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「気が付いたら」 「うん、気が付いたら、そうなっていた」 「それは、二人とも、気が付く前の事が分らないと云う事なの」  遼太と美月が惠のそれに無言で頷く。この二人の戸籍は日本に存在しなかった。もしかしたら名前さえ本名ではないのかも知れない。  話の途中、惠のiPhoneが数秒間鳴り沈黙した。画面を確認した惠は立ち上がり、遼太の話を虚空に抱えたまま、狭い玄関へと足を運ぶ。金属的な、施錠を開錠する音が室内に響いた後、おちゃらけた声が美月を呼んだ。 「たっだいまぁー、みーつきちゃん、今日はフロマージュのプリンだよぉー」 「あっ、秀さんっ、おかえりー」  先に玄関い出ていた惠を押し退ける様に、バタバタと大きな足音をさせて近づいて来た美月が牧田の腰に纏わりつく。 「なんなの、あなた達、不純異性交遊しているカップルみたいじゃない」  惠がその光景に呆れた顔でものを言う。 「おい、惠」 「な、なによ」 「今時、不純異性交遊はないだろ、歳が暴露(ばれ)ちまうぞ」  牧田の言葉に、惠が無言のボディーブローで応える。 「ゲフッ、おい、少しは手加減しろ、これでも人間なんだぞ、馬鹿野郎」  確かに牧田は人間である。だから牧田の腹に弾力はある。しかしそれは大きな衝撃を吸収するウレタンの緩衝材の様に恐ろしいくらいの強度を持っていた。 「もう、おねぇちゃん、秀さん叩いちゃダメー」 「おい、美月」 「なーに」 「おねえちゃんじゃねーし、惠ばーちゃんだって教えただ・・・」  牧田が言い終わるより早く、流星群が巻き起こり、惠のギャラクティカマグナムが牧田の強靭な腹筋に炸裂した。 「うごぁぁぁ、暴力はんたぁぁぁい」 「なによ、ギャラクティカファントムも喰らいたい訳」 「やめろ、惠、そのパンチを放つと、また年齢が暴露るぞ」 「なんだとぉぉ、ギャラクティカファントムゥゥゥ」  ※ギャラクティカマグナム、ギャラクティカファントムとは、リングにかけろに登場する剣崎順の必殺パンチ。相手をリング上からふっとばすどころか会場の外までふっ飛ばしてしまう。しかも、パンチを放った瞬間に隕石などが背景に出て来る。マグナムの強力バージョン、ファントムに至っては、背景が隕石から、惑星に変化する驚きのパンチである。 「なにやってんすかっ、腹減ったんすけどっ!」  遼太の大声で、今まさに放たれようとしていたギャラクティカファントムが阻止され、惠の背景に映し出されていた惑星群が掻き消される。 「チッ」 「チッじゃねーわ、暴力反対ぃぃ」 「大丈夫、秀さん」 「おろろぉぉーん、痛いよぉ、痛いよぉ」←(ハクション大魔王風に) 「どこが痛いの」 「ここだよ、ここが痛いよ、美月ちゃん」←(ドラえもん風に) 「じゃ、ナデナデしてあげるね」 「うん、ありがとう、美月ちゃん」←(のび太風に) 「ナデナデ」 「あはは、美月、お前の手、ちっこいなぁ、どれ、見せてみろ」  牧田はそう言うと腰を屈めて美月の目線の高さに顔を降ろした。 「ほら、これが秀さんの手だ」 「わぁ、おっきいー」 「あのな、美月、手の大きい方が、手の小さい方を守ってあげるんだ。分るか」 「手の大きい方が、手の小さい方を、守るの?」 「そうだ、お前もいつか大きくなって、手も大きくなったら、お前より小さな手をしている奴らを守ってやれ」  牧田はそう言いながら美月の小さな手を自分の厳つい大きな手で包み込んだ。美月は一瞬、つぶらな瞳をきょとんとさせた後、にっこりと笑って牧田に頷いた。 「よし、じゃ、プリン食べようぜ」 「わーい、プリンだぁ!プリンだぁー」  食卓には惠の手料理と、牧田が買って来た斬新なデザインの硝子のグラスに満たされた如何にも高級そうなプリンが並んだ。 「で、そこの二人、なんでお箸じゃなくスプーンなわけ?プリンはご飯食べてからでしょ!」 「チッ」 「チッじゃないぃぃっ」 「チッ」 「こらっ、美月ちゃん、秀さんの真似しなくていいのっ」  ベロを出してスプーンを置き箸に持ち替える二人を見て遼太が少し複雑な笑みをする。 「あっ、美月、見てみろ、パパがやきもち焼いてるぞ」  それを見つけた牧田が悪戯な面持ちで美月を見ながら遼太を指さす。 「あ、パパが笑ってる、どうしたの、パパ」 「え、なんでもないよ」 「うそこけ、お前、俺が美月とラブラブだからやきもち焼いてんだろ」 「ち、ちげーよ、そんなんじゃねーよ」 「ねぇねぇ、秀さん、ラブラブって、なーに」 「なんだ、美月、ラブラブも知らねーのか、ラブラブってのはな、こういう事だぁぁぁ」  牧田はお道化た声でそう言うと、握っていた箸を抛り出して美月に抱きついた。 「こちょこちょこちょぉぉぉぉ」 「きゃははは、やめてー、秀さん」 「どうだ、分かったか美月、これがラブラブだぁぁぁ」  ひとしきり美月と牧田の大きな笑い声が部屋に広がった後、思い出した様に牧田が言う。 「あっ、そうだ、おい、惠、遼太、借家を借りたからな、みんなで引っ越しするぞ」  牧田のその発言に、二人が驚きの声をあげる。。 「ひ、秀さん、引っ越しって、どうする積りなの」 「どうするってよ、惠、お前はどうする積りなんだ、どう考えたって三人で暮らすのにここは狭いだろう」 「そ、そうだけど・・・」 「まぁ、いい、つかよ、膨れ上がった金城組の、ここはもうシマ内になっている」 「・・・」 「金城組って事は、つまり、あのせこい枝の三次団体をぶっ潰したところで、問題は解決しない」 「・・・そうね」  牧田と惠が話していると、突然遼太が箸を置いて二人に向かい頭を下げた。 「すいません、俺達がここに押し掛けたばかりに、こんな迷惑、かけちまって」  遼太のその姿を目の前にした牧田と惠が顔を合わせる。しかし二人の口元には笑みがこぼれていた。それは、何処か、親が子供の成長を目にした時の様なさわやかな笑顔で、二人は顔を見合わせた後遼太の方を向いた。 「ははは、何だよ、遼太、柄にもねぇ、そんな愁傷な言い様、似合わねぇぞ」 「で、でも・・・」 「いいのよ、遼太君。これも何かの縁、運命だと、私は思う」 「運命・・・」 「あぁ、金城組は、惠にとっても、俺にとっても、特別なものなんだ。それは、俺達が、何時かは乗り越えなきゃならねぇ、壁みたいなもんだ」 「何時かちゃんと話すけど、そうね、あなた達が最初金城組を巻き込んで来た時、振り向く事を躊躇っていた私は、少し悩んだ。このまま流されて、過去を振り向かないまま、罪を背負ったままで、苦しみ抜いて、静かに死んで行こうと考えていたから。でも、あなた達が、あの壁を乗り越える契機(きっかけ)を持って私の前に現れた。もしあなた達が現れなければ、私は何時までも秀さんに頼って、それを決心出来ずに、今のこの怠惰な日常を続けていたと思う。あなた達は天使よ。私にチャンスと試練を持って現れた天使。矢張り、人は罪から逃げてはいけないのだと、あなた達を通して神様が私に教えてくれた。だから、あなた達は、何も心配しなくていいの」  それを聞いた遼太の切れ長の目が、温かいもので濡れて行く。 「遼太、父親って、何だと思うよ」 「俺には父親が居ないから、分かんないよ」 「だよな、俺も分かんねぇ」  牧田のそれに、俯きかげんだった遼太の顔が上がる。 「秀さんも、父親が居ないの」 「否、俺は両親共に居ない、俺は、赤ちゃんポストに入れられた人間だからな」 「え・・・」 「思ったよ、なんで赤ちゃんポストなのかってな。俺を捨てるなら、いっそうのこと、どうして川にでも捨ててくれねーんだろってな。中途半端に、どうして情けを掛けるんだってな」 「秀・・・さん・・・」 「見ての通り、俺はガキの頃からこんなんだ。身体も態度もでかい、顔もな、お世辞にも可愛らしい子供じゃなかったから、誰も引き取ってくれなかった。ははは、条件ばっちりだろ。勿論、グレにグレたさ。そしてグレまくって、行きついた先が、金城の親父の懐だった」 「え、じゃあ、金城組って、秀さん、もしかして」 「あぁ、俺は、元、金城組の、若頭だ」  牧田の育った施設の近くには朝鮮学校があった。ある日、中学生だった牧田は、朝鮮学校の生徒十数人に絡まれた。事の発端はつまらない事である。ガンを飛ばした。そんなつまらない事で牧田と十数人の朝鮮学校の生徒が近くの河原で大喧嘩を始めた。そこに偶然通り掛ったのが、金城組、組長、金城修三だった。  喧嘩は牧田の圧勝である。十数人と言っても、その殆どが烏合の衆。大人数を相手に喧嘩をする時は、一瞬で一番強い奴を倒す。牧田はそんなコツを肌で知っていた。朝鮮学校の生徒たちが桟を乱し、河原から逃げ出すのに十分とは掛からなかった。  顛末を見終えた金城は彼らが去った後、河原に寝そべり、鼻をほじっている牧田の傍にやって来て、牧田の顔を覗き込んだ。 「おい、悪かったな」 「はぁ、なんでおっさんが謝るんだよ」 「俺は、なんだ、彼奴らの保護者みたいなもんだからよ」 「なんだ、おっさんも朝鮮人か」 「あぁ、そうだ、お前も、朝鮮人は、嫌いか」 「嫌いとか好きとかそんなんじゃねぇ、面倒くせーんだよあいつら、俺の顔見たらすぐに喧嘩売って来やがる、保護者ならちゃんと躾けとけ、ったくよ」  金城の容姿は誰が見てもそれと分かる程に極道らしい。更に、金城の来ているシャツからは、唐獅子ボタンの端正な刺青が、ちらちらと袖の隙間から見え隠れしている。普通、金城の様な男が傍に来れば、何某かの警戒感を人は露わにするものだ。しかし、牧田には微塵もそんな様子は無かった。 「ははは、すまんな、あいつらはな、朝鮮人だが、産まれた時から日本で育ってる。あいつらは、自分らが朝鮮人だなんてちっとも思っちゃいない。なのに、人は朝鮮人と云うだけで、あいつらを差別する。日本で育ったあいつらにいまさら朝鮮人としての思想教育をしても、本国の朝鮮人の様にはなれねぇ。つまりあいつらは、朝鮮人にもなれない、日本人にもなれない、ユダヤの民の様に、自分の国が無い、自分の故郷が無い、可哀想な連中なんだよ。」 「おっさんよ、俺は、国なんざぁどうでもいいと思うぜ、どっかの禿げたジジイがテレビの宣伝で言ってたけどよ地球は一家、人類はみな兄妹、それでいいんじゃねぇか。この二本の足が踏んでいる大地は、世界中の、どこに行って、どこで踏んでも、大地に変わりはねぇ、そうだろ」 「お前、名前は」 「牧田秀夫だ」 「この辺りに住んでるのか」 「あぁ、まぁ、住んでるってもよ、施設暮らしだけどよ」 「親、いねぇのか」 「あぁ、産まれた時から施設暮らしだよ」 「お前、俺が怖くないのか」 「なんでおっさんがこえーんだよ、俺が怖いのはゴキブリとムカデと、それからえーっと、ダンゴムシと、げじげじと、カマドウマと、コオロギと」 「ぎゃっはっはっ、お前、それ、便所に居る虫ばっかじゃねーか」 「笑うなよ、本当にこえーんだからよ」  牧田のその屈託のない物の言いように金城は妙に惹かれていく自分を感じる。 「お前、あれだけの人数の悪を相手に喧嘩できるのに、虫がこえーのか」 「それとこれとは別なんだよ。うへぇ、おっさんが変な事訊くから今、げじげじが歩いてるの想像しちまってじゃねーかよ、さぶいぼが出るぜ、ったくよ」 「お前、おもしれーやつだな、おい、腹減ってねぇか、飯でも食いに行くか」 「おっさんのおごりでか」 「あぁ、好きなもん食わしてやるぜ、お前、気に入ったからよ」
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