見ている。

2/9
前へ
/11ページ
次へ
 『妻』が、自殺を図った。  たまたま家を訪れた義母が、真っ赤な浴槽に手首を突っ込んだ妻を見つけたのだ。  傍らに落ちていた果物ナイフは、妻の左手首を縦に差し入れるように裂いており、単なる自傷行為でない事は明白だった。  しかも不可解な事に、妻は手首を切る前に、右耳にキッチンの菜箸を深く突き刺していた。  箸は鼓膜を突き破り、妻から右耳の聴力を奪った。  それほどまでに妻は、明確な意思を持って死のうとしたのだ。  単身赴任中で長野の山奥にいた『私』に電話で怒鳴り込んできたのは義父で、立て続けに警察から電話が掛かってこなければ、私はあまりのショックに事態を信じられなかっただろう。  『いったいあいつに何をしたんだ!!』と、割れんばかりに電話口に怒鳴った義父には、文字通り返す言葉も無かった。  どれだけ考えても、“動機”がわからなかったからだ。  確かに、準大手建設会社の土木部門に席を置く私にとって、妻にかける苦労というのは日常の事である。  仕事ばかりで家庭を顧みない夫というのは世間に山といるであろうが、土木系ゼネコンの現場監督という仕事につく男と比べれば、彼らは十分、“家庭人”と呼べる。  家に寄り付かないのではない。  家に帰れないのだ。  29歳の時、妻には自分が建設に関わったダムを見せた後にプロポーズした。  32歳の時、妻が産気づいたという電話を取ったのは栃木県の山中だった。  去年の娘の運動会は、正月に初めて録画で見た。  他にやりようはいくらでもあったと思う。  文句ひとつ言わない妻に甘えていたのは事実だ。  だが、理解は得られていると思っていた。  亭主元気で留守が良い、を地で行く女だと思っていた。  いつも笑顔で送り出してくれて、月に一度はアパートの部屋の掃除をしに来てくれる妻は、私の仕事と境遇を理解してくれているものと……。  発見が早かった為か、妻は一命を取り留めた。  今は身柄を病院の精神科に移され、検査を受けている。  見舞いに行ったが、会えなかった。  かなりショックを受けており、誰かと会える状態ではないと。  応対した看護師の、“自殺を図った女の夫”に対する敵意にも似た視線を思い出しながら、私は今、私たち家族の家であるこのマンションの一室に戻ってきている。  四歳になる娘は、義理の両親が預かってくれている。  預かってくれているといえば聞こえはいいが、正確には引き離されていると表現すべきだろう。  “娘を自殺に追いやるような男の下に孫娘を預けてはおけない”  はっきりとは言わなかったが、電話越しに義母が言いたかったのは、つまりはそういう事だろう。  親子三人では手狭に感じた1LDKの一室も、一人でいると場所を持て余す。  結論、妻を自殺未遂まで追い詰めた惨めな夫でしかない私にとって、この静寂は耳にあまりにも痛かった。  明日の朝一番で警察が来るという。  ここを離れるわけにはいかない。  何より、ここを今離れるのはなんだか嫌なものから逃げるような気がして、自己満足だと理解していても、私はここで妻を待つことに決めたのだった。  ふと時計を見ると、17:34。  夕暮れ時の西陽が部屋の中を赤く染めている。  二人の……、いや、妻のベッドに腰掛けながら、私は何もする気が起きずにいた。  ――そんなに追い詰めていたのか。  夫の仕事に理解ある妻だと決めつけ、甘えて、何もかも任せきりにしてきた。  それが大きな間違いだったのだろうか。 「ん……?」  私はその時、ベッド脇にある妻の化粧台の上に、一冊の日記帳が置いてあるのを偶然見つけていた。  革製の表紙に、鍵付きの高級な日記帳。  古風な事に、毎日日記を書くことを趣味にしていた妻の誕生日に私が贈ったものだ。  一見しただけでも、かなり使い込まれているのがわかる。  大事に使ってくれていたのだろうと思うと、胸が締め付けられる思いがした。  鍵付きのものだが、かかっていない。  当然だ。この家には、彼女の他には四歳の娘しかいなかったのだから……。 「…………」  妻であっても、人の日記を盗み見るなど許される事ではない。  そうわかっていても、私の手は日記帳の1ページ目をめくってしまっていた。  私のどのようなところが、妻を追い詰めたのかを知りたかった。  事ここに至っても、“これだ”と理由を断定できない(あるいは断定したくない)私が変わるために。  もう一度妻とやり直せるなら、その為に……。  どんな恨み言が、罵詈雑言が書かれていても最後まで読もう。  私は、恐る恐る、1ページ目の書き出しに目をやった。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加