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「同じ意識を共有できるあなたをこの手で殺めたら、わたしは喪失感に浸れるかなって。失う悲しみを。感情を感じることができるかもしれないなって」
何だか雲行きが怪しい。どこかで見た展開だ。
そう、ほんの少し前にこの場所で……。
「確かめてみたいの。わたしに教えてよ。本当の愛が。人を好きになる人間らしい感情がどんなものなのかを。初めて会えた同類のあなたを失えば今度こそわかる気がする」
「待て、それってつまり……」
八重樫は無邪気に笑い、血糊の着いたナイフの側面をなぞると棚橋に向けていた殺意を今度は俺に標準を合わせて放ってきたのだった。
「くそったれが……!」
向かってくる狂気の刃に対処するため俺は身構える。
こんなことなら体育の選択授業で柔道を習っておくべきだった。
いやこの場合有効なのは合気道か?
だとしたら選択のしようがなかったな……。
辞世の句でも唱えようかと覚悟したその時である。
「籠手ェッ!」
そんな耳をつんざくような叫び声が響き、突如横から割り込んできた何者かが八重樫のナイフを握った右手に竹刀を叩き込んだのだった。
「何なのっ……?」
予想外の強襲に凶器のナイフは手放され地面に落下。
八重樫が拾い上げる前に竹刀を打ち込んだ人物がそれを蹴り飛ばし手の届かない位置にまで動かす。
突然の乱入者に俺は目を見張る。
その人物は乙坂先輩に会った時にすれ違っていた筋肉質な男子の先輩だった。
先輩は頭を掻きながら俺の方に歩み寄ってくる。
「あんた、生徒会の……。なんでここに?」
「朝の散歩の途中だ」
「は?」
すっとぼけた回答に俺は眉を顰める。
「あっちのやつらもみんな同じだ」
彼の指差した方向には八重樫に関節を極めながら三人がかりで彼女を取り押さえている生徒たちがいた。
あいつらも生徒会役員なのかな……。
どうして生徒会の役員がここに?
乙坂先輩がこの場所をセッティングしたのだから役員がそれを知っていてもおかしくはない。
だがなぜ総出で駆けつける必要がある?
疑問と混乱が頭の中身を駆け巡る。
公園沿いの道路には赤いサイレンを回したパトカーや救急車が着々と到着してきていた。
きっと生徒会の彼らが手配したのだろう。
同時にサイレン音に気が付いた近所の住民や通行者も野次馬として続々と推参しつつある。
この手際の良さから俺は全てを察した。彼女が何を目論み、どんな結末を予期して望んでいたのかも……。
「登校前にお揃いとは生徒会は皆、随分仲がよろしいんですね」
苛立ちから八つ当たりのように憎まれ口を叩いた。
助けてもらった礼はいずれしよう。
今はする気にはなれない。
「皮肉ってくれるなよ。一応助けたんだからさ。まったく。こんな自治活動なんざ生徒会の活動範囲外だっていうのに……」
先輩は面倒臭そうに呟いて溜息を吐く。
ならなぜやっている。
まあ、乙坂先輩の命令なんだろうな。ご苦労なことである。
警官に連行される八重樫と目が合う。
「小鳥遊君、覚えておいてね。あなたが見下すことなく、対等な安らぎを得ることができるのは同じ領域に至ったわたしのような人間だけ。わたしがそうだったように、あなたの空白が今後誰かの平凡な愛によって埋まることはない」
「俺は現状維持を望んでる。それで結構だ」
「フフッ。強がりじゃないといいけど」
胸糞悪いことを抜かして笑う女から目を背け、担架に乗せられて運ばれる棚橋を見送る。
無事に助かればいい。そう思った。
他人事のようにそう思った。
知り合いですらこんなテレビの向こう側の世界を見ているような心境でしか心配できない俺は本当に嫌なヤツだと思う。
だけど俺は望んでこうなったのだ。
後悔もない。
変わる気もない。ありのままの自分を受け入れる。
これが俺だ。だから俺は八重樫とは違う。
絶対に違う。
「それじゃ、俺は事後処理があるから。棚橋の容体は後で伝えるから、お前も学校に戻るなり家に帰るなりしろよ」
そう言い残し、先輩は去ってゆく。
「……俺は、違う」
遠ざかるサイレン音を耳に響かせながら俺は騒動の余韻にざわめく公園で一人、引かれ者の小唄を口ずさんだ。
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