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第六章
八重樫と無意味な逍遥をしたり隣人が夕餉の席に割り込んできたりした翌日の朝。
俺は最寄りのバス停にて順番待ちをしていた。
いまさらだが俺はバス通学者なのである。
普段はこの三、四本ほど後の便に乗っているのだが今日は平時より少しだけ早めに家を出ていた。
なぜかって?
それはあいつに昨日のことを一刻も早く追求しなければならないからだ。
やらなくてはいけない厄介なことはさっさと片付けるに限る。
だが、考え直すとこれは俺が早起きをしてまでするべきことなのか?
別に昼休みや放課後でもいいのでは?
そもそもなぜ俺はここまでしているのか。
等々、疑問に思うべき点を挙げれば枚挙に暇がないが。
昨日のことを口に出し、共通の事実としてしまえば後戻りはできない気がする。深入りせず、見なかったことにしておいた方が互いの安寧のためにはいいのではないか。
もしかしたらあいつには何か考えがあって、俺の想像もしない方向で意味のある行動だったかもしれない。
まあ深読みしようとしたらキリがないけれど。
こいつは俺が嫌う不必要な干渉によって起こる不協和音の引き金になりうる地雷。
そんな可能性が見えながら俺はそれを踏み抜くことが出来るのか?
……仮定の話をしてみよう。
もしあれが犯人につながる糸口だったとして、俺が口をつぐんだことで迷宮入りすることになってしまったなら。
時効のような形で犯人がわからないまま過去のものになってしまったなら、小鳥遊由海はきっといつまでも家に閉じこもったままになるだろう。
そして暇を持て余し我が家に入り浸るようになるだろう。
それはダメだ。
絶対にダメ。ダメダメだ。あってはならないことだ。
「はぁ……」
車道の向こうから乗るべきバスがやってくる。
どちらにせよ、まずは棚橋に言うべきだろう。
話は全てそこからだ。
何事も、話してみなくてはわからない。
どう出るかも。その結末も。
俺は気を重くしながら定期を提示し車内に乗り込んだ。
いつもとは違う時間帯とあって、バスの面子も変化していた。
混み具合も少しだけ緩和されているような気もする。
そしてそんな車内で俺は同じ制服を見つけた。
一人掛けの座席に腰掛け、窓の外を見ていた女子高生がこちらを向く。
「小鳥遊君」
「イツキ」
教室では見慣れているが通学路では初対面。
同じクラスの学級委員がそこにいた。
「同じバス使ってたんだな。知らなかったよ」
俺はイツキの座る席の横に立ち、吊革にもたれる。
「そうね、小鳥遊君はいつもチャイムギリギリだものね」
くすりと小馬鹿にしたように微笑むイツキ。
だってほら、睡眠時間の確保は大事ですしおすし。
とは言っても俺の起床時間は結構早いけどな
早く行ってもやることないからのんびりしてるだけ。
「行きはともかく、帰りにも会わなかったっていうのはすごい偶然だよな」
「私、帰りは歩くようにしているもの。徒歩でもせいぜい三、四十分くらいだし」
健康的でいいことだ。
ものぐさな俺にはその発想すら起きん。
「イツキは毎日このぐらいに来てるのか?」
彼女はそんなに学校を楽しみにしているようなキャラではないだろう。
真面目な性格ゆえの行動なのだろうと思いながら訊ねる。
「家族と時間帯をずらすために早めに出るようにしてるのよ。一緒のバスで登校するなんて嫌だもの」
案外、普通に思春期っぽい感じの理由だった。
イツキもそういうの気にするのか。
目の前の大人びた少女の同年代性を垣間見て少しほっこりした。
「親とか兄弟とかが同じルートなのか?」
「えっ?」
イツキが顔を上げ、目を丸くして俺を見上げる。
「ん?」
「……まあそんなところね」
一拍おいて、イツキはそう答える。
なんだったんだよ、あの一瞬の間は。
『お前何言ってんの?』と言わんばかりの反応。
イツキの家の家族構成なんて俺が把握しているわけないだろ。
赤信号によってバスが一時停止する。
俺とイツキの間にも同時に一時的な会話の休止が訪れた。
俺はこれ以上、掘り下げたことを聞きだすつもりはない。
イツキも何も言わない。
この話題はここで終わりか。なら。
「なあ、イツキ。女子って可愛い生き物を見た時、剝製にしたいって表現したりする?」
気になっていた事柄を訊いてみた。
「小鳥遊君、あまり猟奇的な思考に傾かない方がいいわよ。日の当たる道を歩きたいのならね」
「ええ……」
引かれた挙句、割と真顔で忠告されてしまった。
それから俺たちはバスに揺られ何事もなく普通に学校の最寄の停留所に到着。
イツキと並んで登校していると校門の付近で学校の外周を走っていたのだろう、ユニフォーム姿の若田部が反対方向から向かって来るのが目視できた。
どうやら部活の朝練をこなしているようである。
互いに存在に気付き、挨拶代わりに手をあげる。
若田部は屈託のない呑気そうな笑顔を見せて駆け寄って来るが、俺の隣を歩くイツキを見た途端、その弛緩した面を硬直させた。
そして猛烈な勢いで接近してきて俺の肩を掴むと、
「昨日といい今日といい、お前本当にいい加減にしろよチクショぉぉぉっ!」
ガクガクと前後に俺を揺さぶり、血の涙でも流してしまえそうなほどに眼球を血走らせ叫んだのだった。
こいつは一体何に腹を立てているのだ。
まさかイツキと一緒に登校していることについてか。
「やはり貴様、リア充の回し者か……」
予想通り過ぎて俺は眉間を押さえざるを得ない。
昨日も今日も、成り行きでそうなっただけで別段羨まれる立場の人間に俺が成り上がったわけではないのだが。
「屋上へ行こうぜ……久しぶりにキレちまったよ……」
若田部が冗談なのかマジなのか判別しにくいことをのたまい凄んできた。洒落で言っているのだと信じたい。
「若田部よ、少し落ち着け。冷静になれ、な?」
今から棚橋に告げなくてはならないことを考えると若田部のこのテンションにいつも通り対応するのは難易度が高かった。
「小鳥遊君。私、先に行った方がいいかしら」
若田部の茶番を呆れたような目で見ていたイツキがそう言ってきた。
「いや、大丈夫。もう終わるから」
俺が軽めの口調でそう言うと
「うおおおおっ! 小鳥遊の裏切り者! おたんちん!」
若田部は見当違いな捨て台詞を吐き散らし、外周の続きに繰り出していったのだった。
安心しろ、若田部。
俺は少なくともお前が言うような意味での裏切り者ではない。
だから。
……だからと繋げるのはおかしいかもしれないけれど。
俺がそうであるように、あいつも違うのだと思いたい。
昇降口には俺が普段登校している時間帯よりもいささか落ち着きのある雰囲気と静寂が流れていた。
生活指導の教員もまだ立っていない。
よく考えたら早く来たのはいいが棚橋が登校していなければ意味がないではないか。
話す時間には余裕があった方がいいだろうと早出してきたが、前提の方を失念していた。
相手がいなくては会話が成立しない。
棚橋がいつもの俺と同じように時間ギリギリに登校してくる人間なら俺は貴重な睡眠時間をドブに投げ捨てたことになる。
それは困る。
えらく損をした気分になるし、その損失は誰に請求すればいいのだ。
だが俺の日頃の行いがよかったのか、あいつは学校に来ていた。
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