第三章

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 生徒会長は微笑しながら冗談めかして言う。 「まったく、思わせぶりなことを。緒留さんは俺にそこまで興味はないだろ?」  棚橋は口角を上げてそう言った。しかし目は笑っていなかった。  おい、大丈夫なのか。  聞いていた話から想像してた関係とは随分違うようだが。こんなので機密情報を聞き出せるのか? 「それで、一体どうしたというのだ。旧交を温めに来たのか? それとも姉貴分に甘えに来たのか。いや、友人も連れているからそれはないか」  ああ、俺の存在も一応認知されてたのね。  まったく触れられないからてっきり透明になる能力でも開花しちまったのかと思っていたぜ。 「今日は緒留さんに頼みたいことがあって会いに来たんだ」 「なるほど。頼みごとか。ふむ……。とりあえず立ち話もなんだ。そこのソファーに座るといい。しかし用があるときだけすり寄って来るとは。君はお年玉をせびる時だけ愛想がよくなる孫のようだな」  今度は孫か。  移り変わりが激しい関係性だな。  言われるがまま長いソファーに棚橋と並びあって腰掛けた俺はなんとなく机の上にある『会長』と書かれた三角錐に目を向ける。こういうのってどこで売ってるんだろう。 「これが気になるか?」  それまでどこか賢しら顔でいた会長が急に生き生きとした子供っぽい表情となって俺に話しかけてきた。どうも俺は生徒会長の何かのスイッチを押してしまったらしい。 「どうだ、欲しいか? ん?」  身を乗り出して目を輝かせ執拗に押してくる。唐突な雰囲気の変調に俺は戸惑いを隠せない。 「はは……」  曖昧に笑って間を繋いでやり過ごそう。 「ふっ、やらんぞ。これは私の私物だからな」  乙坂先輩は三角錐を手元に引き寄せて悪戯っぽく笑う。  俺が悔しがるとでも思っているだろうか。  いらねえよ。  つーかまさかの自前なのかよ。 「そういえば君の名前を聞いていなかったな。陸の友人」  別に友達ってわけでもないんですけどね。  ただの協力者ってだけ。  わざわざ訂正はしないけど。 「小鳥遊泰正です」 「タカナシ? ことりあそびと書いて、小鳥遊か?」 「そうですけど」 「珍しい名字だな」  初見じゃ読めない人の方が多いっていうのにまずその字を思い浮かべるというのも珍しいと思うけれど。 「まあ、そうっすね」  俺は適当に同調しておく。 「ところが奇遇なことに私の知人にもいるんだよ。すごいだろう」  だから何だという感じだが、確かに奇遇といえば奇遇だ。  十六年近く生きてきて一人も出会わなかったのに天帝学園に転校した途端、同姓に引かれあっている。 「用があるのはその小鳥遊さんの件でなんだ」  棚橋が横道に逸れる前に本題を切り出す。 「ん? 小鳥遊?」  乙坂先輩はきょとんと首を傾げ、何を誤解したか俺の顔を見る。 「や、俺じゃないです」  先輩のキャラに似つかわしくないその可愛らしい動作に少し萌えながら俺は答える。 「じゃあ……」 「一学期に靴箱へ猫の死体を詰め込まれて不登校に追いやられてしまった二年一組の小鳥遊由海さんの話だよ」  業を煮やしたのか棚橋はわざわざ懇切細かく説明した。 「ああ……。あのことでは私も歯がゆい思いをしていたところだ」  小鳥遊由海の名を聞いた乙坂先輩は重々しい表情へと移り変わり、静かに立ち上がった。 「とりあえず紅茶でも飲むか?」 「おかまいなく」  棚橋は儀礼的にそう答える。俺も便乗して頷いた。 「自分用にはジョグを持ってきているのだが、たまにこうやって生徒会役員や客人に紅茶を淹れて振る舞うこともあるんだ」  戸棚からティーセットを取り出しながら乙坂先輩が語る。  この人も水筒系女子なのか。天帝学園はエコロジー意識の高い生徒が集まっているな。 「ただ、残念ながら私の客人は滅多に訪れない」  乙坂先輩は自虐的にさらりとそう言った。  何とも反応に困るカミングアウトに俺たちがノーリアクションでいると乙坂先輩は 「おい、そこは笑ってくれないと悲しい気分になるんだが」  えっ、笑うところだったの? 笑っていいの?  前提としてそもそも全然笑えないんですけどね……。『笑えよ、ベジータ』状態なんだけど。  ここは愛想笑いくらいするべきなのかと考えるが棚橋が素知らぬ顔でいるのでどうにも身動きがとりづらい。  というかこの人、これだけ尊大な態度してるのに友達皆無なの? いや、むしろそういう姿勢だから周囲に敬遠されてしまうのか。 「人が寄りつかないのは緒留さんが他人にいつも上から目線で高圧的に接しているせいじゃないかな」  棚橋、お前なんて歯にもの着せぬストレートな言い方を。俺も似たようなこと考えてたけど。 「ふっ。手厳しいな、陸は」  乙坂先輩は水をサーバーから湯沸しポットに注ぐ過程でそう呟いた。 「緒留さんだからだよ。小学生の頃は俺もよく当たりの強いことを言われたからね」 「しっぺ返しのつもりか。昔ちょっと口やかましく説教しすぎたかな」  棚橋の剣呑な言い回しに動じる様子もなく過去を懐古する乙坂先輩。  そういうギスギスした感じのやつは俺がいないところでやっていただきたい。見ていて心臓に優しくないから。  しかし棚橋はあまり人と事を構えたがらない主義だと思っていたのだが。生徒会室へ来てから乙坂先輩には突っかかるような言い回しがやたらと目立つ。  みんな仲良くとか平気で言ってのけそうな平和主義者がとげのある台詞を多く口にする。  これは気の知れた仲であることの表れなのか。  ……俺には臆する自身を強気な言葉で隠し通そうとする張子の虎に見えた。  会長用のデスクの隣に設けてある折りたたみ式テーブルに置かれた電気湯沸しポットがパチッと音を立てて沸騰を知らせる。  湯が沸いたのを確認した乙坂先輩は温まったお湯を茶葉の入ったガラス製のティーポットへ注ぐ。 「ところでここまで準備してから訊くのもなんだが。小鳥遊君、君は紅茶が好きだったかな?」 「紅茶は好きですよ。毎朝必ず飲んでます」  俺の朝の始まりを告げる聖なる飲料だ。 「ほう。それはまたいい趣向を持っている」  乙坂先輩は俺の習慣に共感の意を示す。 「君はどの茶葉が好きだ?」  先輩の問いに俺ははっきりとこう答える。 「リプトンのレモンティーです」 「…………」  なぜか目を丸くして沈黙してしまう乙坂先輩。  何か失言をしただろうか。  俺が頭の周りにクエスチョンマークを浮かべていると 「……プッ」  隣に座る棚橋が唐突に噴き出した。  どうしたんだ、こいつ。 「何だよ……」 「いや。すまない。君は面白いなと思って」  口元を押さえて笑いを堪えながら棚橋は言った。 「笑いをとったつもりはないんだが」  意図せぬことで人の笑いをとっても心地よいとは感じることはできない。 「深い意味はないんだ。ただ勝手に俺のツボに入っただけで」 「別にいいけどよ……」  変な奴だな。 「む……。ま、まあ美味ではあるな。リプトンのレモンティー」  凍結していた乙坂先輩が再始動して続きを噛み始めた。  そんな無理した感じで賛同してくれなくてもいいのですが。俺は俺。先輩は先輩なのだから。 「緒留さん。我慢して人に合わせるのはらしくないよ」  棚橋が俺でも余計だとわかることを毒のない表情でのたまった。  黙れ爽やかマン。  諍いの心労に悩ませられるこっちの身にもなれ。 「今度来たときは君の要望に応えられるよう用意をしておこう」  乙坂先輩が棚橋の発言をスルーして俺に笑いかけた。  いや、要望とかしてないし今後ここへ来ることはないと思うんですが……。言うだけ無駄だろう。  彼女の中でもう俺の再来訪とレモンティーの購入は確定事項のようだし。なにより滅多にないという客人を一人確保できたと糠喜びしている乙坂先輩から笑顔を奪い去るのは心苦しい。  守りたい、この笑顔。  でもすいません、多分もう来ないです。  そんな葛藤を経つつ。三つのティーカップに紅茶を注ぎ終えた先輩はそれを盆に載せて運んでくる。 「で、小鳥遊由海の件で用があると言っていたが。一体どういう用だ」  乙坂先輩はソーサーに載せたティーカップを俺たちの前へそれぞれ置き、自分のカップを持って会長席に再び座る。俺は淹れたばかりの紅茶が燻らせる湯気を眺めつつ。  さて棚橋、ここからどうやって話を切り出す?  交渉人棚橋陸。  お手並み拝見と行きますか。  もはや完全に他人事の体だが、先輩と親しくもない俺がここで出来ることは何もない。 「緒留さんは犯人がまだわかっていないことについてどう思ってる?」 「嫌な事件だったね」  紅茶を啜りながら乙坂先輩は静かにそう言った。 「ふざけてないで真面目に答えてくれないか」 「なら君も回りくどいことは抜きに言いたいことを単刀直入に述べたらどうだ」 「…………」  押し黙る棚橋。  おいおい、さっそく言い負かされてるじゃないか。これはもうダメダメなんじゃないかと俺が諦観していると、 「俺は小鳥遊さんの心に傷を負わせた犯人を見つけ出そうと思っている」 「ほう。これはまた勇ましいことを」  棚橋の宣言に乙坂先輩はゆっくりとソーサーにティーカップを戻して棚橋を見つめる。 「あんな行為は絶対に許されないことだ。俺は犯人を必ず捜し出す。そして然るべき処分を受けてもらう。このまま犯人が学校に平然とのさばっていたら彼女は学校に来ることができない」 「…………」  何を考えているのか。  乙坂先輩は無言で棚橋の言葉を聞いている。 「だから緒留さんには一般の生徒に公開されていないことを教えてもらいたい」 「……あれは随分、巧者というか曲者でね」  ゆっくりと乙坂先輩は語りだす。 「全校生徒に無記名のアンケートをとったのは君らも知っているだろうが、誰も真相に迫る回答をする者はいなかったよ。面白半分に被害者を中傷するような記述をする者すら。いれば加害者の人数特定もかなったのだが……」  内情を知るがゆえ、先輩は悩ましげに溜息を吐く。 「いじめというのは大抵、主犯格を生徒たちが認知している場合が多い。だが今回はまったくのゼロ。そもそも以前から度重なる嫌がらせが行われていたことすら誰も知らなかったというから厄介だ。犯人は尻尾を出すことを徹底的に避けている」 「一体何のためにそこまでして小鳥遊さんを……」  棚橋が理解できないというように拳を握りしめる。 「さあな。犯人ではない私にはわからんよ。ただ隠密性の高さから私は犯人が少数もしくは単独ではないかと考えている」  ティーカップを揺らし、先輩は言う。 「小鳥遊君。君はどう思う」  先輩は突然こっちに話を振ってきた。 「……俺だって犯人じゃないんだからわかりませんよ。でも、ただ小鳥遊由海が気に入らないというだけが動機ではないかと」  態度が気に食わないというなら集団で面白がっていじる方向に進むだろうし。  いじめて反応を楽しむタイプなら自分たちの行動を隠そうとはしない。  むしろ周囲に認知させて自分たちがある種の特権を持っているかのように得意げに振る舞う。だがこの犯人は自分が犯行に及んでいることを知られてはならないと思っている。 「どういうことかな?」  乙坂先輩と棚橋が興味深そうにこちらに視線を送ってくる。 「結果的に不登校に追い込んだわけではなくて、最初から小鳥遊由海を学校から追いやることが目的だったんじゃないですかね。表立って行動しなかったのも大事になることを想定していたからではないでしょうか」 「じゃあ犯人はやっぱり彼女に恨みを持っている人物か」  棚橋が厳かな顔から重々しげに口に出す。
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