第一章

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「俺は他人の不幸とか失敗に笑いを見出すさびしい人間性はしてないから。笑わないから」  落ち着かせるためにそう言っているというのにネガティブに染まっている小鳥遊由海は俺のことを疑いに疑う。 「ちっ。い、いい子ちゃんぶりやがって……。先公もいねーってのにご苦労様だなっ!」  こいつ、言葉は攻撃的なクセにモゴモゴ聞き取りにくく喋りやがって。  ところどころ裏返ってるし。なんか腹立つな。  …………。  今気付いたが、こいつ全然俺の顔を見て話していない。 「おい、一回くらい俺の目を見てその強気な発言してみろよ」  言いたい放題されるのは癪なので少しばかりいじってやることにした。 「…………」  途端に黙りだす。 「おい、どうした。なんか喋ってみろよ」  俺は腕組みをして小鳥遊由海の白すぎる顔を熟視してやる。 「うぅ……」  小鳥遊由海は力なく唸り、目を伏せて掛布団を引き寄せると顔を半分ほど覆い隠してしまった。  あれ、ちょっと涙目になってない?  俺は罪悪感ともになぜだか少しばかりの高揚感を覚えた。  いや、本当になぜだろうね。  まあ意地悪するのはこのくらいにしておいてやろう。煽りに耐性なさそうな性分みたいだし。  けれど、どういう育ち方をすればここまで卑屈に偏屈な性格が形成されるのだろう。  被害妄想過多な面も含め、この際だから入院ついでに精神面のカウンセリングを一緒に受けたほうがいいのではないか。  ただ、そんなことは俺には一切関係ないので進言するようなでしゃばりはしない。だから俺は代わりに医師からしょうがなく受けたレクチャーを伝えることにする。 「あのな、医者が言ってたぞ。今回倒れたのは不摂生が原因だって。これからは肉や油の多いものは控えて、野菜や魚を多めに食べろって。お前、一体どんな食生活してたんだ?」 「ピ、ピザとかカップラーメンとか」 「毎日そんな感じか?」 「大体……」 「そりゃ確かに栄養偏るなぁ」  つーか毎日のようにピザが食えるってどれだけ金持ってるんだよ。こいつの家のお財布事情はどうなっているんだか。 「す、好きなもの食って死ねるなら本望だし……」  相変わらず布団で顔を半分隠しつつ、小鳥遊由海は食生活改善のススメを軽んじる発言を漏らす。  そういうこと言うやつに限って死にそうになると騒ぎ出すんだけどな。その時になってこいつが言葉通り超然としていられるのか見物ではある。  しかしまた倒れられて病院に道連れ登城させられては困る。なので俺は手間ではあるが小鳥遊由海の意識改革を試みる。 「だったら次は助けを呼ばなくてもいいか?」 「えっ? うぅ……。なん……。こ、これが都会のコンクリートジャングル特有の冷たい隣人関係……」  うぎーと、なぜだか悔しそうに布団を握りしめる小鳥遊由海。  わけわからん。本当に面倒くさいやつだ。 「違うぞ、隣人の健康を気遣ってあえて厳しく接する人情だ」  俺は適当なことを言ってやった。 「愛情なの?」 「人情な」  打算的な。 「愛はある?」 「いや、何言ってんの?」  ちょっと意味わかんないこと言う子ですね……。  いきなり愛の在り処を問われても。  俺に簡単に答えられるような命題ならば人は愛ゆえに苦しんだり悲しんだりしないのだ。 「愛はない?」 「世界の中心に行けばあるんじゃないのかな」 「ふっ、あーそうですよ。どうせ! どうせ、わたしは無駄に生き長らえているぶん、肥やしにもなれない役立たずの糞女ですよ!」  日本は火葬が基本だから死んだところで肥やしにはなれないと思うが。  というか、俺の結構上手いこと言ったんじゃないかと内心で自賛していたギャグは滑り、むしろ小鳥遊由海の地雷を踏みぬいてしまったようだ。  個人的には言った後で吹き出すのを堪えるくらいの力作だったのだが。言う相手とタイミングを間違えたようである。 「糞が糞を内側に溜め込むとかどんなマトリョシカだよとか腹の中で笑っているんだろ」  小鳥遊由海は早口でそんなことを言う。  まったく、なんと返したらいいのやら。あきれて何も言う気が起きない。 「つーか、お前、何気に滑舌よくなってきてない?」 「久しぶりに他人と話したから。今までは声帯が温まってなかっただけ」  どういう理屈だ。声帯云々とかミュージシャン気取りか。もうこいつの言うことは大方をスルーしていったほうがいいとみた。 「なあ、お前は俺を一体どんな浅ましい人間だと認識しているんだ? 俺がそんなに他人を見下して悦に浸る小さい野郎に見えるのか」  ここで『そうだけど?』とか真顔で言われたら俺は己の風貌に関して猛烈に自己嫌悪したくなるところだったが。 「……せせら笑ってないの?」 「ねえよ」 「じゃあトリュフチョコ? トリュフチョコみたいって思ってるの?」 「うるせえ。いちいち比喩を持ち出さなくていいんだよ。黙ってろ」  丸めたチョコの周囲にさらにチョコをコーティングした美味な菓子をなんてものの例えに出しやがる。  トリュフチョコ食う時にお前の便秘のレントゲン写真を思い出したらどう責任とってくれるんだ。  しばらくトリュフチョコを食う気にはなれそうにない。ただ、食べる機会自体稀なのであまり問題ではないかもしれないけれど。 「でも、笑ってないんだ」  小鳥遊由海は安堵したような表情を浮かべる。いや、顔半分隠れてるから目つきで判断するしかないんだけど。  でも多分これはほっとした人間が見せる顔つきで間違いないと思う。きっと、ここにきて初めて小鳥遊由海は俺に対しての警戒心を緩めたのだろう。 「最初に言っただろ。笑えねえって」 「隣人は、わたしを疎まない?」  …………? 趣旨の掴めない問いに俺は逡巡を挟んだ。 「まあ、俺はよき隣人だから」  よくわからんので角の立たなそうな言葉を適当に言った。つーか、こいつ俺の名前知らないっぽいな。  なんだよ、隣人って。他に言い方なかったのか。けど、いまさら自己紹介をするのもあれだしなぁ。  どう切り出せばいいのかわからんし。まあ機会があればそのうち向こうも知るだろうし別にいいか。 「その制服着てるけど、隣人は不思議とあんまり怖く感じない」  小鳥遊由海はぽつりとそんなことを言った。 「制服?」  俺が身に纏うのは転入先の私立天帝学園高校のものだ。  これが何だというのだろう。  一般的なデザインで威圧的な雰囲気など特にない凡庸な制服だと思うが。  制服に恐れを抱くとは過去に天帝学園の生徒に因縁をつけられたことでもあるのかね。  そんなに荒れた高校ではないと聞いていたが。  ブレザーの胸元の辺りを引っ張ってみる。  肩をすくめて小鳥遊由海に理解が及ばないことを主張してみるも反応なし。小鳥遊由海は無言で天井を見つめ続けるだけだった。  どうやら何気なく呟いてみただけで詳細を言及するつもりはなかったようである。  ふむ、まあ話す気がないならそれはそれでいいか。消化不良の感は否めないが、どうせすぐに解消するさ。  無駄なことはあっさり忘れられるという長所を俺は持っているからな。  一応言っておくと、能天気な鳥頭ゆえではない。  俺は合理的なのだ。  あ、そういえば小鳥遊由海に食生活を改めると誓わせるのを忘れていた。
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