も、空気も全部」  全部――と、ミュノは繰り返した。 「動物と、土が?」 「そう。もちろん、直接じゃないけど」  例えば、と言ってミュノは教会――とは少し違う何か――の外壁を伝う蔓の葉に触れた。  深緑色の艶やかな葉が光を反射する。  建物はあの独特の赤い煉瓦ではなく、ただの木材で造られているようだ。 「動物の糞や死体は、小さな虫たちに分解されて良い土になる。そうして出来た土は、雨水を溜めて、長い時間を掛けて川から海へ流す。海の水は雲になって雨になる。土と水から植物が育つ。植物は綺麗な空気を吐き出す。そして、植物は動物に、動物は動物に食べられる――。この、いつまでも続く繋がりを、私達は鎖の車輪(コンシャオール)って呼んでる」  いや――とミュノは続けた。 「呼んでいた、かな」 「今はそう呼ばないって事?」  違うと、ミュノは首を振った。 「その言葉を使う人が、今は殆どいないの。古い言葉だから」  古い言葉、と聞いてすぐに魔草屋で見た文字が思い浮かんだ。  あれもミュノは古い文字だと言っていた。 「こういう場所は他にも幾つも在ったんだけどね。今はもう残ってないと思う。ここも、もう誰も使ってない」 「らしいね」  教会らしき建造物は、経年劣化のせいか今にも倒壊しそうな出で立ちだ。 「少し前までは人が来てたんだけどね。小さかったし。人も集まらなかったから」  こんな場所だし、と言ってミュノは木々に視軸を遣った。  その目が、心なしか懐かしんでいる様に見えたのは、この森に久し振りに戻ってきたからだろうか。 「さて」  と、ミュノは廃墟に背を向けた。 「そろそろ行こうか」 「うん」  そうして二人で暗い森の中へと入って行った。  草木の香りや腐葉土の香りが一気に強まった。  ミュノは道を知っているようで、藪の隙間を迷いなく抜けていく。  森は閑かで、騒がしい。  虫たちの声。鳥の鳴き声。枝を踏む音。草を分ける音。  人で賑わう場所では埋もれてしまう小さな音が、ここでは大きく聞こえる。  見上げると、木の葉の屋根の隙間から、星々が覗いていた。 「あっちの方に、丘があるの」  ミュノが横の闇を指した。 「丘……ああ、ミュノが連れて行ってくれた、あの丘?」  世界は広いのだと、旅に出る前にミュノが教えてくれた場所だ。  ミュノはそこで魔法も見せてくれた。その時の六花の石はまだ鞄に大切にしまってある。  懐かしいなあと、見えぬ丘へ呟いた。  道々、ちらほらと見覚えのある風景が増えてきた。  ミュノも同じ事を思ったのか、あの木の実を一緒に食べたよねだとか、この木には鳥の巣が在っただとか、あの花の蜜は美味しかっただとか、二人の思い出を語った。  つい話し声が大きくなっている事に気付いた頃、見慣れた形の大樹が、暗闇から姿を現した。  当然それは、木が自身で歩いて来たのではない。  その木は待っていたのだ。その場で、ずっと。 「着いた……やっと」 「うん。着いた」  片方が折れた二股の巨木。始まりの場所。  ミュノは光の玉を連れて駆け出した。 「競走」 「あっ、狡い!」  走り出した時には、ミュノは巨木まであと半分の地点を走っていた。  当然差は縮まらず、ミュノが待つ木の根元に遅れて辿り着いた。 「マトの負け」  幹に背を預けてミュノが言った。 「今のは狡いよ」 「普通に走っても私の方が早い。結果は同じ」 「う……まあそうだけど――あ、そうだ。壁は……穴は……」  光の球を引き連れ、忌々しい巨壁へと寄った。  光を頼りに、朽ちた壁を辿る。  そして、ここだと思う場所で足を止めた。  穴は――無かった。  その部分だけ、真新しい木材が無理矢理に詰めてある。これならシャベルを使っても壊すのは難しいだろう。  もしかしたら、という僅かな期待はあっさりと裏切られてしまった。  ミュノの待つ木へと戻る。 「どうだった?」  とミュノが尋く。 「だめ。もう塞がってた」  首を振って応えると、ミュノの左手首に見慣れない物が見えた。 「あ、それって」  褐色の紐が括られている。 「そう。咒紐(まじないひも)」  魔力を安定させたり、増幅したりをする特殊な道具なのだと以前に聞いた。紐の刺繍の目には、幾つもの小さな黒い石が縫い付けられている。 「さあ、マト」  ミュノが手を差し伸ばす。 「うん」  手を取ると、ミュノの低い体温が指先から伝わってきた。  巨木の根元で、手を繋いで並ぶ。  ここは、旅のスタート地点であり、ゴールでもある。 「じゃあ、始めるね」  ミュノの声で光の球が風に消えた。  森が闇と化す。  満天の星々は一層輝きを強めた。  木々の影が、ミュノの一挙手一投足を見守る。  ミュノは淡く光る魔法の石を幹に添えた。 「ここで、終わる」  目の前に、文字や記号が書かれた光の円が幾つも顕れた。  闇が弾け、ミュノの手から閃光が迸った。  魔法だ、魔法だと草木が囁く。風が躍る。  茂みの陰から、動物達の光る眼が覗いていた。  光の雫がミュノの手の先一点に集まり、飛沫となって一気に霧散した。  風が止み、森が静かになる。  集まっていた動物達も、もう居なくなっていた。 「終わっ……た?」  闇を見渡した。  森はしんとしている。鳥の鳴き声も、虫の音すらも聞こえない。 「違う。始まる」 「始まる?」  そう、とミュノは首肯いてから、夜空を見上げた。  すると。  夜空に白い亀裂が生じた。  亀裂は天球いっぱいに枝を広げ、空が細かく幾何学模様に刻まれていく。  まるで、折り紙の折り図のように――。  四角や三角に分断された、小さな夜空の欠片たちが、分裂と融合を繰り返す。万華鏡の如く星屑が天を彷徨う。 「世界が」  ――折り畳まれていく。  本を閉じるように、紙を折るように、世界が徐々に収束していく。  折り紙理論――。  世界を小さくするヒントとなった、どこかの賢人が考えた理論だ。  この理論のお蔭で、ミュノとここまで来る事ができた。もしそれが無かったら、運命に逆らえずにいたのかもしれない。それとも、ミュノなら別の手段を考えつくのだろうか。  気が付けば、光の折り目は周囲の森にまで広がっていた。  今からここは――。  ミュノが呟いた。 「今からここは、始まりの場所。私とマトの、二人だけの世界が始まる場所」  世界は白い光に包まれた。 「目覚めたか」  低い声がした。 「コクハヴ――さん?」  良い良いと、鈍色の外套の男が頷く。 「思い出したようだな」 「ぼ、僕は……僕達は」 「(ああ)」 「失敗――したんですか?」  らしいなと、コクハヴは星の無い漆黒の空を見上げた。 「見たまえ。何も無い。太陽も、月も、星も、雲も、風も――無い。有るのは水と、ここだけだ」  コクハヴは、くつくつと喉を鳴らして笑った。 「ミュノ……ミュノはどうなったんですか?」  またコクハヴが何処かへ閉じ込めたのかと思い、周囲の水面にミュノの姿を探した。 「無駄だ。我は何もやっておらぬよ。これは天命(さだめ)だ。お前達は自分勝手(わがまま)過ぎたのだ」 「そんな……」 「フハハハハッ。いや実に愉快だ」  さて、とコクハヴは笑いを止めた。 「お前達の行く末を観た事だし、そろそろ飽きた。我は消滅(かえ)るとしよう。こんな場所、退屈なだけだ」  コクハヴは大木から離れて空を仰いだ。 「帰るって、何処へ?」  コクハヴは、態とらしく外套を揺らして振り返った。 「消滅(かえ)るは消滅(かえ)るだ。本体(われ)(もと)へ戻るのだ」 「本体……?」 「お前が認識()ているこの我は分身だ。用が済んだので消えるのさ。本体はお前達と出会った湖に在る。以前(まえ)にも言ったろう、我はあの湖からは出られないのだ」 「いや、そういう事じゃなくて、その」 「お前が帰還(かえ)る方法か?」  さあな、とコクハヴは意地の悪い笑みを作った。 「分身(われ)は消えるだけだ」 「じゃあ、僕は」 「(じぶん)でどうにかするんだな」  もう会う事も無いだろう。そう言い残して、コクハヴは消えてしまった。  無為の空間に、静けさが戻る。 「どうして……」  誰にでもなく言った。  来る筈のない返事を待つのに飽きて、よろよろと二股の木の下へと歩いた。  途中で、肩に怪我をしている事に気付いたが、そんなのはどうでも良かった。 「ミュノ……」  失敗したのだ。魔法が。  膝を抱えて、顔を(うず)めた。  まざまざと思い出す、旅の軌跡。  色々な土地へ行って、様々な物を見た。それ故か、強く印象に残っている場所こそ鮮明であるが、一つ一つの記憶の比重は小さくなってしまっている。  コクハヴの言った通りだった。  肩の傷がじわりと痛む。現実はこっち(・・・)なのだ。  涙が出そうになって、顔を上げた。  普段なら眩しい程の木漏れ日が注ぐのだが、ここでは黒い空が覗くだけだ。  それが余計に孤独感を大きくさせた。  瞼は遂に、涙を支えきれなくなった。  生暖かい水が、頬を流れる。 「ミュノ、ミュノ……ミュノ……」  拭っても拭っても、涙は止まらない。  何を間違えたのか、何処が(まず)かったのか、そんな事も判らない。 「ミュノ! いるんでしょう? 何処かに。ねえ! ねえってば……。ねえ……。応えて。お願い、お願いだからさ。帰ってきてよ」  ミュノ――。  その言葉に反応したように、鞄の中が青白く光り始めた。 「え? これって」  光る物体を鞄から取り出した。  ミュノから貰った六花の結晶だ。  あの時からずっと、鞄に入れて持ち歩いていたのだ。  その結晶が今、何かに反応している。 「ミュノ! いるんだね、ここに!」  結晶の光は、また強さを増した。  結晶を持ちながら島を右往左往していると、最初にミュノと立っていた場所で、光が強くなった。 「ミュノ! 何処にいるの?」  六花の結晶に呼びかけてみる。 「あ、マト、聞こえる?」  声は結晶からだった。  この声は、他の誰でもない――ミュノだ。  嬉しくて涙が出そうになる。 「うん。聞こえるよミュノ」  良かった、とミュノの安堵の息が聞こえた。 「今からそっちへ行くから」 「え?」  そっちって何処だろう、と考えていると目の前に、小さな白い亀裂が生じた。  そこから、色白の手が出て、脚が出て――ミュノの顔が出てきた。 「マト、受け止めて」 「え、あ――うん」  宙から出てきた少女を、辛くも抱き寄せる事が出来た――のは束の間。 「おとと――あ」 「きゃ」  バランスを崩して、二人とも仰向けに倒れてしまった。  大樹の葉が揺れた。  葉が二、三枚程落ち、一枚がミュノの腹に乗った。  ミュノの呼吸に合わせて葉が上下する。  息切れが落ち着いて、始めに声を発したのはミュノだった。 「ありがとう」 「いや、こちらこそ。ていうか、ゴメン。受け止めきれなくて」 「それも、そうだけど」  肩、とミュノが視線で示した。 「ああ、この傷は」  何故ついたのだろう。能く憶えていない。 「ここへ来る直前に、マトが、私を守ったでしょ」 「そうだっけ?」  うん、とミュノが首肯く。 「あの時、最後の一瞬、壁の一部が私の方に飛んできたの」 「ああ、そうだ。それを……僕が」  ミュノを押し退けて、代わりに自分が傷を負ったのだ。そしてミュノは、魔法の領域から外れてしまった。 「じゃあ、二人で来れなかったのは僕のせいだったのか……」  思わず溜め息が出た。  そんな事ないとミュノは首を振った。 「マトが守ってくれてなかったら、魔法は途中で終わってたかもしれない」 「そうなるとどうなるの?」 「旅を最初からやり直すか、もっと酷いと世界の狭間で永遠に彷徨う事になるかも」  だからマトのお蔭で助かった、とミュノに頭を撫でられた。  こそばゆさと温もりが混ざった不思議な感覚だった。 「でも、どうやってミュノはこっちに戻って来れたの?」 「理由は二つ。一つは、マトが持っててくれた、雪の石」 「これ?」  雪の石はもう、光を発していない。 「これがどうしたの?」 「これは、マトの持ち物で唯一、私が魔法で作った物。力は弱いけど、それも魔法の石。その石となら、魔法で私と交信ができる。石の位置は、物探しの魔法で判った」 「二つめは?」 「それは、私の魔法。今までずっとやってきた魔法は、場所と場所を繋げる魔法だから。空間を抜けて通ってきた」 「どういう事? と言うか、ミュノは何処に居たの? いや、それより、ここは何処なの?」  大量の質問を突きつけられたミュノは、顎に手を添えて考える素ぶりをした。 「まず、折り紙理論って憶えてる?」 「うん」  色々と掻い摘んではいるが確か――世界は完成された折り紙なのである、という理論(もの)だと解釈している。 「私達がやってたのは、世界を小さくする事、だったよね」 「うん」  世界は折り紙である。だからこそ、更に小さくできる余地もあるのでは、とミュノが考え付いたのだ。 「折り紙理論の場合、見た目の大きさは変わっても、(せかい)の大きさは変わらないの。表に出る部分と、隠れる部分とがあるだけ。今のここは、その表の部分」 「じゃあ、ここ以外の場所は」 「全部隠した」  さらりと言う。 「見える世界と、見えない世界は、本当なら行き来はできない。でも、魔法を使えば繋げる事ができる」  勿論閉じる事も、とミュノは加えた。 「じゃあ、僕達が今居るここは……」 「そう。これが、折り紙の今の全体像。私達だけの世界」 「でも」  真っ黒で、何も無い。 「創れば良い」 「創る……?」 「そう。好きな物を、好きなだけ」 「好きな物を」  ミュノの目を見た。美しい若草色の()だ。  その目にはきっと、既に新しい世界が映っているのだろう。 「ねえ、マト」 「何? ミュノ」 「マト。今度はこの世界を大きくしよう。ここは二人だけの、私とマトだけの平和な世界。ずっと一緒に居られる。だから――」  ――この世界を大きくしよう。  ミュノはそう言って、静かに僕の手を握った。                  fin.
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