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6月25日(火)
昨日の夜からずっと視線を感じる。
家の中、どこにいても、誰かに見られているような気がしてならない。
昨日、お風呂に入れている間、サキはずっと天井の換気扇に向かって喋り続けていた。
馬鹿らしい。と思いながら見上げたとき、換気扇の向こうを何かが横切ったように見えた。
あれからずっと、誰かに見られ続けているような感覚がある。
食卓の下、キッチンの食器棚、半開きのクローゼット。
カーテンの向こうに人影がみえた……ような気がして、さっき声を上げてしまった。
私はどうかしてしまったんだろうか……?
馬鹿な。
私は顔をしかめて、部屋のクローゼットを見た。
ピタリと閉じたクローゼットを開けると、整然と並べられた妻と私の服が目に入る。
“ろろろ”などいない。いるはずがない。
風呂の換気扇にしてもそうだ。
あんなに狭いところにどうやって入ろうというのか。インターネット用の機器を設置する時に点検口を開けて中を覗き込んだ事があるが、ユニットバスの天井は独立していて他の天井裏とは繋がっていない。
あそこに入る事なんて……
そこまで考えて、私は自分があまりに下らない思案をしている事に気づいて天を仰いだ。
実際にろろろが存在する事を前提に侵入経路を推理する事に何の意味がある?
そんな不可思議なモノが存在するはずがない。
ろろろは、娘のサキの空想の産物。
重要なのは、妻が幽霊を信じはじめるほどに追い詰められていたという事と、妻がそれを一度も私に相談しなかったという事だ。
仕事に没頭する私を気遣ってか、或いは、娘の奇行を相談することを躊躇ったか。いずれにせよ、私は悩みを打ち明けるに値しない夫だと評価されていたと言う事になる。
ベッドにへたり込み、頭を抱えながら、私は日記帳を手に取った。
6月26日(水)
間違いない。
この家には「何か」がいる。
昨晩見た「あれ」が頭から離れない。
夜中の二時頃だったか、何かの気配を感じて目が覚めた。
いつの間にかサキがベッドを抜け出して、半開きのクローゼットの前に座っていた。
何かを喋っていたけれど、わからない。
日本語じゃなかった。
何語かわからない。言語かどうかもわからない。
まるでお経を唱えているみたいに見えた。
あんなに早口で一心不乱に言葉を喋り続けるサキを見たのは初めてで、私は恐ろしくてしばらく声もかけられなかった。
そのうちサキの身体がゆらゆらと前後に揺れ始めて、その動きは少しずつ速く激しくなっていって……気がつけばベッドから飛び出し、サキを抱き上げていた。
パジャマのまま、サンダルをつっかけて玄関を飛び出した。
大泣きするサキを乗せて車で夜通し走り続けたけれど、どうしたらいいかわからない。
警察に行くべきだったのだろうけど、何と言えばいいかわからなかった。
結局あさになって、私はサキとこの家に戻って来てしまった……。
……こんなこと、日記に書くのだって、変だと思う。
パパに見られたら、頭がおかしくなってしまったと思われるかな。
でも、でも、あれは絶対見間違いなんかじゃない。
サキを抱き上げる瞬間、私は見た。
半開きのクローゼットの中から、二本の異様に長い長い腕が伸びて、サキの頭に触れようとしているのを。
月明かりに照らされた筋張った真っ白な手。
見間違いじゃない。
あれが、あれが「ろろろ」なんだ。
サキを抱きかかえてからずっと、車に乗っている間も、そしてこの日記を書いている今も。
ずっと、ずっと、聴こえている。
動物の鳴き声のようにも、人の声のようにも聴こえる。
クローゼットの中から、ベッドの下から、壁の中から、風呂場から、トイレから、キッチンの食器棚から、窓の外から、私のすぐ後ろから。
ずっと聴こえる。
「ろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろ」
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