チェリー

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          2  食堂の大テーブルでは、先生とバスターが並んで席に座り、お茶を飲んでいた。  「おはようございます、先生」  「ああ、おはよう。今日も陽射しが暖かいね」  先生は丸眼鏡の柄を調整しながら言った。  「なあラット、チェリーは?」  バスターが、青白い顔を亀みたいに突き出して言った。  「あ、いけない、置いてきちゃった」  そのとき食堂のドアが開き、おじさんが中に入ってきた。  「ははは、いかんな、大事な友達を忘れるなんて」  おじさんの肩にはチェリーが担がれていて、それを見たバスターの顔に活気が満ちてきた。  「サンキュー、おじさん。席はここだよ」  バスターはそう言って、自分の隣席を勢いよく引っ張った。先生はチェリーが座らされるのを見てから眼鏡を掛け直し、僕たちを見渡した。  「さあ、これで全員揃いました。カレンさん、では朝食を」  先生がキッチンの方へ声を掛けると、カレンさんが精魂込めて作った料理の品々を、配膳車に乗せて運んできた。  蜆のスープに鰆のソテー、そして慈姑の煮物。室内は、たちまち芳ばしい匂いで満たされた。ああ、やっぱりこの瞬間は最高だね。  僕とバスターは、お祈りもそっちのけで平らげると、全速力で庭へと駆け出した。  ポカポカした陽気の下、見上げれば薄絹のような雲が漂い、雲雀がピュルピュルと鳴きながら空を飛んでいる。  バスターは、まるで雲雀に対抗するかのように奇声をあげながら、桜の木に向かって、また駆け出した。  「チェリー見てみろよ! おまえが来たときにはまだ蕾だった花は、もう満開だ! さあ、今日も勝負といくか」  バスターは木の下まで来ると、太枝に吊り下げられたブランコに腰掛け、十分に弾みをつけた。そして砲弾みたいな勢いで、チェリーをおぶってきた僕の頭上を飛び越えていった。  「どうだチェリー、ここまで飛べるか? おまえもやってみろよ」  体操選手さながらの見事な着地をみせたあと、バスターは得意気に言った。  はいはい、わかったよ。やれやれ、馬鹿は調子とブランコに乗ったら面倒なもんだな。  「チェリー、ああ言ってるよ。僕も手伝うから漕いでみなよ」  僕がチェリーを木の下まで運んだとき、先生が花壇の手入れをしに、庭へ出てきた。  「やあ、みんな楽しそうだね」  糸瓜のような顔で麦わら帽子を被り、首にヨレヨレのタオルを巻いた姿から、いつだかバスターは先生に「ファーマー」というあだ名を付けた。ただし、全く浸透しなかったけど。  「先生ほら、俺こんなに遠くに飛べたんだよ」  バスターが惰性で揺れ続けるブランコを指差して言った。  「そうか、バスター、君は相変わらず元気がいいな。どうだいチェリー、二人と仲良く出来ているかい?」  僕はチェリーの頭を軽く前に傾けた。  「そうか、それは良かった。それにしても君の髪は見事な金色だな。惚れ惚れするよ」  先生は、まるで金塊でも発見したかのような口振りで、チェリーの頭を撫でた。  そうか、僕もバスターも髪の色は栗色。金色の髪はチェリーにとって、寝ぼけ眼以上の特徴なのかもしれない。  「じゃあみんな、怪我をしないように」  花壇に向かう先生の後ろ姿を見送るっていたとき、背後から視線を感じると思ったら、バスターがムッとした顔でチェリーの頭を睨めつけていた。  「どうしたんだいバスター?」  「何でもないよ」  不貞腐れたように言うと、バスターは背を向けて芝生の上に寝転がった。頬杖をして片膝を曲げている格好が、不快感を見せつけているかのようだった。  その後も彼の機嫌は治らなかったようで、時折頭上を舞うモンシロチョウを、うるさそうに手で払う以外に動作は見られなかった。  遊び相手がいなくなった僕は、ちぎったタンポポで、一人寂しく花相撲をやるしかなかった。  一体の人形を隣に座らせて。  
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