最終章

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「小鳥遊君、君はどうだ?」 「……俺?」  意味がわからずに訊き返す。 「いい加減、私や彼女の考えに同調しながら自分だけは違うなどという自惚れた意識は捨てたまえよ」 「……なっ」  羞恥に顔が熱くなる。 「あえて言おう。君も私も、彼女も同じ人間失格者だ」  辛辣な言葉が投げかけられ俺は動揺する。 「俺は……」 「君は今日ここへ何をしに来たんだ? 事件の真相を聞きに来た。それだけか? 本当は私という人間を見極めに来たんじゃないのか。私が自分と同じなのか。孤独を分かち合うに相応しい人間であるのか」  俺は黙って聞く。静かに耳を傾ける。 「君が今回のことで私に不快感を抱く理由は人道的に反しているかいないかというような抽象的な部分にはない。自分の嫌な部分を見ているような気がするから気に食わない。ただそれだけのことだ」  俺が感じた嫌悪は同族に対するやっかみ。そうなのか? 「君も道化となるのか? あるいはなっているのか」  俺は何も答えない。口に出せる言葉がない。 「……ふん。君がどんな道を選択しようとも、まあ構わんさ」  乙坂先輩はつまらなそうにそう言い、コップを口に運ぶ。 「だが、私は道化にはならん。私が被るのは修羅の仮面だけだ」  彼女の胸の内にある一本筋の通った強固な意志が言霊のように滲み、俺に響いてくる。 「私には目指すべき頂がある。そこへ至る覇道を突き進むためならばどんな荷でも放り捨てよう。あらゆる枷を脱ぎ捨てた裸の猿にも成り下がろう」  目的のためなら修羅になることもいとわない強靭な心。  八重樫にもあって、先輩にもあるが俺にはないもの。やはり俺はこの人や八重樫とは違う。 「馴れ合いを必要としないなら。孤独であることを恐れとしないのなら。そのまま突き進めばいい。躊躇うことはない。  この世に蔓延って常識を謳う大半は無能な愚か者ばかりだ。そんな連中の価値観をなぜ気にすることがあるだろうか?  彼らの評価がいかに自分の利益になり得るのか考えてみるといい」 「…………」 「君は私と同じ、切り捨てる選択ができる人間だ。できれば親しくありたいものだね」 「俺なんかでは恐れ多いので、ちょっとそれは無理ですね」  だって俺は選び捨てているんじゃない。  諦めているだけなのだから。  あなたのように突き抜けた高尚さも美学もない、ただの堕落者なのだ。  あんたと違って高い位置から見下ろしているわけじゃない。  ただ、遠いだけなんだ。  近づくことができなくて、手の届かない場所から眺めているだけの臆病者なんだ。  距離の概算は同じでも、俺だって高みに君臨しているあんたを見上げるだけの一愚者に過ぎない。  あんたの目の届く位置からは遠く離れているせいで見えていないかもしれないけれど。  俺はあんたが支配する図式を外からきちんと見て知っている。  誰が上にいて、誰を見下ろしていて、誰と誰が近しくあるのか。  誰からも見えない場所でひっそりと見て知っている。  当事者になる気はないのに、やたらと周りを嗅ぎ取ろうとするハイエナのような自分が時々嫌になる。  ラインを跨いでもっと向こうに踏み込んでいきたくなる時もある。  外側と内側とを自由に行き来できる器用さを欲したくなる。  ……そんな都合のよいことができる人間なんて、いるとは思えないけれど。  痛みだけを避け、甘露だけを味わって生きていくなんて、仮初めの平等主義が許さない。 「……フッ、まあ今日はそういう返事でもいいだろう」  俺の返答に乙坂先輩は余裕のある表情で言った。 「ならば小鳥遊君」 「なんですか」 「これからも妹とは仲良くしてやって欲しい」 「妹?」  何の話をしてんだか。 「君の級友である乙坂イツキは私の妹だが。知らなかったか?」  ……ええ、知らなかったです。はい。  思わぬ事実を想定外のお土産として受け賜った俺は生徒会室を後にする。  閑散とした廊下を静かに歩きながら俺は煩悶を繰り返す。  俺はあんた達とは違う。  生まれたその時から怪物だったあんたらとは。  ずっとずっと昔の話だが。  俺には確かにあったのだ。  普通に人を好きになって普通に悩み、悲しむことを悲しんで、孤独を孤独だと感じられていた、そんな時が。  俺は純正じゃない偽物だ。  どちらにも入れない半端者。  人間らしい価値観を否定しながら同類への共感もおぞましさに上塗りされて素直に受け止めきれない。  余計な自意識を手放せないでいる宙ぶらりんな存在。  足を踏みしめながらふと思う。俺はどこへ向かって行くのだろう。  どこへ進もうとしているのだろう。 「ま、別にいいか」  そう。別にどうだって構わない。  不安に押しつぶされないように、俺はそっとさえずった。  数日後。容体の安定した棚橋の見舞いのために俺は病院を訪れていた。  この病院へ来たのは二回目。  約一か月前に小鳥遊由海の付添人として来て以来の訪問となる。  受付で棚橋の病室を訊き、エレベーターで該当する階へ移動する。  扉をノックして病室に入ると棚橋は当たり前だがベッドの上に横になっていた。  室内には棚橋の他には誰もいなかった。  その代わり、見舞いの品らしきフルーツ盛り合わせなどがテーブルの上に置かれていた。  きっと俺より前に来た見舞い客が持ってきたのだろう。……腹を刺された人間に食い物ってどうなんだろうか。 「よう、個室とはいい身分だな」  軽口を叩きながらベッドに歩み寄る。  俺に気が付いた棚橋は以前より少しやつれた顔でにっこりと微笑み歓迎の意を表してくる。 「君が来るとは思わなかったな」  軽口の応酬なのか素で言っているのか。こいつの場合判別するのが難しい。もっと親しい人間なら容易く区別できるのだろうか。 「今回はいろいろと迷惑をかけてすまなかったね」 「いや、まったくだ」  ベッドの脇にある椅子に腰かけて俺は正直に言ってやる。 「どうなんだ、調子は」  未だ点滴に繋がれている棚橋だが、話している感じでは順調に快方へ向かっているようだが。 「まあ、しばらくは入院だろうけど順調だよ」 「なら、よかった」 「……」 「……」  そして途切れる会話。生まれる沈黙。  変わらねえなぁ……俺とこいつの距離感も。  会話の波長が合わなすぎる。  間違っても俺たちは友達になれないなと改めて思った。 「お前さ。今回のこと、どう思っているんだ」 「どうって何がだい?」 「わかってるんだろ。乙坂先輩にいいように利用されたってこと」  あの人は棚橋の由海を助けるために尽力しようとする覚悟につけ込んだのだ。棚橋だって面白くはないはずだ。と思ったのだが。 「ああ、わかってる。でも別に構わないさ」  棚橋の返答はやけにあっさりとしたものだった。 「あの人はお前をエサに使ったんだぞ。八重樫をあぶり出し、退学に追い込む口実を作るためにお前に大怪我を負わせたんだ。何も思わないのか?」 「俺に緒留さんを恨むような気持ちはないよ。素直に感謝するつもりもないけどね」 「いくらなんでも人が良すぎると思うぜ。お前はもっと怒りを感じていいはずだ」 「もともと俺は緒留さんに利用されることを承知であの人を頼ったんだ。だから俺も緒留さんを利用したようなものだよ」 「……どういう意味だ」  棚橋の発言に俺は薄ら寒いものを感じる。 「俺は学校側が犯人を特定しながら見て見ぬふりをしているんじゃないかって薄々勘付いてた。だからそういう不正を嫌う緒留さんに話を持ちかければ彼女はそれを好機と見て俺を利用し、犯人を追い込む策を弄してくるんじゃないかってそう思ったんだ」  じゃあ棚橋は最初から利用され使い捨てられることを見越していたというのか? それなのにあえて乙坂先輩の懐に潜り込んだというのか? 「お前はそれでよかったのか? 乙坂先輩を許せるっていうのか?」  にわかには信じ難いことだった。少なくとも俺には理解できないことだ。 「小鳥遊さんを救えるなら、いくらでも使ってくれて構わなかったよ。俺が行動することでどうにかなるなら何でも受け入れるつもりだった。  今回のことで俺には手段がなかった。でもあの人にはあって、それは俺が犠牲になることで成り立つものだった。それだけのことさ」  どうしてお前はそこまで人のためにできるんだ。  他人のために自分の身を削ることを厭わないのもここまで来るといいやつを通り越して異常にすら思える。  あまりにも自分を蔑ろにし過ぎているのではないか。 「君は緒留さんと話したんだな」 「まあな」  口に出していないがきっと俺の言葉から読み取ったのだろう。 「ならもうあの人がどんな人間であるかはわかっているはずだ」  そうだ、俺は知っている。あの人がどれほど計算高い利益至上主義者なのかを。 「手札が揃えば相手が誰であろうと牙をむく。隙があるなら引きずり落として食らいつくす。それが乙坂緒留という野心の怪物だよ」  野心の怪物。  確かにそうなのかもしれない。  結果と過程を天秤にかけ、考えられる限り最小の犠牲なら容易く割り切れる。  効率だけを求めて他の事柄で一切思い悩むことをしない怪傑。 「あの人と付き合いがあればそれなりに美味しい思いもできる。だけどメリットとリスクをわきまえて一線を引いておかなければならない。あの人と関わるのは悪魔と契約するのと同じだ」  酷い言い草だ。  けれどあながち間違いとも言い切れない例え方なのが乙坂先輩の実態を物語っているんだよなぁ……。  だが、それが一体なんだというのか。 「これは代償だ。悪魔との契約した俺への戒め。無力な俺が人を助けるために負わなければならなかった傷。……そして愚かな俺への当然の報いなんだ」  棚橋は自分の腹部の傷跡を擦りながら神妙な顔つきで言った。  最後に言った言葉の意味はわからなかったが棚橋が全てにおいて納得しているのだということだけは理解できた。ならばこれ以上は外野が口喧しくさえずることではないだろう。  だから今度は俺自身が腑に落ちないでいたことを訊ねることにした。
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