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今朝も僕はチャイムの音で目を覚まし、勢いよく部屋のドアを開け、階段を駆け下りた。踊り場の窓からは、心地よい陽射しが降り注ぎ、燕が気持ちよさそうに宙を舞っているのが見えるよ。
ここは三番館。身寄りのない子供が生活をしている場所。そう言う僕もその一人だけど。
チェリーは今朝も踊り場に座り込んでいる。瞼が垂れ下がって、今にも眠ってしまいそうな顔だ。
「おい、ちゃんと目を開けろよ、もう朝だぜ」
僕が頭を小突いても、チェリーの表情は変わらないまま。それもそのはず、だって彼は人形だから。見た目は僕と同い年くらいの、子供の人形さ。
え、チェリーって名前かい? もちろん、あだ名だよ。庭の桜の木に蕾がなる頃、先生が持ってきたから、そう名付けられたんだ。
命名したのは「バスター」っていう、僕と同じようにここに住んでいる男の子。ちなみに僕のあだ名は、すばしっこいからという理由で「ラット」。これも名付け親はバスターだ。
踊り場を下りると、そこはカレンさんの部屋。部屋の前では、クシャおじさんが小さな体をせっせと動かして、モップを掛けている。
「おはよう、おじさん」
「やあ、おはよう。今日も外で遊ぶのかい? いい天気だからな」
おじさんは、顔をクシャクシャにして答えた。この人は、元からこんな顔をしていたわけじゃない。以前は能面のような顔をしていたんだけど、奥さんが嫌がってね、笑顔を作る練習をしていたんだ。
だけど無理にそんな事を続けたもんだから、終いには表情筋がおかしくなっちゃったんだって。これには奥さんも呆れ果てて、おじさんの元から出ていってしまったらしい。気の毒なもんだね、でも本人は今の顔を気に入ってるみたいだから、それなりの代償を手にしたってことかな?
「カレンさんは? まだ寝てるの?」
「ああ、そのようだね」
「困ったな、朝ごはんが食べられないよ……。ああ、もう! カレンさん起きてよ!」
僕が思いきりドアをノックをしようとしたとき、運悪くカレンさんが部屋から姿を現した。
強く握られた拳は、ドアではなく、その太鼓腹に強烈なフックを打ち込んだ。
「うぐぅ! 何すんだいこの子は!」
「ご、ごめんカレンさん……そんなつもりは……痛い! 痛いよ!」
カレンさんは、思いきり僕の耳を引っ張った。
「まったく、あたしゃ朝から機嫌が悪いよ! あの甲斐性無しのチビ亭主、昨日も帰って来なかったんだからね!」
「悪かったよ、ごめんよ、おじさん助けて……」
僕が呼ぶと、おじさんはクシャクシャの顔を更にクシャクシャにして、カレンさんに近寄った。
「なあ、あんた、この子も悪気があったわけではないんだ。ワシの、この顔に免じて許してくれんかの?」
カレンさんは、おじさんの顔をマジマジと見てから「ぷっ」と吹き出し
「もう、あんたの顔を見てたら力が抜けちまうよ」
と言って、耳から手を離した。
「ふう、痛かった。カレンさん、お腹ペコペコだよ、早くご飯を作ってよ」
「ああ、そうだったね。待ってな、いいのが入ったんだ」
カレンさんは、さっきまでの憤りが嘘のように上機嫌になり、床をミシミシと鳴らしながら食堂へ向かった。
「助かった。ありがとう、おじさん」
「いやいや、でも可哀想に、まだ亭主が帰ってくるとでも思ってるみたいだな」
「ぷぷ、あの体の下敷きになりゃ、誰だって逃げ出すと思うよ」
そうなんだ、これは卑猥なジョークではなく本当のこと。小柄な旦那さんは、カレンさんとナニしているときに呼吸器官が圧迫され、仮死状態に陥った。
幸いにして、その後命に別状はなかったけど、夫人の「重い愛」に耐えきれず、旦那さんはそそくさと彼女の元から去っていった。「腹上死」ならまだしも「腹下死」なんて聞いたことがないもんね。
「ああ、ラット、そういえばバスターはもう起きておったよ。あの子は最近元気がいいの」
「友達が増えたからね。あいつは人間と人形の区別がつかないみたいなんだ。じゃあ、またね」
「おお、気をつけて歩けよ。さっきの音からすると、床板がもう限界かもしれんからな」
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