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しばらくすると小鳥遊由海はすやすやと眠り始めた。いい気なもんだ。
沈黙の時。
俺はベッドの脇で腕組みをしながらただ座し、小鳥遊由海が夢の世界へトリップしている様子を眺める。
「…………」
この状況。はたして俺はここにいる意味はあるのか。
いや、哲学的な感じで言ってるわけではなくて。
俺、もう帰ってもいいんじゃない?
大体、母さんよ。急なことであったとはいえ、のんびりしすぎではないでしょうか。
やることがなさすぎて俺も眠たくなってきたぞ。
「…………」
「スー……スー……」
安らかに寝息を立てているのは芸術品のような精緻な寝顔。
だが見ていると無性にムカついてくる。
これは一階にあった喫茶店で待っているほうがいいかもしれん。母親の到着にまだ時間がかかるとみた俺はそう考えながらあくびを一つ漏らした。
「……ん?」
目を擦りながら顔を上げると、天帝学園の制服を着た一組の男女が病室の入り口に姿を見せ、部屋の中を覗きこんでいるのが瞳に映った。
おやおや、一体誰を訪ねてきたのかねえ。おおよその見当はつくけれど。
他のベッドにいるのは年配の方々ばかりだし。
案の定、予想通り彼らは俺たちの方へやってきた。
長い黒髪を右側だけ三つ編みにしてまとめた髪型の眼鏡女子と、さっぱりしたショートカットの茶髪イケメンがベッドを挟んだ向かい側に並び立つ。
女子の方は学級委員っぽいな。
イケメンはサッカーとかやってそうだ。
もしくはテニス部と見た。
偏見と経験に基づく分析を反射的に行う。
小鳥遊由海にも見舞いに来てくれるような友達がいたのか。あんなに対話が不得手なやつが一般的な友人関係を構築していたとは。
「小鳥遊由海さんのベッドはここであっているかな」
爽やかな笑みを湛えてイケメンが俺に問うてきた。
「ん? ああ、今は眠ってるけど」
見ればわかることだろうにおかしなことを聞くやつだなと思いながら目を落とすと、先程まで惜し気もなく晒されていた銀髪少女の寝顔は掛布団によって完全に覆い隠されていた。
おお、いつの間に。尊敬に値する早業。
つーか。ひょっとしてだけど、いや、もうこの二人が訊ねてきた時点でほぼ確定的かもしれないが。
「こいつも天帝学園に通ってるのか?」
膨らんだ布団を指差し、同じ制服に身を包んだ来訪者たちに俺は訊ねた。
「彼女は俺達と同じ二年一組だけど?」
さも当然のようにイケメンは言った。
眩しい笑顔だ。思わず嫉妬してしまうね。
「それにしても驚いたな。学校が終わった後すぐのバスに乗ったはずなのに先客がいたなんて。てっきり俺が一番乗りだと思っていたよ」
どんな裏技を使ったのかと遠回しに訊ねてきているような気がした。
「いや、俺は今日学校行ってないから」
「小鳥遊さんのためにわざわざ休んだのか?」
違う、と言いたかったが結論としてはまったくその通りなのでどうしたものか。
まあ、どうしようもない。
「このお隣さんが倒れた現場に偶然鉢合わせてな。他に誰もいなかったから付き添いするしかなかったんだよ」
仕方ないので事実を忠実に話す。
嫌々巻き込まれてしまったのだというニュアンスを含んだ言い回しをしたつもりだったのだが、伝わったかね。
「隣っていうのは?」
そこに食いつくのかよ。
「同じマンションの隣室ってことだ」
俺は簡潔に答える。それ以上に言いようがないからな。
「なるほど、君らはそういう繋がりか」
イケメンはふんふんと頷く。
何がなるほどなのか。勝手に納得されると齟齬が生じているのではないかと不安になるのだが。
「俺は転校生なんだけどさ。本来なら今日から通うはずだったんだが、まあこういうわけで初登校は明日に延期ってわけだ」
世間話も兼ねて、俺は場を繋ぐための話題を振った。
初対面の人間と会話なしで過ごすのは少々キツイものがあるからな。
肝心の見舞われる人間が外界との交渉をシャットアウトしているのだからやむを得まい。
ただ同じ学校ならこいつらもまるっきり他人というわけではないわけだし。
多少の交流を育んでおくのも転入する立場の俺にとって悪くはない。
「ああ、同じ学校の同級生のはずなのに君に見覚えがないと思ったらそういうことだったのか」
イケメンが得心いったという表情をする。
同級生、というのはネクタイの色で判別したのだろう。天帝学園は学年別で色がそれぞれ決まっているらしいからな。
ちなみに俺たちの代は緑色だ。
「何組に入る予定なんだ?」
「確か三組とかって言ってたな」
「三組……。渡良瀬先生のクラスかな。渡良瀬先生はテニス部の顧問の先生だよ。ああ、俺、一応テニス部だからさ」
本当にテニスやってたのか。
俺の洞察力も捨てたもんじゃないな。
なかなかのものだと自賛する。
「それにしても、せっかく来たけどタイミングが悪かったみたいだ」
動かざる山を形成して横たわる小鳥遊由海を見てイケメンは苦笑しながら肩をすくめる。
「久しぶりに会ったし、少しくらいは話したかったけど」
いや、多分こいつ狸寝入りだぞ。さすがに口には出さんが。
しかしこの女、せっかく級友が訪ねてきているのに寝たふりとはどういう了見か。
俺に相手させやがって。
でも確かに便秘が理由で入院した姿をクラスメートに見学されるとか羞恥に悶えて合わせる顔がなくなるのも仕方ないことなのかもしれない。
我が身と考えれば絶対に勘弁してもらいたい場面ではある。
朗らか笑顔のイケメンテニス太郎。
悪気はないんだろうなぁ。ゆえに罪作りな男だ。
いい人間が行う善意の行動が常にいい結果をもたらすとは限らない。
善行が裏目に出て悪手を招くことなどざらだ。
ただ、この場合は単純にイケメンのデリカシーの欠如が問題かもしれないけれど。小鳥遊由海も災難なやつだ。
「寝てるところを起こしたら悪いし、俺達は帰ろうかな」
どうやらイケメン太郎は起きる気配のない病人を見て引くべきだと判断したようだ。
「何か要件があるなら伝えておくけど」
残念そうな雰囲気をあからさまに出したイケメン太郎を気の毒に思った俺はそう申し出る。
「いや、今日はクラス委員としてクラスの代表でお見舞いに来ただけだから」
お前もクラス委員なのかよ。いや、三つ編みの女子がクラス委員であるかはわからないけど。
「でもそうだね。強いて言うなら、早く元気になってくれってことかな。クラス
のみんなも待っているから」
みんなって誰だよ。そんなみんな仲良しなんてことあるわけなかろうに。
恐らく言葉の綾だろうからいちいち噛みつきはしないが個人的には少しひっかかる物言いだ。
「また来るよ」
「三日くらいで退院するらしいから、そんなに心配することないと思うぞ」
「そうか、大したことないようなら安心だよ」
そう言ったイケメンが一瞬だけ表情を暗くしたように見えたのは気のせいだろうか。
「じゃあまた学校で会おう」
イケメンは胸の前で小さく手を挙げ、病室を後にした。
眼鏡の女子も会釈して去っていく。
行儀良さの垣間見える綺麗なお辞儀であった。
そういや結局あの子は一言も会話に加わってこなかったな。
何しに来たんだか。
うん、まあ、普通にお見舞いだよな。断じて俺と雑談するためではない。
よく考えるとあの二人の名前を聞いてなかったが、まあクラスも違うようなので知らなくても差し障りはないだろう。
こちらも名乗っていないのだし。それよりも。さてさて。
「二人とも、もう帰ったぞ」
声をかけてみるも反応はない。
「おい、いい加減に……のひぃっ!」
俺は突然布団の中から飛び出してきた腕に手首を掴まれ思わずマヌケな声を上げてしまった。
なんという失態、屈辱!
ああ、俺は辱めを受けてしまったよ……。
「こ、この、お前、一体どういう……ん?」
こいつ、震えているのか?
細い指先が包んでくる、そこから伝わってくる僅かな振動。体温。
トイレでも我慢してるのだろうか。
もしくは怯えているとか。
……誰にだ?
俺が想定外のスキンシップに戸惑い逡巡していると小鳥遊由海はひょっこりと顔を覗かせてきた。
ただし口元は隠し、目がギリギリ表に出る程度であったが。
「…………」
無言である。無言でこちらを見つめている。
仲間にでもなりたいのだろうか。そういえば初めてこいつとまともに目を合わせた気がする。
…………。
何か言えよ。
俺たちはノンバーバルコミュニケーションで意思疎通が図れるような密な間柄ではない。
したがって、視線のキャッチボールを繰り返していても不毛の時が過ぎるだけである。
なので俺は音声言語を用いて訊ねることにする。
「お前さ、あのイケメンとなんかあったの?」
「……タナハシくんはいい人、優しい人だよ」
タナハシっていうのはあのイケメンの名前かな。
じゃああっちの三つ編みの女子が怖かったのか。
まさかね。恐らく学校で何か嫌な目にあったのだろう。
小鳥遊由海は疎外の対象になりそうな素材の塊だし。
日本人離れした彼女の容姿は良くも悪くも周囲からはみだした存在となりうるはずだ。
おまけにどう見たって小鳥遊由海は社交的な性格ではなく、対人コミュニケーションを円滑にこなせる人種とは思えない。
外見と内面のダブルパンチ。
目立ちながらも器用に立ち回ることのできない優れた存在にはその輝きに対して畏敬の念は寄せられず、妬みだけが鋭く刃を向けてくる。
きっと今現在の彼女の震えは制服を着た級友たちを見たせいで何かは知らないがその嫌な出来事を思い出してしまったとか、そういうアレから生じているものなのだろう。
俺はそう解釈した。
間違った推測かもしれないが、様々な場所で様々な人間を見てきた俺の観察眼はさほど節穴ではないと自負している。
さっきもイケメン太郎のクラブを当てたし。
二つ出してたからずるい?
ずるくねえよ!
まったく、高校に部活動が一体何いくつあると思ってるのか。まあ、それはそれとして。
「お前、同じ学校だったんだな」
勝手に自己解決した俺は違う話題を小鳥遊由海に持ちかけた。話題の転換を割と自由に行うのが渡り者の習性である。嘘だが。
「……厳密に言えば」
ぼそぼそとした小声で小鳥遊由海は答える。
じゃあ簡潔に言うとどうなるんだ。
よその学校になるのかよ。そんな追及は心の中に内包し、さらに別の問いを投げかける。
「あいつらと同じクラスなんだって?」
「そう、わたしは二年一組。部活は帰宅部」
そこまで訊いてないけど。
「俺も帰宅部に入るつもりだから同胞だな」
俺は乾いた笑いを響かせつまらないジョークをのたまう。
「ドーホー。いい響き……」
どこら辺が琴線に触れたのか、感慨にふける小鳥遊由海。
新鮮な反応であり、望んでいたリアクションと違った。
いやもうかなり違うね。心揺さぶる要素など一切なかったはずだが。
こいつの感性はやっぱりよくわからん。
ところで彼女はいつまで俺の手を掴んでいるつもりなのだろうか。
接触に不快感を覚えるほど異性にコンプレックスを抱いているわけでもないのでことさら拒絶をするつもりはないがこれでは安易に立ち上がれない。
細かに言えばトイレに行くことが出来ない。
ちょっと今危ないんだが。まあ、まだ余裕だから。
余談であるが、気が付いた時には小鳥遊由海の震えはいつの間にか止まっていた。
いつの間に止まったのかね。
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