第六章

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「観察って、あのストーカー行為のことか」 「なんだ、君にも俺だとばれていたのか」 「あれでばれてないと思っていたのか……」  滅茶苦茶後ろ姿を見られてたのに。 「いや、一応最後には見つかることを前提にしていたよ。俺が不審がっていることを八重樫さんに察知させてその反応も見たかったからね」  なんてこった。  こいつはハナッから聞き込みなんかするつもりはなかったのだ。  というかあの困惑ぶりも芝居だったのかよ。  なかなかの演技派だな、オイ。 「まさかブラフだったとは思わなかったなァ……。まんまと騙されちゃったよ。絶対確信持ってばれてるって思っちゃったもん」  八重樫はペロリと舌を出しておどけた仕草をとった。ここまで土俵際に詰められているのにその態度には余裕すら感じ取れる。  彼女には何か絶対に逃げおおせる手段のアテでもあるのだろうか。 「飼い猫の仇を見つけるって目的で一緒に行動すれば仲も深まると思ったのに。ほら、放課後に文化祭の準備で盛り上がると恋に発展するってよく言うじゃない? あんな感じでいけるはずだったんだけど。でもわたしを誘い込む手段だったなんてね……」  そんな軽いノリで名乗り出たのか?  こいつ頭がおかしいんじゃないのか。  棚橋と距離を縮めるためにそんなリスクを犯したっていうのかよ。  これが八重樫の本性なのか。  常識の思考を逸脱した己の我欲を満たすために猛突する畜生のようなこの姿が。 「君は自分のペットを殺めて、あんなふうにして何も思わなかったのか?」  棚橋は厳しい面持ちで目の前の同級生を糾弾する。 「安心して棚橋君。あれ、本当はわたしの猫じゃないから。あの頃に殺したコレクションの一つではあったけど」  穏やかに、棚橋を気遣うように八重樫は言った。  だが、無論それが棚橋の気休めになることはない。  むしろ揺さぶりをかけられ余計な苦悩を生み出しただけだ。  ひょっとしたら八重樫はそうすることが狙いだったのかもしれないが。  恐らくあの時、俺が八重樫の殺風景な部屋に違和感を覚えたのはあそこに動物を飼っていた形跡が微塵も感じられなかったことによるものだったのだ。  余計なものを排他し、生きるのに最低限必要なものだけが揃えられた無色で殺伐とした環境。  そんな場所に住まう人間がどうして他の生き物に向ける愛情の余地を持っていようか。  それに若田部が言っていた近所の野良猫が数を減らしているという話。  コレクションの一つと語る以上、彼女との関連性は十分にありえる。  ただ今はその件については脇に置いておこう。  突き詰める話は他にある。 「あの手紙を書いたやつは悪趣味ね。わたしの昔のちょっとした悪戯を今さら掘り起こしてきた挙句、指定通りに来ないと全校生徒に公表して学校にいられなくさせるとか書いてあったし」  八重樫は自分を棚に上げ他人を悪趣味と言う。  彼女はどこまでも救えない人間だったんだなと再認識させられた。 「…………」  棚橋は八重樫の言葉に無言で顔をしかめているだけ。乙坂先輩はどこでそんな駆け引きに使えるようなネタを集めてきたのだろうな。  八重樫もどんなことをしたのか。  もしかしたら今回の件に相当するような悪事すでにやってのけた前科があるのかもしれない。 「それでどうするの? 目的通り自白させることには成功したけど。このことを学校に報告する? それともわたしを警察に突き出す? 多分無駄に終わると思うけど」  やはりここでも八重樫は自分の罪が咎められることはないのだと主張する意味合いを持った発言をする。 「それらも一つの手ではあるね」  淀みない口調で棚橋は答えた。滑らかに発言しながらも彼の目は鋭く、表情は硬く強張っている。  憤っているのからか、あるいは裏切られたと落胆の悲しみに打ちひしがれているのからなのか。  表層だけでは内心の感情の機微まで判別できない。 「酷いなァ。悲しいなァ。見捨てられちゃったよ……」  一方で八重樫は口元を両手で押さえながらくぐもった笑い声を漏らしてブツブツ呟き始める。 「ねえ。わたしのことは庇ってはくれないの? 優しい棚橋君はいないの? 小鳥遊さんみたいに助けようとはしてくれないの?」  怒涛の手前勝手な問いかけに棚橋は当然ながら救いの言葉をかけない。棚橋ですら、寛容さを見せない。 「なあ聞かせてくれ。君はどうしてそんな小鳥遊さんを苦しませるようなことをしたんだ。彼女が君に何かしたのか?」  棚橋は動機について詰問する。  お前、それを訊くのか……。  今度は俺が棚橋に呆れる番だった。気が付いていないのか? それとも誤解のないように確かめているだけのなのか? 「わからないの?」 「だから訊いている」  どうやら本気で見当がついていないらしい。どれだけ鈍感なんだよ……。 「……わからないんだ? 酷い! 酷いなァ! 本当に君って人は女泣かせでどうしようもない人!」  顔を押さえ込みながらキィキィ喚く八重樫。だが彼女の非道を考えれば棚橋の対応に同情する気にもなれない。 「一体どういう……?」  困惑する棚橋。  まだ察せないのか……。  きっとこいつはさっきの八重樫の恋に発展する云々の話も何かの例え話かなんかだと思っているに違いない。  このままでは埒が明かん。 「こいつはな、お前のことが好きなんだよ。だからお前が由海を構うのが気に入らなかったんだ。前にこいつの家で聞いたから間違いない」  そうだろ? と俺は八重樫に視線を送る。すると。 「この嘘つき野郎! 言わないって約束した! したのに! 死ねこのカス! 針千本! 針千本を飲め! 剣山を食わせてやろうか!?」  ひ、ひええ……。  凄まじい剣幕で怒鳴りつけられてしまった。お前だってばらしているようなこと言ってたくせに。  ここまで強気でこられると向こうに正当性があるように錯覚してしまう。 「まさか……本当に?」  棚橋は信じられない、信じたくないと首を振る。  小鳥遊由海がターゲットにされた理由の一端に自分が関わっているなど思いもよらなかっただろう。  しかし俺はまったく考えられないことではなかったと思うのだ。はぐれ者の由海に棚橋が同情以上の想いで接しているのが悟られれば妬む者が出てくるのは妥当ではないか。  ここまで過激なことを実行するかは別として。 「わたしはこんなにも棚橋君を愛しているのに! 棚橋君はわたしを愛するべきなのに、あいつは棚橋君をたぶらかした! 棚橋君に気の迷いを起こさせた! 当然の報いなのよ!」  やはり由海への嫉妬心が動機か……。単純だがわかりやすい理由だ。 「あの根暗女。棚橋君にデレデレと鼻の下伸ばして色気だして誘って……」 「……彼女は……小鳥遊さんはそんなことはしていない」  棚橋の掠れた声で絞り出す抗議を一切聞き入れず八重樫は狂気を散布し続ける。 「あいつは入院して棚橋君の同情を引いてお見舞いに来てもらおうとする腹黒い雌豚なのよ! だから卑怯なことをするなと釘を刺してやろうと病室に行ったら陰険な面を隠して分相応な行動をしていたから反省したと思ってたのにそれなのに!」  ん? それだと小鳥遊由海がまるで八重樫を犯人であるとあの時点で認識していたような……。 「おい、今のって」 「いい加減にしてくれ!」  俺の素朴な疑問は棚橋の怒鳴り声によって掻き消される。 「ああ……棚橋君はあの女に毒されてしまったのね。あんな棚橋君とは生きる世界が違う、糞みたいな女はあなたと関わってはいけないのに。あいつが立場をわきまえないことをするから棚橋君がおかしくなっちゃった!」  くけけ、とむしろお前がおかしいだろと指摘することすら躊躇いたくなる壊れた笑いを披露する八重樫。 『わたしとは生きてる世界が違い過ぎて仲良くなんてなれないし、なっちゃいけないんだ』  小鳥遊由海の部屋で聞いたあの言葉が誰のせいでそう思うに至ったのか。今ここでわかった気がする。 「あれは正当な制裁なの! 正義の鉄槌を下したまでよ!」 「クソ……俺の……せいか。俺が彼女に近づいたせいで。親しくなろうとしたせいで。また、俺のせいで……」  棚橋は顔を蒼白にしながらフラフラと八重樫に近づいていく。  この時、俺はあんまり不用意に近づかない方がいいぞと一言言ってやるべきだったのかもしれない。  そうすればこの後に起こる悲劇は避けられたかもしれなかったのに。
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