第六章

3/6
前へ
/34ページ
次へ
 棚橋を追いかけて辿りついたのは学校近所にある住宅街の公園。  普段しないような疾走で息を切らしながら俺は棚橋が入っていくのを確認した公園へ足を踏み入れる。  園内にはベンチがある他は特に遊具もない。  大きさもさほどではない。  週末にゲートボール大会でも開かれていそうな公園だ。  公園にいたのは棚橋ともう一人。  こちらに背を向けたベンチに座っている人物。  棚橋はその人物に会いにここまできたようだ。  まさか犯人?  いや、でも現状で一番怪しいのはむしろ棚橋本人だ。  棚橋は一体誰と待ち合わせをしていたのだ?   様々な憶測を脳裏によぎらせながら俺は彼らに近寄っていく。  ベンチに座っていた人物が腰を上げこちらを向いた。  きらりと光る眼鏡。  上品な佇まい。そこにいたのは。 「八重樫……?」  俺が予想外の人物の存在に驚き、声を出すと棚橋はようやく俺に気が付いた。 「なんだ。結局ついてきてしまったのか……」  振り返り、あきれたような口ぶりで言われる。 「お前を見極めに来たんだよ。あれじゃ納得できないからな」  飼っている犬に対するような言われようが心外だった俺は偉ぶった表現を選んで用いて対抗した。 「興味がないようなフリをしておいて卑怯だな、君は」  謎の発言をぶっきらぼうに言い放ち、それで俺への興味は尽きたように棚橋は再び八重樫に向き合う。 「ここに君がいるということは、そういうことなんだね」  棚橋がポケットからさっきの紙切れを取り出し、ピラピラとさせながら八重樫に対して静かに言った。  ……棚橋をここへ呼んだのは八重樫なのか?  彼女も棚橋が怪しいと思って問い詰めるためにこうやって呼び出したのか? 「残念だなぁ。棚橋君がこういうことをする人だったなんて。ちょっとショックだよ」  八重樫が切なさのこもった笑みで感傷的になった感情を吐露する。  もう一人の被害者でもある八重樫からすれば片思い相手が犯人であったことは確かに耐えがたい事実だろう。  やっぱり棚橋がこの事件の犯人なのだろうか。  だが、いろいろとおかしい。  なぜ棚橋は犯人捜しなんてことをして一学期に起こった事件を掘り起こす真似をした?  黙っていれば沈静化することは間違いなかったはずなのに。  俺たちを追跡した理由は?  由海への想いを語ったのは芝居だったのか?  それに八重樫の様子も変だ。  暗いというか病んでいるというか。  傷ついているのとは違う。  真面目で穏やかな印象は薄れ、鬼気とした禍々しさのようなものが彼女の主体に成り代わっている。 「八重樫、ちょっと棚橋の話も聞いて……」  とりあえず八重樫に冷静さを取り戻してもらおうと俺が声をかけようとすると。 「君たち揃って人畜無害そうな顔して酷いなァ……」  八重樫はおもむろに眼鏡を外し、三つ編みをほどく。  君『たち』だと……? 俺も入っているのか?  彼女は何を言っている? 「ウッフフ……」  八重樫が笑う。感情が見られない瞳で。  口元だけが歪に微笑みの形をかたどっている。  口調すらも変容を見せ、もはや俺の知っている八重樫の面影はない。  どこにも残っていない。 「こんな脅迫するような手紙で早朝に呼び出して……。寄ってたかってわたしをたばかってたんだ?」  八重樫はポケットからくしゃくしゃに丸められた紙くずを取り出し、手の平に載せて指先でそれを弾く。紙くずは棚橋の足元に転がった。 「小学校時代や中学校時代のことなんてよく調べたよねぇ。ひょっとしたらわたしが天帝学園に来た理由も知ってるのかな?」 「それは想像に任せるよ」  曖昧にぼかした言い方で棚橋は回答をはぐらかした。  八重樫が学校に来た理由?  志望校の選択なんて人それぞれだろ?  それが関係あるのか? そもそもたばかるってなんだ?   寄ってたかってとか、俺は何もしてないぞ。  濡れ衣だ。言いがかかりも甚だしい。  そう、俺は何もしていないし、何も知らない。 「…………」  つまり、この何やら真相に迫りつつあるような雰囲気の中、俺だけが置いて行かれている。  どういうことなんだ。  八重樫が呼び出された側なのか? しかし、棚橋も下駄箱に入れられていた手紙を見てここに赴いたはずだ。  脅迫と言っていたが、彼女の手紙には一体何が書いてあった? 想像や推察の及ばないことばかりが横行して俺を混乱に誘おうとする。 「棚橋、話が読めないんだが。お前らは何の話をしているんだ?」  蚊帳の外からの脱却を求め、俺は棚橋に訊ねた。我ながらなんと空気が読めない行動であると自覚していたが仕方ない。 「……まだわからないのか?」  棚橋の正気を疑うやつを見るような眼差しが痛い。 「わからん」  聞くは一時の恥。聞かぬは一生の何とやら。俺は堂々とそう言った。 「君は鋭いのか鋭くないのかどっちなんだ……」  溜息を吐かれる。ご期待に沿えなくて申し訳ないね。しかし残念ながらわからんもんはわからんのだ。 「彼女なんだよ。小鳥遊さんに日常的に陰湿な嫌がらせをしてきたのも靴箱に猫の死骸を詰め込んだのも。すべては彼女の仕業だったんだ」 「犯人ってそれ、お前……」  お前じゃなかったのかよ。と続く言葉は出なかった。  出せなかった。言わなくてよかった。  言ってたら恥ずかしい思いをするところだった。  だがそうか、棚橋じゃなかったのか……。  いや、じゃあそれならこいつは何であんな怪しげな尾行してきたんだ?   その他にも気になることはある。 「最初は俺も信じられなかったさ。信じたくもなかったよ。だけど彼女がここに来たことがなによりの証拠だ」  そう、だからなぜそれが証拠になる。  ここにいることが八重樫を犯人とする決め手になるんだ。  本人が自白したわけでもないのに。  どうして棚橋は確信めいた断言をするのだろう。 「どこらへんから気が付いていたのかな。わたしが小鳥遊由海を追い詰めた張本人だってことに」  ……って、いきなりゲロッただと!?   観念したのか?  その割には堂々としすぎているような。 「猫の飼い主を探している時に君が名乗り出てきた時点でおおよその見当はつけていたよ。  あの人が自分のテリトリーで起きた不祥事について本気で解決しようとするのなら、不確かで真相に届かないような手掛かりを寄越してくるわけがない。  俺たちにははっきり言ってこなかったけどきっと名乗り出てくる人物が犯人に関わっているとそう思ってた」  あの人というのは乙坂先輩だろうな。  生徒会室では敵意剝き出しだったが、かなりの信頼を寄せている口ぶりだ。  もしかしたら無意識で言っているのかもしれんが。 「そして今日、あの人は言っていた」  棚橋は手に持っていた紙切れを掲げる。 「今日ここで、この場所に現れる人物が犯人だと。手段はともかく、こちらでその人物を絶対に引っ張り出すようにする。だからその人物を説得して自主させる役割を俺に任せるとね」  きっと八重樫の手紙には彼女が無視できない弱みを握ったネタが、そして棚橋の手紙には彼の言った言葉が書き連ねられていたのだろう。  それぞれが手紙を受け取り、ここにはいない一人の人間の思惑通りに踊らされている。  どこまでが乙坂先輩の目論みに沿っているのか。  この場でイレギュラーなのは恐らく俺だけ。  つまり、あの生徒会長が棚橋の言うような有能な人物なら俺が余計な事さえしなければ今回の件はこのまま万事丸く収まるということなのだろうか。 「ふぅん。じゃああの手紙、出したの棚橋君じゃなかったんだ。わたしに気付いてたわけじゃなかったんだ」  どこか落胆したように八重樫は言った。 「ああ、確信は持てていなかった。だからまだ君が犯人だと確定できなかった昨日は真実を見極めるために距離を置いて遠くから観察してみたりもした。わざわざ後輩に一芝居打ってもらって自然に離脱してね」
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加