最終章

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最終章

 激動の事件から一夜明け、翌日。  教室移動の時に偶然廊下で出会った竹刀の先輩から聞いた話によると奇跡的に急所を避けていた棚橋は一命を取り留めたらしい。  腹を刺されて生き長らえるとはあいつもなかなか悪運が強い。  それでも重症は重傷。まだまだ入院は必須とのこと。  容体が安定したら見舞いにでも行ってやるべきだろう。  ちなみに昨日のことについて校内では近隣で傷害事件が起き、どうやらうちの生徒が刺されたらしいという程度の浅い情報が一部の耳の早い生徒にすでに届いていた。  俺がその場に居合わせたことや具体的な個人の特定までは至っていないようだが人の口に戸はなんとやら。  入院して長期欠席となる棚橋や恐らく二度と学校の敷居を跨ぐことはない八重樫のコンボがあれば事実に基づいた憶測が生まれ、本件の詳細が知れ渡るのは時間の問題だろう。  去る者はいい。  だが残る者は被害者であれ加害者であれ、好奇の目に晒されることは想像に容易い。  そうなった時、棚橋はどう出るのか。  ……いや、これはあいつが歩み、選択していく道だ。  俺があれこれ思索するようなことではなかったな。  俺には関係のないことだ。  ……そして何もできないことでもあった。  昼休み。  俺は以前棚橋と共に歩いた経路を辿って生徒会室へと向かっていた。  なんのためか?  能動的に誰かのために行動するなんて俺のガラではない。  原動力はただ単に好奇心によるもの。  それだけだ。  今回の騒動をこの結末へ導いた黒幕であり、演出家でもある乙坂先輩が何を考え、何を謀っていたのか。  どこまで計算に入れていたのか。  そのことを俺は知る権利がある。はずだ。多分。  ただ、勝手に首を突っ込んだだけだろと言われたらそれまでなのでいささか断言しきる自信がないのも実際のところ。  そこは相手の了見次第ということになる。  勇み足で押しかけようとしていながら何とも情けない話だ。  生徒会室のドアの前に立つ。  二度と来ることはないと思っていたんだがな。  まさか自分の意思で赴くことになろうとは。  ノックを三回。  扉を開き部屋に足を踏み入れる。  前回と同様、先輩は部屋の奥で椅子に腰かけハードカバーの本に目を通していた。 「おや、君か。待ちくたびれたぞ」  俺の入室に気が付くと先輩は読んでいた本を閉じ、明快な声で歓迎の意をあらわにする。  以前の訪問と異なり、乙坂先輩の向けてくるその目は俺を見ていた。俺という人間の存在を意識し、相対する価値を認めていた。 「今日は君の好きなリプトンのレモンティーを用意してあるんだ」  乙坂先輩が指差す方向を見ると、この間はなかった冷蔵庫が部屋の角に置かれていた。  まさかとは思うがレモンティーを冷やすために導入したのではなかろうな……。  さすがにそれはないか。  そこまでの厚遇を受ける身分に自分があるとは思えない。 「まあかけたまえよ。君の今日来た理由も大方見当はついている。ゆっくり話そうじゃないか。紅茶でも飲みながらな」 「お構いなく」  俺は返事をし、静かにソファーに座った。 「陸の容体についてはもう伝わっているだろうから構わんだろう?」  乙坂先輩は冷蔵庫からペットボトルを取り出し、ティーカップではなくグラスに注ぎ淹れながら言った。 「では話すとしようか」  グラスを俺の前に置くと先輩はなぜか自分の机に戻らず俺の正面に腰を下ろす。 「八重樫についてだが、近頃彼女の住居の周辺で野良猫の変死体が複数発見されていることも発覚してね。その関与も疑われている。傷害の現行犯に器物破損の疑いも浮上。余罪はたっぷり。まあ八重樫の退学は決定的だろう」  言いながら、乙坂先輩はレモンティーを口にして勝ち誇ったように笑う。 「それでもあいつは罪に問われないんじゃないんですか」  俺は自分の中でほぼ確信を持っていることをあえて訊いた。 「なぜそう思う?」 「あいつは自分のことを無敵だと言ってました。何をしても親父がもみ消してくれると」 「そうだな。そうなるかもしれない。実際、八重樫が罪に問われるかどうかはわからん。彼女の父親は行政のいわゆるお偉いさんだからな。いくらでも圧力はかけられる。だが、少なくともこの学校から彼女を追放することはできた」  八重樫の退学。  そこが乙坂先輩の目指していたシナリオか。  ならば目論みを見事達成し、さぞご満悦なことだろう。  先ほどの笑顔も頷ける。 「つまり棚橋は人身御供だったということですか。あなたは八重樫が棚橋の命を狙ってくることを見越して挑発的な内容の手紙を出し、その展開を引き出した……」 「やはり察しがいいな、君は。だが上手いように使われた、とは思わないでくれ。君たちが行動しなければ事態は停滞したままだった。君たちの気概ある行為が八重樫に然るべき報いを受けさせるきっかけを作ったのだよ」  まるで動じることもなく、乙坂先輩は正論然とした言い草でのたまった。  そんなもんは詭弁だ。  だけどそれが八重樫の危険性をわかりやすく知らしめる最適なやり方だってことは理解できた。  もしも俺が当事者であったなら、決断を下す側の人間にいたなら。  俺は乙坂先輩の手段を選ぶのではないか。そんな予感が頭をよぎった。 「それに私がけしかけなくとも、八重樫はきっといつか陸に刃を向けていた」  乙坂先輩は足を組み、俺を納得させるためか、そんなことを言い出した。 「中学時代。やつは当時交際していた同級生の男子生徒に刃を突き立て重傷を負わせている。幸いにも相手の男子に命の別状はなかったがな。  示談で解決し表沙汰にはならなかったものの、この件が理由で彼女は地元を離れざるを得なくなり半ば勘当のような形で島流しの身としてこの地へやってきた経緯がある」 「そんなことが……」 「それだけではないぞ。小学校低学年の時にはうさぎ小屋のうさぎを盗み出し解体して校舎裏にばら撒いたこともある」  聞けば聞くだけ凄まじい。こんなことをあいつはよくもまあちょっとした悪戯などとぬけぬけと言えたものだ。 「さらに高学年時には興味を持った男子の飼い犬を拉致し、殺害して自宅の庭に埋めた後、その男子と一緒に犬の捜索を行い、慰め、マッチポンプのような自作自演で仲を深めようともしていたらしい。  ただ目撃証言から事実が判明して失敗に終わったがね。この失敗から八重樫は周囲の目を盗んで犯行を行うことを学習した。罰せられなくとも不都合が起こることを知ったわけだな」  強力な後ろ盾があるにも関わらず、慎重にことを運んでいたのは過去の経験を参考にしていたということか……。 「君の考察はあながち間違いではなかったということだ。ばれてしまっては意味がない」 「まあ、そういう意味で言ったわけじゃないですがね」  今となっては本当にどうでもいい考察だった。  事実を把握している人物が目前にいたのにあれこれ推論を交わし合っていたなんて噴飯もののやり取りだった。 「こんな超問題児を処分するきっかけを与えたのだ。私のやったことを表立って非難する者は学校側にいないだろう。いつ問題を起こすのか、彼女の事情を知る上の大人たちは皆、ハラハラと気を揉んでいたからな。  父も理事会の誰もかも、一様に八重樫がそのうち取り返しのつかない事態を引きこすのではないかと戦々恐々だった。  今回、棚橋陸が下手をすれば命に関わりかねない重傷を負わされたことで、やつの親が権力者であっても面倒は見きれないと三行半を叩きつけるのに十分な口実が生まれた。むしろ内心では感謝すらしているはずだ」  乙坂先輩の言う取り返しのつかない事態とは恐らく死亡者が出ることを指しているのだろう。  確かに八重樫はいつ予期せぬ事件を起こすかわかったものではない爆弾だった。 「……でも棚橋は死んでいたかもしれないんですけど」  一歩間違えたらその最悪の事態になっていたかもしれないのだ。  それこそが避けるべきことのはずなのに故意に危険性を引きこす意味が理解できない。 「今回優先すべきことは断罪されずに蔓延る悪を排除することだった。犠牲があったとしてもやむなしと割り切っていた。それに彼なら小鳥遊由海のために身を挺することに躊躇いはしないと思うが?」  つまり八重樫を断罪するためなら棚橋が死んでもよかったとこの人は言っているのか? 「……それはあいつがどうするか決めるもんだ」  他人が勝手に頼りにして計算に入れていいもんじゃない。
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