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 清潔な真新しいアルミサッシの窓から注ぐ柔らかな朝の日差しが頬を温める。とても安らかな気分だった。しかし、まどろみの中の意識が身体の感覚を取り戻すと、得も言われぬ痛みと不快、それは当たり前の如く遼太の中に戻ってきた。 「麻酔が切れても結構よく眠ってたな」 「なんだ、あんたか」  付き添いの椅子に凭れ遼太の横たわるベットに足を延ばしている牧田の声に遼太は素気なく応えた。 「なんだはねーだろ、お前、誰のおかげでそこに寝てられると思ってる」 「すいません、そうでした、ありがとうございますって、感じで、申し訳ない顔でもすればいいんすか?」  遼太は牧田に振り向きもせずアルミサッシの窓の外に咲いている、アジサイ、アリウム、カルミア、そんな初夏の花々に目を向け、更に素気なく牧田の質問に悪態をつく。しかし牧田はそれに不思議と不快を感じなかった。  牧田の身長は百九十三センチ。全身筋肉の塊の様な武骨な体格に黙って歩いていればヤクザでも道を開ける程の厳つい顔を付けている。そんな牧田に対し、あのチンピラ共の様に虚勢を張る訳でもなく堂々と悪態をつくこの若者に、牧田は少し興味をそそられたのだ。 「で、お前、何であんな小さな子を連れ歩いている」 「あんたには関係の無い話だ」 「関係なくもない、俺も惠も随分と迷惑を受けているからな」 「俺はあんたには何も頼んじゃいない、あの惠って女の人には頼み事をしたけど」 「じゃ、私には訊く権利があるわけだ」  突然の惠の声に牧田と遼太が扉の方に振り向く。するとそこには惠と、惠に手を引かれて入って来た美月が立っていた。 「美月!」 「パパ!」  美月は遼太の顔を見るなり惠の手を振り解き遼太の横たわるベッドに駆け寄った。 「大丈夫だったか、美月」 「うん」  心の底から再会を持ち望んでいたかのように寄り添う二人を見て牧田と惠は思う。この様子から見て遼太が美月を虐待していると云う疑いは持てない。しかし昨日の夜、惠は確かに見たのだ。美月の身体に刻まれた長年に渡る虐待の徴を。 「ねぇ、遼太君、いったい、彼方達に何があったの。どうして金城組のチンピラなんかに追い廻されているの」  質問に答えると云うのは、概ね記憶を手繰る作業である。遼太はそこで初めて直近に起こった出来事を思い出してみる。そしてその結果、遼太は愕然とする。思い出せないである。自分が何故、どう云った理由でここに居るのかがまるで思い出せないのだ。 「答えたくない事は答えなくてもいい、でも、どうしても答えて貰わなければならない事がひとつだけある」  惠は遼太の耳元に口を寄せ小さな声で囁いた。 「美月ちゃんの身体に刻まれている沢山の古い傷跡、あれは何なの。もしあれが彼方の所為なら、私は彼方を許さない」  惠の言葉を聞いた遼太は少時のあいだ目を閉じ、そして再び目を開く。 「美月、暫く外で遊んでおいで」  それを聞いた美月は悲しい顔になる。遼太は美月に小さく頷く。すると美月はもうそれ以上何も言わず三人に背を向け病室を出て行った。 「おっさん」 「おっさんじゃねーわ、牧田秀夫だ」 「じゃ、えっと、牧田さん」 「ケッ、秀さんでいい」 「お願いね、秀さん」 「あぁ」  牧田は懐から取り出したクシャクシャになったコンビニ袋を遼太に投げつけると、一人病室を出て行った美月の後を追った。 「なんだ、これ」  遼太は牧田に投げつけられたコンビニ袋に目を落とす。 「着替えと日用品よ、あの人、昨日の夜中彼方の為に、それ、コンビニに買いに行ったのね。でも、買ってすぐ一度ゴミ箱に捨てたみたい」  遼太は、袋の中を見ずに中身を当て、更に一度捨てたことまで即座に指摘する惠の勘の鋭さに驚く。 「どうしてそんな事、分るんですか」  惠はさっきまで牧田が腰を降ろしていた付き添い用の椅子に腰かける。 「昨日ね、彼方には、ある嫌疑が掛かっていたの」 「ある嫌疑って」 「彼方が、あの子を誘拐して連れまわし、虐待をしていると云う嫌疑。私はそれを秀さんに話した。それに腹を立てた彼はせっかく買ったそれをごみ箱に捨てた。でも思い直してもう一度ゴミ箱から拾った」  惠は遼太の目を強く見る。 「それを拾って、そうやって彼方に手渡したって事は、あの人は彼方の事を悪くは思っていない」  遼太の視線がコンビニ袋から今度は惠に向く。 「あの人はね、昔、彼方を襲った様な連中を束ねて暴れまわっていた人。だから漢を見る目は確かなのよ」  遼太は、コンビニ袋を脇に置く。 「彼方、昨日、美月ちゃんの事、私に頼んだわよね」 「・・・」 「私はそれを思わずだけれど、引き受けた、解るわね」 「・・・」 「引き受けたからには私はあの子を守らなければならない、譬え相手が父親を名乗る彼方であっても」 「どうしてそこまで」 「私は、精神科医、だからかな」 「精神科医って、どうして医師が、あんな場末のしけた飲み屋で酔っぱらいの相手をしているんですか」 「しけた、は失礼ね。私は元、精神科医なの。事情があって、今は場末のしけた飲み屋をしている。でも、その先は、先ず、彼方が私と秀さんに心を開いてくれてからよ」  惠は軽く体を屈めると痛々しく包帯が撒かれた遼太の頭を撫で、そして、優しく髪に指を通した。 「迷惑はしているけど、私や秀さんは彼方達の敵じゃない、さぁ、話しなさい」  惠のその行動に遼太は少し驚く。しかし惠の掌から伝わるものは明らかな誠実さを宿した人の温もりだと感じた。そしてその温かさが、何故か遼太の心を訳もなく落ち着かせていく。  遼太は先程のコンビニ袋を再び手に取り中を見る。すると惠が言っていた様に中には下着や歯ブラシなどの日用品、それと遼太の趣味ではない、少しアダルトな雑誌が三冊入っていた。それを見て遼太はクスリと笑い、同時に、遼太の唇は、漸やっと、この重い空気の中に混沌と浮かんでいる言葉を拾い集め、そして、途切れ途切れの記憶を紡ぎ始めた。
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