第二章

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第二章

 担任の渡良瀬(わたらせ)教諭とともに向かった教室で俺は黒板の前に立ち、新しいクラスメートたちに無難で無個性な挨拶を済ませた。  何か面白いことでも言ってユーモアを醸し出してやろうかとも考えたが、前の学校で友人から『お前の冗談はつまらん!』と常々言われていたのを思い出し、考えるにとどめた。  そんなふうに後手に回ってしまったせいなのだろうか。  朝のホームルームが終わっても俺の机の周りにはそれほど人は集まって来なかった。  うーん、高校生にもなると転校生くらいでいちいち騒ぎ立てたりしないものなのか。  小学校や中学校の時は男女構わず質問責めにあったものだが。  そういえば前の高校でクラスに転校生が来た時も、そのことではしゃぐ連中はそんなにいなかったような気がする。  やっぱりそういうものなのかな。  ああ、だけど誰も寄ってこなかったわけではないぞ。  少人数だがいることはいた。  それが今現在俺の机の周りを取り囲むイガグリ頭のひょうきん者っぽい男子生徒とその一団。  イガグリ頭は若田部(わかたべ)というらしい。若田部は俺に何か質問などをしてくるわけでもなく、一方的に横で騒いできた。 「オレ、ソフトボール部だからさ! よかったら一緒に青春の汗を流そうぜ!」  若田部の話の主な内容は部活動の勧誘だった。  我がソフト部は人数的に素人でもレギュラー獲得のチャンスがある、部員同士の距離が近くアットホームな雰囲気で風通しの良いクラブであるなど、ブラック企業の求人フレーズを彷彿とさせる誘い文句を並び立てて自らが主将を務める(若田部はソフト部キャプテンらしい)部の素晴らしさについて鼻息荒く語られた。  その熱心な布教姿に周りのやつらは若干引き気味だった。  もちろん俺も引いた。 「とにかく、ソフトボールはスゲエんだよ! 何がスゲエってうちのソフトボール部はホントにスゲエんだよ!」  言っていることの大半は支離滅裂だったが彼のソフト部への熱意だけは十分に伝わってきた。  イガグリ頭の若田部たちはひとしきり喋り倒してから、やがて次の授業の準備のためにそれぞれの席やロッカーに散っていった。もっとも話していたのは若田部がほとんどであったが。  一人になった俺は改めて自席から教室全体を見回してみる。  クラスメートの多くは固定のグループで集まり、同じクラスの一員でありながらそれぞれが別々の集合体として独立して成り立っていた。  彼らは自分のコロニー外の他人にはさほど興味がないような、そんな空気を醸し出している。  俺が昨日の始業式を欠席したことなども誰も気にも留めていないようだった。  どうでもいいと思われているのか本来の予定が今日だったと解釈されたのか。その真相は彼ら各々の心の内にのみぞある。  はたしてこのクラスに俺が入る余地は残されているのだろうか。  年齢を重ねていくにつれて、すでに形成されている人間関係に割り込むという行為のハードルは上がっていく。  親しみを持ってもらおうと大げさなくらい明るく振る舞えばおかしなやつとして浮いてしまうし、逆に大人しく身を潜めていては空気と成り果て埋没してしまう。  そういう感情起伏の塩梅が人間関係における難しさとも言える。  小学生の転校生ならば初物ブーストがかかり瞬間風速の人気者になったりするので馴染むチャンスは比較的容易く転がってきたりするのだが。  高校生くらいにもなるとそういったことで素養以上に魅力的に映ることは少なくなるようで。  実際転校生の俺に興味を持ったのも勧誘目的の若田部たちくらいである。  成長し、物事を冷静に判別する目が養われることでこのような弊害が生じるとは……。  まあ、なるようになるかな。  ガラの悪いやつもいなさそうな平和なクラスだし。時間の経過とともに気の合う連中を見つけ出せるだろう。  なんの根拠もない楽観的な見通しを俺が立てていると 「小鳥遊君、あなた教科書はあるの?」  左隣から鈴の音が鳴るような澄んだ声が耳に響いてきた。声の方に顔を向けると隣の席に座る女子がこちらに体を向けていた。  長く艶やかな黒髪。可愛らしいピンが留められている前髪。  気の強さを垣間見せる吊り目にくっきりとした鼻筋の通った端正な顔立ち。  出来る女というか、隙のない全体的にパリッとした雰囲気を持つ少女だった。ぬぼーっとしたどこかの不摂生で入院したマヌケとは大違いである。 「ないのなら見せてあげるけど」 「教科書なら大丈夫だ。休み中に揃えておいた」  結構早い段階で転校が決まったからな。用意が間に合ったのだ。鞄から一時間目の数学に必要なテキスト一式を取り出して見せる。 「あら、そう」  素っ気なく女子生徒は答えた。 「すまんな。だけど気遣いありがとう」  失礼のないように礼を言うのを忘れない。態度の悪い男と初日から思われては印象によくないからな。 「…………」  俺の言葉に返答することもなくぷいっと正面を向いてしまった女子生徒を見て、俺は気難しい子なのかなとそんなことを思った。  昼休み。俺は一つの問題に直面していた。  昼飯を食べる仲間がいない。  あわよくば休み時間の合間に度々会話を交わしていた若田部たちの集団に紛れ込んでと思っていたのだが、やつらは昼休みになった瞬間にとっとと教室から姿を消してしまっていた。  冷たい連中である。  小鳥遊由海ではないが、これが都会の冷たい人間関係というやつなのか……。  受け身ではよくないと思いつつも、かといって無理やり入り込んでいったところで疎外感を無駄に味わうだけ。  しょうがない。俺は自分の席で一人弁当を広げることにした。  そこまで団体行動に意義を見出すほうでもないしな。さほど苦にはならないさ。  毎度のことになるとさすがに気が滅入るかもしれんが。  教室という名の大海原で我一人。  自立した存在として唐揚げを箸で摘まみ、口へ運ぶ。うん、冷凍食品の唐揚げ だがやはりそれなりにうまいな。  心の中で一人グルメレポートを繰り広げていると 「ねえ、そこにいると一緒に食べていると思われるから困るのだけど」  声をかけられたので横を向いてみる。  すると隣の席に俺と同じく一人で弁当箱を広げているやつがいた。朝の時間に教科書の有無を訊ねてきた女子生徒である。  言われて見渡してみると確かに周囲の席には誰も座っておらず、俺達二人だけがぽつんと切り取られたように並んでいる。傍から見れば隣り合って仲良く弁当をつついている状況に見えなくもない。 「すまんな。今は自分の席しか食べるアテがないんだ」  俺はどうして謝っているのだろう。  悪いことはしていないはずなのに。何かがおかしい。 「…………」  黒髪ロングの女子は箸を加えたまま口をへの字にして不満げな目で俺を見据えてくる。  なんだよ……俺がなにしたっていうんだよ……。 「そんなに嫌なのか?」  同じクラスの女子に拒否反応を示されるとか結構ショックなんだが。  まだ何か盛大にやらかしたわけでもないのに。いや、これからもやらかすつもりはないけど。  ヒヤヒヤしながら女子生徒の反応を窺っていると、 「え? 特に気にしてないから大丈夫だけど」  きょとんと首を傾げられた。おい、どっちなんだよ。 「一応言っておくと、困るというのはジョークよ」  冗談はもっとそれなりの顔で言ってくれ。しかも笑えない。 「ハァ……」  精神衛生によろしくないジョークで歓待を受けた俺は溜息を吐く。  何がしたかったのだろう、この女は。まだ立場のない転校生をいびってどういうつもりか。 「イツキよ」  ステンレスのコップに注がれたお茶を啜りながら女子生徒は唐突にそう言った。  水筒持参とは今時珍しいエコロジー精神に富んだ女子高生だなと俺はずれた感想を抱く。 「……?」 「私の名前。イツキ」 「あ、ああ」  どうやら名乗っていたらしい。  脈絡がなさすぎて一瞬何言ってるのかわからなかった。  イツキ、五木? 漢字までは予測できんが別にいいか。 「まあ、よろしくな」  こいつもまたお隣さんというわけだな。どうせそのうち席替えですぐ入れ替わるだろうけど。 「学校のことで何かわからないことがあったら訊いてね。可能な限り力になるから」  意外にも親切な言葉をかけられる。  ひょっとしたらこのイツキという女子生徒、無愛想に見えて結構いいやつなのかもしれない。  教科書はあるのかとわざわざ訊いてくれたりもしたし。 「イツキは学級委員みたいなことを言うんだな」 「みたいっていう意味はよくわからないけど。実際に私は学級委員よ」 「マジでか」 「ええ、そうなの。マジでよ」  真顔な割に砕けた返し方をされる。  矛盾したアンバランス感がやけにシュールで俺は彼女の顔をまじまじと見てしまう。 「私の顔になにかついているのかしら」  疑わしげな目つきを向けられてしまった。その視線に妙にゾクゾクしてしまったのはなぜだろう。 「いや。案外ユニークなキャラだったんだなと思って」  不審がられても困るので俺は正直に理由を述べた。 「そう? 身内には面白みに欠けるとよく言われているのだけど」  予期外だといった面持ちで顎に手を当て考え込む仕草をとるイツキ。そんなに悩ませるようなことを言った覚えはないのだが。 「まあ面白さの定義は個人の主観で変わるし」  結果、俺はフォローなのかよくわからないことを口走る。 「そこへ行くと小鳥遊君は案外肝が据わっているわよね」  顔を上げたイツキはお返しとばかりに俺の人物評を下してくる。 「はぁ? どこがだ?」  今度は俺が悩まされる番であった。 「転校生で、一人でご飯を食べているというのに特に気にした様子もなく超然としているじゃない」  なんだ、そんなことか。 「そんなもんは強さを判別する定義にはならない」  一人であることをいちいち恥じるようでは転勤族の扶養家族などやっていられない。  新天地ではいつだって裸一貫からのスタートなのだ。 「それに、そのうちどうにかなると思ってるし」  俺は経験からの根拠を素直に口にする。 「あら、まるで他人事みたいに言うのね」  その声は呆れているのか感心しているのか。別に俯瞰して見ているつもりはないのだが。 「でも、小鳥遊君ならすぐに上手く馴染めると思うわ」  学級委員に太鼓判を押される。 「小鳥遊君はやまびこと会話しているみたいで話しやすいもの」  ……それは褒められているのか? 存在が希薄で無個性だと罵られているようにも思えるのだが。 「私にとっては最大の賛辞よ」  ああそうかい。 「ま、そうなるといいよな」 「ほら、やっぱり他人事みたいに言う」  イツキは何がおかしいのか、そう言って上品に微笑んだのだった。  弁当を食べ終えると昼飯後特有の眠気が押し寄せてきた。  イツキは特に眠気を催している様子もなく、現在はカバーのかけられた文庫本に目をやりページを繰る作業を淡々とこなしている。  今は人のことを言える身分にはないが、こいつのことこそ一人でも超然としていると言うのではないか。  そんなことを考えつつ、俺が持て余す残りの休み時間を机に突っ伏して午睡にあてるべきかどうか検討していると 「小鳥遊君、一組の棚橋(たなはし)君が来てるんだけど……」  まだ顔と名前の一致していないクラスの女子に話しかけられた。  棚橋って誰だよと思いながら廊下のほうを見ると小鳥遊由海の病室に来ていたイケメンが扉の前で俺に向かって手を振っていた。  タナハシ、棚橋。そう言えばそんな名前だった。 「あなた、棚橋君とお友達だったの?」  席を立つ俺を意外そうな目でイツキは見てくる。 「いや、昨日偶然会っただけだ」 「ふうん、そう」  それほど興味はなかったようで、イツキの視線はすぐに活字の羅列へと戻っていった。
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